「解脱(げだつ)」とは「何らかの束縛から解き放されること」です。言い換えると「悟り」です。「解脱」は語源はインド古語のサンスクリット語です。解脱した人のことを「解脱者」といいます。
「解脱」の読み方は「げだつ」です。 「けだち」と読む場合も稀にあります。 「げ」は「解」の呉音です。 呉音とは、漢字到来以前の漢字音の総称で、朝鮮半島を経由して伝わったものです。 また、同じく「げ」という呉音をもつ漢字には「夏」があります。 「夏至(げし)」などの熟語があります。 余談ですが、「下達」と書いて「げだつ」と読むのは間違いです。 正しくは「かたつ」です。
「解脱」とは一般に「何らかの束縛から解き放されること」を意味します。 ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教など様々な宗教で語られるが、日本においては仏教と結び付けて用いられます。 仏教においても「現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること」を意味します。 簡単な言葉で言い換えると「悟ること。悟りを開くこと」を指します。 「解脱した人」のことは「解脱者」といいます。 死人に対して「解脱」という言葉は使いません。 生きている人が解脱する手段として「死」を選択することがありますが、「解脱」自体には「死んで悟りを開く」という意味合いはありませんので注意してください。 「悟りきって死ぬ」「死んで仏になる」という意味の言葉は「成仏(じょうぶつ)」になります。 歌舞伎十八番の一つにも『解脱』という演目がありますが、これはほとんど上演されることがありません。
「解脱」はサンスクリット語「vimokṣa」「vimukti」「moksha」などの訳語です。バーリ語では「vimutti」といいます。 「解き放つ」を意味する「vi-muc」の派生語です。 仏教用語にはサンスクリット語が語源のものが多く存在します。 「方便」「億劫」「業」「慈悲」「旦那」「くしゃみ」などがサンスクリット語が由来といわれています。
仏道の修行を重ね、智徳を携えた高僧のことを「上人」といいます。 「上人」は「じょうにん」ではなく「しょうにん」と読みます。 「解脱上人」といえば、鎌倉時代初期の法相宗の学僧である貞慶(じょうけい)を指します。 解脱した僧侶を指す一般名称ではないので注意しましょう。 また、「解脱幢相(げだつどうそう)」「解脱の衣」で「袈裟(けさ)」を指します。 「袈裟」とは仏教の僧侶が着る衣服のことです。
「解脱」について調べると「輪廻(りんね)から解放されること」「煩悩(ぼんのう)と業(ごう)の束縛から逃れること」などと解説されている場合があります。 この「輪廻」「煩悩」「業」とは何なのか、また、それらが「解脱」とどう関係しているのか分かりやすく解説します。 「輪廻」とは「あらゆる生物は死んでも、別の形で生まれ変わり続ける」というインド哲学の考え方です。 生まれ変わった先にもまた寿命があり、このサイクルが無限に続くという概念です。 「ずっと生まれ変われるなんてハッピー!」と思う方もいるかと思いますが、仏教では「生きるとは苦しみである」という考え方をします。 「輪廻」は仏教において「迷いの世界で生死を永遠に繰り返す」というネガティブな意味合いを持つのです。 よって、仏教僧にとって「輪廻」を止めることが解脱することであり、それが究極の境地であるのです。 それでは、どうしたら輪廻から解放されるのでしょうか。 我々を輪廻させるのは、業です。 「業」とは「身(シン)・口(ク)・意(イ)が行う善悪の報いを来世に引き起こす行い」のことです。 つまり、日々の身体・口・意志による悪い行いが悪い結果、つまり輪廻をもたらしていると仏教では考えます。 そして、この悪い行いをもたらしている原因は「煩悩」です。 「煩悩」とは「心身を煩わし悩ませる全ての心理作用」を指します。 この108種類もある「煩悩」を一つずつ無くしていく作業が修行ということになります。 したがって、「煩悩」を一つずつ潰すことで悪い「業」を制御し、「輪廻」を止めて「解脱」することを、「悟り」といいます。
「解脱」と似た言葉に「涅槃(ねはん)」があります。 「涅槃」とは「解脱した先にある、迷いや悩みが一切ない安らぎの境地」を指します。 「すべての煩悩から解脱した悟りの境地」「到達されるべき究極の境地」「絶対的な静寂に達した状態」「二度と輪廻しない状態」など様々な説明の仕方がありますが、仏教における理想の境地を指す言葉です。 「解脱」は悟りへのプロセスを指すのに対して、「涅槃」は悟りへ到達した後の状態を指します。 「減度」「寂減」「円寂」などとも表現します。 「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)である」という意味で「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という四字熟語もあります。 実は「涅槃」には2種類あり、上記で紹介した、肉体を残したまま悟りの境地に至ることを「有余涅槃(うよねはん)」といいます。 もう一つの「涅槃」は「無余涅槃(むよねはん)」と呼ばれ、「一切の煩悩がなくなり、さらに肉体も消滅した状態」を意味します。 このように「完全な悟りを開いた人物つまり仏や高僧、聖者が死ぬこと」を「涅槃」という場合もあります。 この意味の言い換えには「入滅」「入寂」があります。
「解脱」の英語は「deliverance」です。 「deliverance」は「救出。釈放」という意味ですが、「苦痛から救われた状態」という意味で西洋において宗教的なニュアンスで使われます。 「運ぶ」を意味する「deliver」と同語源です。
We pray for deliverance from our sins.
罪からの解放を祈る。
「涅槃」つまり「悟りの境地」は英語で「nirvana(ニルヴァーナ)」といいます。 サンスクリット語を英語表記したものです。 言い換えるなら「a state of being perfect」つまり「完全なる状態」となります。
一般にいう「悟り」の英語は「enlightenment」または「spiritual awakening」です。
I was spiritually awakened at 25.
私は25歳の時、悟りを開いた。
数多い仏教書のうちで最も古い聖典。後世の仏典に見られる煩瑣な教理は少しもなく、人間として正しく生きる道が対話の中で具体的に語られる。初訳より26年、訳文はいっそう読み易くなり、積年の研究成果が訳注に盛られ、読解の助となるとともに、他仏典との関連、さらには比較文化論にも筆が及び興味は尽きない。 まず、仏教について学びたいならこれを。
私は在る。 そして私が在るゆえにすべては在る。 「私は誰か?」という質問に答えはない。 いかなる体験もそれに答えることはできない。 なぜなら、真我は体験を超えているからだ。 この本は難解ですが、超絶おすすめです。
日露戦争に諜報員として満州の野で死線をかいくぐり、奔馬性結核で死に魅入られ、東西の哲学者、宗教家を訪ねても得られなかった、人生の意味。失意の果てに旅先で偶然に会ったヒマラヤのヨガの聖者に導かれ、遂に得た、「積極的人生」の教え。幾多の人々を生き生きと活かした、哲人天風が説く感動の教え。 『アイ・アム・ザット』はかなり難しいので、まず天風先生の本から読み始めると分かりやすいかもしれません。