「足元を見る」の一つ目の意味は「人の弱みを見抜いてそれにつけこむ」、二つ目の意味は「身近なところを見つめる」です。主に一つ目の意味で売買に関して使用されることが多いですが、金銭以外に対しても使用することができます。類語は「内兜を見透かす」など。
「足元を見る」には2つの意味がある慣用句です。 1つ目は「人の弱みを見抜いてそれにつけこむ」です。 人の弱みを見つけ、自分が有利になるように利用しようとたくらむことです。 「足元につけこむ」「足元に付け入る」「足元を見抜く」ともいいます。
2つ目の意味は「身近なところを見つめる」です。 また、「自分の置かれている状況を見定める」という意味があります。 この意味では「足元を見つめる」「足元を見据える」「足元を見立てる」ともいいます。
ちなみに「足元」の漢字は「足下」「足許」とも書きます。 「足元」は「立っている場所の付近」、「足下」は「立っている場所」を表します。 「足下」よりも、「足元」の方が広い範囲を指します。 「足許」は「常用外読み」です。 常用外読みとは、常用漢字表に記載のない読み方のことで、新聞など公的文章では使用されない読み方のことをいいます。 「足下」「足許」でも誤りではありませんが、一般的には「足元を見る」と表記されます。
「足元を見る」の語源は、「旅行者の足の状態をみると金銭状態がわかる」という昔の逸話にあります。 荷物が重ければ草鞋の紐は切れやすく、足取りも前かがみになることから、足元をみて懐具合をはかっていたという話です。 駕籠を担いで人を運ぶ職業の人が、旅行者の足の疲れの状態を見て、とにかく駕籠に乗りたいという心理を利用し、多額の料金をふきかけることもありました。 駕籠とは「人を乗せて人力で運ぶ乗り物」です。 売買や貸借にも同じことがいえ、相手の事情を見透かして相手を操ることを「足元を見る」というようになりました。
「足元を見る」は、主に売買など金銭の交渉をするときに、相手が弱みに付け込んできたり、反対に相手の弱みに付け込むことを言い表すことに使用されます。 例えば、経営がうまくいっていなくて今すぐにでも融資をしてほしいという状態の企業に対して融資をし、高額の利子を支払わせることを「足元を見る」と言い表すことができます。
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「足元を見る」は金銭に対して使用することが多いですが、金銭以外にも使うことができます。 金銭以外に使用する場合も「人の弱みを見抜いてそれにつけこむ」という意味はかわりません。
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「身近なところを見つめる」という意味では、「行き急ぐのではなく、ときには立ち止まって自分の身の回りを見つめることは大切だ」という注意喚起や自戒の意で使うことができます。 ただし「足元を見る」は一つ目の意味で使用されるのが一般的で、「身近なところを見つめる」という意味で使用されることは稀です。
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「足元をすくわれる」はよくある誤用で、正しくは「足をすくわれる」です。 「足をすくわれる」の意味は、「思いがけない手段で、失敗させられる」です。 「すくわれる」の漢字は「掬う」または「抄う」と書きます。 「掬う/抄う」の意味は、「下から上へ急に持ち上げるようにすること、横にはらう」です。 「足元」は上述したように、「立っている場所の付近」です。 足をすくうことはできても、足元をすくうことは不可能であることから「足元をすくわれる」は誤用であるということがわかります。
「足元を固める」の意味は「自分の立場や状況を安定させること」です。 「自分の立っている足元の土を踏みしめて固くすることでしっかりとした地盤を作ることで倒れないようにする」ということを喩えて、自分の立場や状況を安定させることを「足元を固める」といいます。
「足元にも及ばない」は、「相手が優れていて、とても比べものにならない」という意味です。 その人の足元にもよりつけないほど相手に敵わないということを、言い表しています。 「足元にも及ばない」は、「グランプリを受賞するには足元にも及ばない」というように、人だけではなく物に対しても使用することができます。
「足元に火がつく」は、「危険が身近に近づく」という意味です。 すぐそこまで危険が近づいている状態をいう慣用句で、「足元から火が出る」ともいいます。 例えば、「経営難で足元に火がついていた」は「経営難で倒産の危機が迫っている」ということを言い表しています。 「足元に火がついたような大騒ぎだった」というように使用することもできます。
「足元を見てつけ上がる」は、「相手の弱みにつけこみ増長すること」です。 増長とは、無理難題をおしつけるなど相手を見下した言動が増えることをいいます。 「相手の弱点を利用する」という意味では「足元を見る」と同義ですが、「足元を見てつけ上がる」は、より悪意を強調している言葉であるといえます。
「内兜を見透かす」は「うちかぶとをみすかす」と読みます。 「内兜を見透かす」の意味は「相手の内情や弱点を見抜く」です。 「足元を見る」と同義で、「内兜を見る」ともいわれます。 また、「内兜」は「内冑」とも書きます。 「内兜」とは、頭を守る武具である「兜」の内側のことです。 兜の内側を射抜かれると命とりになることから、「弱点を見抜く」という意味で使用されるようになりました。
「生き馬の目を抜く」は「いきうまのめをぬく」と読みます。 「生き馬の目を抜く」の意味は、「生きている馬の目を抜くほど素早く事をしてしまう」です。 抜け目なく、他人を出し抜いて利益を得ることをたとえた言葉です。 「生き埋めの目を抉る(くじる)」ともいいます。 「生き馬の毛を抜く」はよくある誤用です。
「尻毛を抜く」は、「相手の油断につけこんで不意に事をしでかして驚かす」です。 また、人をあなどってだますことです。 「知りの毛を抜く」ともいます。 相手のことを侮ってたくらむという点で「足元を見る」と類語であるといえます。
「痛いところをつく」は、「弱点や急所をねらって攻め立てる」です。 致命的ではないにしろ、欠点や弱点など相手が心に苦しく感じるとことをとらえて攻めることを「痛いところをつく」といいます。 「痛いところをつつく」「痛いところをつつかれる」は誤用です。 「足元を見る」も相手の欠点や弱点を捉えることなので、類語であるといえます。
「不意を打つ」は「ふいをうつ」と読みます。 「不意を打つ」の意味は「相手の油断をみて、いきなり何かをする。驚かす」です。 だしぬけに事をしかけ、思いがけない目に合わせることをいいます。 「弱点につけ込む」というよりは、「驚かす」という意味で使用されるという点では「足元を見る」とは異なります。
「眉毛を読まれる」は「まゆげをよまれる」と読みます。 「眉毛を読まれる」の意味は「自分の心の中を察知される」です。 本心を見抜いてバカにされることをいいます。 「相手を見透かす」という意味で「足元を見る」と類語であるといえます。
「脚下照顧」は「きゃっかしょうこ」と読みます。 「脚下照顧」の意味は「自分の足元をよく見るべきこと」です。 他に対して意見を述べる前に、まず自分のことを戒めなければいけないことのたとえです。 「脚下」は「足元」、「照顧」は「反省してよく確かめること」という意味です。 「照顧脚下」ともいわれます。
「自己省察」は「じこせいさつ」と読みます。 「自己省察」の意味は「自身を省みること」です。 自分自身の行為・生活・性質などを振り返って善悪・是非を考えることをいいます。
「看脚下」は「かんきゃっか」と読みます。 「看脚下」は「自分の足元を見る」ということで、転じて「己の立脚するところをも失うな」という意味で使用されます。 自分を顧みることを忘れず自戒するということです。 「足元を見る」と同義であるといえます。
「take advantage of his/her weakness」で「足元を見る」の意味になります。 「take advantage of...」で「...を利用する」という意味です。 「take advantage of his/her weakness」で「彼/彼女の弱みに乗じて」という意味合いです。
You don't need to be friends with those who would take advantage of your weakness.
足下を見るような奴と友達でいる必要ないよ。
「足元を見る」の意味は「人の弱みを見抜いてそれにつけこむ」「身近なところを見つめる」の二つです。 「足元を見る」の語源は旅人の足の状態から金銭状態を見たという昔の逸話にあります。 主に一つ目の意味で、売買など金銭の交渉をするときに使用する言葉ですが、金銭以外に対しても使用することができます。 二つ目の意味では注意喚起や自戒の意で使います。