「沈黙は金」という格言を知っていますか?「沈黙は金」は「黙ることが時には大切だ」という意味の言い回しです。「沈黙は金」である理由は何か、恋愛でもどんな場合に当てはまるのか、解説していきます。語源や類語も紹介します。
「沈黙は金」は、「ちんもくはきん」と読みます。 「ちんもくはかね」は誤った読み方なので注意してください。
「沈黙は金」は「沈黙は金なり」の省略形です。 本来は断定を意味する助動詞「なり」を付けて使います。
「沈黙は金」を見た時に「ちんもくはかね」と読んだ人や、今までずっと「ちんもくはかね」と読んでいたという人も多いのではないでしょうか。 これは、「時は金なり」が「金」を「かね」と読むことから、同じ「金」を使った表現として混合してしまう為だと考えられます。 「沈黙は金」の「金」は「きん」と読むことが正しいので覚えておきましょう。
「沈黙は金」は、「沈黙することには金に喩えられるほどの価値がある」という意味で使用される言葉です。 例えば、
といったように、色々と弁解してしまったり余計なこと言って相手の機嫌が悪くなってしまいそうなときなど、黙ってたほうが特であると判断される局面に使用されます。
「沈黙は金」は、「沈黙は是なり」とも言われます。 「是(ぜ)」には、「道理にかなっていること・正しいこと」という意味の言葉です。 したがって、「沈黙は是なり」は「沈黙することが正しい」といった意味合いになるので、「沈黙は金」と同じニュアンスであることがわかります。
「沈黙は金」は、「雄弁は銀」と対比の言葉であるとされています。 「雄弁」とは、「人を感銘させるような、堂々たる弁舌」「弁舌が力強く優れている様子」と言い表した言葉です。 つまり「雄弁は銀、沈黙は金」は、「雄弁であること」と、「沈黙でいること」を対比して「沈黙でいることのほうが称賛される」ということを言い表しています。 「金」と「銀」をで比べると、現代では圧倒的に「金」のほうが価値がありますよね。 したがって、「雄弁は銀」で「沈黙は金」と表現されるというわけです。
「沈黙は金」の類語は、「言わぬが花」や「口は災いの元」といった「黙っていたほうが良い」というニュアンスで使用されることわざになります。
「言わぬが花」は、「はっきり言わないほうが趣がある」という意味のことわざです。 「物事は、露骨に言葉にして言い表すと興醒めしてしまうのであり、言わない方が味がでる」ということを言い表しています。 例文
「口は災いの元」は、「不用意な発言は自分自身に災いを招く結果がある」という意味で、「言葉は十分に慎むべきである」という教訓として使用されることわざです。 例文
「沈黙は金」の類語として、「言わぬが仏」という言葉が挙げられがちですが、「言わぬが仏」という言葉は存在しません。 「言わぬが仏」は、「知らぬが仏」の誤用であると考えられます。 「知らぬが仏」は「知らないほうが幸せである」という意味で使用されることわざです。 「知らぬ」を「言わぬ」に言い換えることで「言わないほうが幸せ」という意味として使うことができそうに感じてしまいますが、「言わぬが仏」とは言わないので注意してください。
「沈黙は金」の英語は「Speech is silver, silence is golden」といいます。
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「Speech is silver, silence is golden」の語源はラテン語「La parole est d'argent et le silence est d'or.」です。
上述しているように、「雄弁」と「沈黙」を対比して「黙っているほうが価値がある」ということから「雄弁は銀」「沈黙は金」と表現されていますが、昔は「銀のほうが金より価値が高かった」という説があります。 元々「雄弁は銀・沈黙は金」という言葉が使われはじめた時代は、議論を上手くすることができないと、仕事ができないとされていて「雄弁であるほうが沈黙でいることよりも価値がある」と考えられていました。 しかし、次第に「金」の価値が「銀」の価値を上回るようになっていったことで、「金」という表現を使用している「沈黙」のほうが価値があるという意味合いで使用されるようになりました。 このように、言葉というのは時代の流れで読み方が変わったり、意味合いが変わってくることがあります。 ここから言えるのは、「金」と「銀」は両方価値のあるものであるため、決して「雄弁ではいけない」という意味ではないということです。 「雄弁であることにももちろん価値はあるのだけれど、沈黙でいたほうが良い時もあります」という意味になります。
「沈黙は金」は、聖書でも「ダビデの沈黙」として登場します。 「ダビデの沈黙」を要約すると、 「イスラエル第二代目王ダビデはという、語ることにおいて優れた才能をもっていましたが、自分には何も希望も見出さず、ただひたすら神だけに信頼をよせていた。 しかし、実際に神を目の前にするときは、必ず沈黙しました。 ダビデはどんな困難に襲われても「救いはただ神からくる」と心から信じるゆるぎない基礎があったので沈黙を貫き、神の前に立つときは、自らを装う必要も、ふさわしくない自分を弁解する必要もないとして どんなときもひたすら神の前に沈黙して立ち続たのだ」 といった内容の話になります。 「助けてください神様お願いします」など願うのではなく、沈黙のまま神に向かい「あなたを信じています」という姿をみせ続けたということです。
「沈黙は金」は、映画のタイトルとしても使われてします。 「沈黙は金」は、1946年に製作されたフランスの作品です。 映画の撮影所を舞台に、二人の男性が同じ女性を好きになってしまうというストーリが繰り広げられるコメディ映画となっています。
「沈黙は金」という言葉について理解していただけたでしょうか? 言葉巧みにあれやこれやと弁論できる力も大切ではありますが、「沈黙は金」が表現しているように、
というような、グッと堪えることも時には大切だという意味の座右の銘として日々心に留めている人もいます。 つまり、不用意な一言が状況を悪化させてしまったり、自分の信用を失うことになりかねないということです。 だからと言って、ただ黙っていることが必ずしも良いとは限りませんので、いかに沈黙を使い分けるかが重要な選択であるということですね。
例文
まずは、あれやこれやと自分の考えや思ったことを雄弁に語るよりも、相手の話に耳を傾けるべきであるということです。 そもそも、お互いが自分の考えを主張しあってしまっては、収拾がつかなくなってしまいますよね。 つまり、まずは相手の話に耳を傾け、最初にこちらが受け入れる姿勢を見せるほうが賢いということです。 そうすることで、相手に自分の意見を伝えやすくする効果もあります。
相手の感情が高ぶってしまっているときは、こちらの意見を聞いてもらえないどころか、余計なことを言ってさらに相手をヒートアップさせてしまう場合があります。 そのような場合は、まずそもそも相手に聞く耳をもってもらえていないので何を話しても大抵は自分の都合の良いように解釈されてしまうか、最悪口論へと発展してしまい逆効果なのです。 そのような時は、まさに「沈黙は金」黙っていたほうが事が上手く進むことでしょう。
状況にもよりますが、例えば自分が何かミスをしてしまって、相手に責められているような場面で、あれやこれや言ってしまうと、「必死に言い訳をしている」と捉えられてしまう可能性があります。 また、他の人に責任を押し付けているような印象を与えてしまいますし、何をそんなに焦っているのだろう・・・と思われてしまうこともあります。 少なからず自分に非があることが確実である場合は、ひとまず相手の言っていることを素直に受け止めるべきだといえるでしょう。
お互いの意見が食い違っているような場面では、お互いに感情的になっていて冷静でないことがあります。 お互いが感情的になっていて、冷静ではない状態で話し合いを続けても、話は平行線のままで時間を無駄にしてしまう可能性があります。 そういった場合は、時間をおいて冷静になることが必要なので、一度沈黙となって相手が落ち着くのを毅然とした態度で待つほうがいいということが考えられます。
例えば、相手のミスを発見したといったような場合では、注意することも大切ではありますが、「誰にでもこういうミスをするときってあるよね」というような小さなミスで、いちいち文句をいったり、嫌味をいったりすると「器が小さいんだな」と思われてしまうことがあります。 大したことでないのならば、「沈黙は金なり」で黙っていて、尚且「疲れているのかな」「忙しくて大変なのかな」と気遣う余裕があるほうが望ましいです。
いちいち人の言うことにつっかかったり、言い返したりしていると「この人余裕がないんだな」と相手は思うことでしょう。 例えば、営業で相手に検討をしてもらっているような場面で、あまりにもしつこく連絡をしたり「どうですか?どうですか?」と必死にアピールすると、「この人どうしても売りたくて余裕がなくなってしまっているんだな」と思いますよね。 何事も「押す時は押す」「引く時はひく」で沈黙を上手く使いながら冷静さを見せたほうがいいと言えるでしょう。
会社の同僚や部下などといった、自分より下であると判断している人のやることに対しては、あれやこれやとついつい口を出してしまうという人も多いかと思います。 しかし、時には相手の行動を黙って見守るべきときもあります。 いちいち、「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」ということは、相手の成長の妨げになっている場合があります。 つまり、黙って見守って、相手が困った時にすっと手を差し伸べることが相手のためになるということです。
どんどん勢いで会話を進めていってしまうと、個人情報に関することなど無意識に余計なことを喋ってしまう可能性があります。 特に社外の人などプライベートでお付き合いをしている人じゃない場合など、余計な情報を与えるできではない状況もありますし、言ってはいけないことまで喋ってしまうリスクがあります。 このままだと勢いで余計なことまで言ってしまいそうだ・・・という意識があるときは気持ちを落ち着かせるためにも、逆に相手の話を聞くようにするなど沈黙を意識してみるべきです。
「黙っていれば美人なんだけど」というセリフがあるように、喋りすぎることによって自分のイメージを悪くしてしまう可能性があります。 基本的に、家族やプライベートでお付き合いのある気心しれた友人の前以外では、沈黙を上手に使うべきであると言えるでしょう。 個人のイメージが悪くなってしまうと、会社として取引をしている場合であっても会社同士のやりとりがスムーズにいかなくなってしまうこともあります。 迂闊に素をさらけ出してしまうよりは、ゆっくり自分のことを知ってもらい、相手のことを知っていくことで、お互いの心の距離を縮めていったようが効果的であると考えられます。
合コンや婚活パーティ位など異性との出会いの場では、ガツガツといくよりも、控えめなほうが相手に好印象を与えることが多いです。 男性は、若干の積極性も必要とされますが、女性は少し控えめに様子を伺っているほうがいいと言えるでしょう。 初対面の人に、自分の話ばかりをべらべら喋ってしまうのはNGです。 初対面なのにも関わらず、自分が興味のない相手に自分の話をべらべらと話されても困ってしまいますよね。 従って、初対面の人に良い印象を与えたいのであれば、「沈黙は金」で、話を聞く側に徹するほうが望ましいです。
恋愛において、相手に興味をもってもらいたいと思うのならば、自分のことをどんどん話して気を引こうとするのは逆効果です。 何かを聞かれても、明確な答えは答えずに曖昧な返事をするなど、相手に「もっと知りたい」と思わせることが大切になってきます。 つまり、「沈黙は金」でミステリアスさを出し、自分に興味・感心をもってもらうということです。
新しい恋愛に進もうとしているのならば、過去の恋愛遍歴をべらべらと話すことは望ましくないです。 なぜなら、「こんなに恋愛経験があります!」とひけらかしているようにも感じられますし、それを聞いてを引いてしまう人も少なくありません。 また、過去の恋愛遍歴を聞いて、「この人とはお付き合いできないな」と判断されてしまうことも。 別れた人の悪口を言うなんてことはもっての他です。 本当にモテる人は、過去の恋愛なんてどうでもいいので、何かを聞かれて質問に答えることはしても、過去の恋愛遍歴においては「沈黙は金」ということを心得ています。
「相手の浮気」が発覚してしまったとき、ついつい「どういうこと?」と問い詰めたくなってしまいますが、すぐに問い詰めてしまうのは好ましくないです。 もしかしたら、勘違いかもしれませんし、そうした場合「信用してくれてないんだね」と相手に失望され、こちらの側のみの「非」になってしまう可能性もあります。 相手が「浮気をしている」と思っても「沈黙は金」です。 落ち着いて様子を伺いことも大切で、何より感情的にならないよう落ち着く時間が大切であるということが考えられます。
彼氏と喧嘩をしてしまった時、とくに女性は感情的になりヒステリックに相手と接してしまうということがあります。 男性は「ヒステリックな女性」に苦手意識がある人が多く、「もう無理だ、別れよう」といわれかねません。 冷静にならなければ、相手ときちんと話し合うこともできませんので、一度離れて落ち着くまで「自分から連絡をしない」などの「沈黙は金」の姿勢を見せることが効果的です。
別れたけど、今でも未練が残っていて、「よりを戻したい」と思うのであれば「沈黙は金」です。 しつこく、付き合っていた頃のようにLINEなどを入れてしまいますが、これは逆効果です。 「しつこい」と言われてしまうだけです。 長く付き合っていればいるほど「情」がわく物なので、暫くすれば向こうも、「そういえば、どうしてるのかな」といったように気にかけることがある確立が高いです。 そのときが、別れた彼から連絡をくるタイミングともいえるでしょう。 その時に、再び距離を縮められれば復縁することも望めるかもしれません。