「蝶よ花よ(ちょうよはなよ)」の意味は「子供を大切に育てるさま」です。今回は「蝶よ花よ」の正しい意味や使い方を例文付きで紹介します。語源や類語、対義語なども合わせて紹介しますのでぜひ参考にしてください。
「蝶よ花よ」の読み方は「ちょうよはなよ」です。 「蝶」は音読みで「チョウ」、「花」は訓読みで「はな」と読みます。
「蝶よ花よ」は「子供を大切に育てるさま」です。 親が我が子を可憐で美しいものとして、慈しむ意味合いがあります。 我が子を褒めるのではなく、親の子供への対応を言い表す言葉です。 一般的に女児に対して主に使う言葉ですが、男児にも使うことも可能です。
「蝶よ花よ」の語源は、10世紀末に中宮となった関白藤原道隆の娘、定子が清少納言に詠んだ、 「みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける」という歌であるといわれています。 訳は「世間の人がみな、花や蝶やといそいそと美しいものに浮かれる日も、あなただけは私の本当の気持ちをしってくれているのですね」です。 これは、父道隆の死後、権力者である藤原道長の娘、彰子が中宮に立ち、周囲の感心が定子から彰子にうつったときに、皆が彰子にこびへつらう様子を見て詠まれた歌です。 「花や蝶や」は華麗で美しく、いつくしむものの喩えとして使用されています。 平安時代には「花や蝶や」といい、江戸時代に「蝶や花や」、明治時代に「蝶よ花よ」と変化していきました。
「蝶よ花よ」は「ちやほや」の語源にもなっています。 「蝶よ花よ」が短縮されて「ちやほや」と言われるようになったと言われています。 「蝶よ花よ」は上述したように、親が我が子を可憐で美しいものとして、慈しむ意味合いで使用されます。 「ちやほや」は、「ご機嫌をとったりおだてたりして、その人をいい気にさせたり甘やかす」で、「蝶よ花よ」よりも広い意味で使用されます。
「蝶よ花よ」は、「蝶よ花よと育てる」などと子供に対して使用されます。 「親が我が子を可憐で美しいものとして慈しみ、大切に育てる」というというポジティブな意味で使用されることが多いですが、「過保護すぎる」「甘やかしている」というネガティブな意味で使用されることもあります。 他人に対して使用する場合は、子供への接し方や、自分が育ってきた環境を否定されていると思われてしまう可能性があるので注意しましょう。
例文
「蝶よ花よ」は恋愛においても使うことがあります。 「蝶よ花よと可愛がる」というように、恋人を非常に愛し可愛がるという意味で使用されます。 ただし、恋愛において使うことは稀で、子供に対して使うのが一般的です。
例文
「手塩にかける」は「てしおにかける」と読みます。 「手塩にかける」の意味は「みずから世話をして大切に育てる」です。 「手塩」は、昔それぞれの食膳に添えていた少量の塩のことです。 各自でその塩で自習に料理に味を調節していたことから、「自分で面倒を見る」という意味で使用されるようになったと言われています。 漢字表記は「手塩に掛ける」ですが、「かける」は平仮名表記が多いです。 「手塩をかける」は誤用です。
「舐犢の愛」は「しとくのあい」と読みます。 「舐犢の愛」の意味は「親が子を溺愛すること」です。 「舐犢(しとく)」は、「親が子牛を愛し舐めてやること」という意味です。 そこから転じて、親が子を分別を欠いて溺愛する様子を言い表す言葉として使用されるようになりました。 ただ親が子を愛するのではなく、むやみに愛するというネガティブな意味で使用されます。
「箱入り娘」は「はこいりむすめ」と読みます。 「箱入り娘」の意味は「大切に育てられた娘」です。 箱に大事にしまってめったに見せないように、外出もさせないほど大切に育てられた娘のことをいいます。 「世間知らず」という嫌味で使用されることもあります。
「目に入れても痛くない」は「めにいれてもいたくない」と読みます。 「目に入れても痛くない」は、「可愛くてたまらない様」です。 普通、異物が目に入ってしまうと痛くてたまらないですが、溺愛している者の場合は可愛さが勝って痛く感じないということを言い表しています。 子供だけではなく、孫やペットなど多くの対象に使用することができます。 「目の中に入れても痛くない」ともいいます。
「乳母日傘」は「おんばひがさ」と読みます。 「乳母日傘」の意味は「子供を大事に守り育てること」です。 「おんば」は「おうば」から転じたもので、その昔大家では子どもたちには乳母(母親に代わって子育てをする女性)がつけられ大切に教育されていたことから、大事に育てられていることを言い表す言葉として使用されるようになりました。 「おんばひからかさ」ともいいます。 「おんぶ日傘」は、いい気になって人に頼るという意味の「おんぶに抱っこ」と混合された誤用です。
「甘やかす」は「あまやかす」と読みます。 「甘やかす」の意味は「わがままを許したままにしておく」です。 子供や部下など目下の者を、かわいいからといって度を越して甘えさせてしまうことをいいます。 「甘やかす」は、「ろくにしつけず、わがままに育てる」というネガティブな意味で使用されます。 「蝶よ花よ」は、「機嫌をとったり、おだてたりして大切に扱う」という意味です。
「バカ親」の意味は「子供を非常にかわいがっている人」です。 子供を可愛がるあまり、わがままを許したままにするなど親としてあるまじき行為をしてしまう人のことをいいます。 「子供を可愛がっている・大切にしている」という意味では「蝶よ花よ」の類語であると言えますが、「バカ親」はネガティブな意味で使用される言葉です。
「可愛い子には旅をさせよ」は「かわいいこにはたびをさせよ」と読みます。 「可愛い子には旅をさせよ」の意味は「子供が可愛いならば、世の中の辛さを経験させよ」です。 本当に子供がかわいいなら、甘やかすのではなく世の中の辛くて苦しい現実をつぶさに体験させたようがよいという教えです。 「旅」は「苦難」のたとえで使用されています。 「愛しき子には旅をさせよ」「可愛い子は棒で育てよ」ともいいます。
「獅子の子落とし」は「ししのこおとし」と読みます。 「獅子の子落とし」の意味は「自分の子を苦難の環境において、その器量を試すこと」です。 獅子は子を生むと、子を千刄の谷に投げこみ、生き残ったものばかりを教育するという言い伝えから、我が子に苦しい試練を与えて立派な人間に育てようとすることのたとえで「獅子の子落とし」というようになりました。 「親の甘いは子に毒薬」ともいいます。
「蝶よ花よ」の英語は「bring up with love」です。 「love」の代わりに「affection」を使ってもよいでしょう。 「bring up」は「育てる」という意味です。 「with love」は「愛をもって」です。
She has brought up her son with so much love.
彼女は息子を蝶よ花よと育てた。