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「日の目を見る」の意味と使い方、語源、誤用、類語、対義語、英語を例文つきで解説

「日の目を見る」の意味は、「それまで埋もれていた物事が世間に知られるようになること」です。特に、不遇であった存在がようやく世間の注目を浴びることをいいます。「日の目」とは「太陽の光」を指します。「陽の目を見る」「日の目を浴びる」は誤用なので注意です。

「日の目を見る」とは

「日の目を見る」の意味

「日の目を見る」の意味は、「それまで埋もれていた物事が世間に知られるようになること」です。 特に、不遇であった存在がようやく世間の注目を浴びることを「日の目を見る」といいます。 また、「埋もれていたものではないが単に世間に公表される運びになる」という意味で使う場合もあります。

「日の目を見る」の語源

「日の目」とは「日の光」「太陽の光」のことです。 沈んでいた太陽が昇り、日の光が差して暗い場所が明るい場所になる様子から、それまで暗い場所にいた物や人が明るく照らされ人の目に触れるようになることを「日の目を見る」というようになりました。 芥川龍之介の『羅生門』では「日の目が見えなくなると、誰でも気味悪がって...」というように「日の光」「太陽の光」という意味で「日の目」を使用されています。 夏目漱石の『坑夫』では「坑夫と云えば、名前の示すごとく、坑の中で、日の目を見ない実業家である」という一文があり、この頃から「それまで埋もれていた物事が世間に知られるようになる」という意味で「日の目を見る」という言葉が使われています。 稀に文字通り「太陽の光をうける」という意味でも使うことがあります。

「日の目を見ることがない」「日の目を見るがくる」などと使う

例えば、売れない俳優が下積み時代を経て、人々から注目されるようになってきたというな状況を「日の目を見ることになった」などと言い表すことができます。 反対に、なかなか努力が報われないという状態を「日の目を見ない」「日の目を見ることがない」といいます。 また、なかなか努力が報われない人に対して「いつか日の目を見る日がくるよ」などと励ますときに使用することもできます。

例文

  • 作家としてようやく日の目を見る。
  • デビューして二十年後、やっと日の目を見ることになった
  • 日の目を見るのはいつのことだろう。
  • この作品は十年ぶりに日の目を見た幻の映画だ。

「日の目を見る」の誤用に注意

「陽の目を見る」「日の芽を見る」は誤記

「陽」にも「日の光」という意味がありますが、「陽の目を見る」は誤記です。 「陽」も訓読みで「ひ」と読むこともできます。 ただし、「ひ」は表外読みであり基本的に「陽光」のように「ヨウ」と読む場合に漢字で表記されます。 表外読みとは、「常用漢字表」に表記されていない読み方のことで、新聞など公的な文章では使用されません。 「日の芽を見る」も誤記です。 「成功の兆しが見える」「認められはじめる」という意味の慣用句の「芽が出る」と混同し誤用する人が多くいます。

「日の目を浴びる」は誤用

「日の目を浴びる」もよくある誤用です。 「浴びる」には光線、煙、粒状のものなどを「全身に受ける」という意味があります。 「日の目」は「太陽の光」なので、「太陽の光を全身にうける」という意味でも使用できそうな気もしますが、「日の目を浴びる」という慣用句はありません。 「脚光を浴びる」と混同して使用している人が多いですが注意してください。

「日の目を当てる」とも言わない

「日の目を当てる」も誤用です。 「太陽の光を当てる」という意味で使用できそうな気もしてしまいますが、上述したように「日の目を見る」で一つの慣用句です。 「日の目を当てる」という慣用句は存在しません。

「日の目を見るより明らか」も誤用

「日の目を見るより明らか」も多い誤用の一つです。 「日の目を見るより明らか」を正しくいうのなら「火を見るより明らか」で、「明白で疑う余地がないさま。明々白々である」という意味の慣用句です。 「火を見るより明らか」は「日」ではなく「火」です。 「日の目を見る」「火を見る」の部分を混同してしまう人が多いので注意しましょう。

「日の目を見る」の類語

実を結ぶ

「実を結ぶ」の意味は

  1. 植物の果実がなる
  2. 努力の末、よい結果を得る

です。 2つ目の意味で「日の目を見る」と類語になります。 長い間努力していたことが報われることを「実を結ぶ」といいます。

脚光を浴びる

「脚光を浴びる(きゃっこうをあびる)」の意味は、

  1. 舞台に立つ。脚本が上映される。
  2. 社会の注目の的となる。

です。 2つ目の意味で「日の目を見る」と同義です。 「脚光」は、舞台全面の床に取り付け、俳優・歌手などを足元から照らす照明のことです。 「脚光を集める」はよくある誤用です。 「注目の的になる」という意味から「注目を集める」と同じように「脚光を集める」といいたくなってしまう人が多いのでしょう。

好事門を出でず悪事千里を行く

「好事門を出ず悪事千里を行く」は「こうじもんをいでずあくじせんりをゆく」と読みます。 「好事門を出ず悪事千里を行く」の意味は、「良いことは、なかなか世の中に伝わりにくいのに、悪いことをはすぐに広まる」という意味です。 中国の「北夢瑣言(ほくむさげん)」にある言葉です。 「日の目を見る」は「努力が報われる」というようなポジティブな意味で使用されますが、「好事門を出でず悪事千里を行く」は「悪い面はすぐに広まる」というネガティブな意味で使用されます。

埋もれ木に花咲く

「埋もれ木に花咲く」は、「土の中に埋もれている木が芽を出して花を咲かせること」です。 「長い間忘れられていた人に、思いがけない幸運が訪れて再び活躍できること」を「埋もれ木に花咲く」といいます。 「埋もれ木に花咲く」の類語は、「炒り豆に花」「老木に花咲く」「枯れ木に花」です。 「日の目を見る」は、元から注目されていなかった人が注目されるようになることなので、若干意味合いは異なりますが、類語であるといえます。

雨垂れ石を穿つ

「雨垂れ石穿つ」は「あまだれいしうがつ」と読みます。 「雨垂れ石穿つ」は、「同じところに落ちる雨垂れが長い時間をかけて石に穴をあけるように、非力でも根気よく続ければ必ず成功する」という意味です。 「点滴石を穿つ」ともいいわれます。 「辛抱して続ければ必ず報われる」という意味で使用される言葉なので、それまで暗い場所にいた人が、努力を続けることで明るく照らされるという意味の「日の目を見る」と類語になります。

石の上にも三年

「石の上にも三年」は、「冷たい石の上でも三年座り続ければあたたまる」ということから、「たとえ辛くても、辛抱強く頑張ればやがて報われる」という意味で使用されていることわざです。 「日の目を見る」は、長年辛抱してやっと注目されることを言い表す言葉なので、辛抱することで報われる努力があることを言い表す「石の上にも三年」は類語であるといえます。

「日の目を見る」の対義語

徒労に帰す

「徒労に帰す」は「とろうにきす」と読みます。 「徒労に帰す」の意味は「骨折ってきたことが無駄に終わる」という意味です。 「骨折って」は、「苦労すること、力を尽くすこと」です。 似た言葉に「水泡に帰す」があります。 「水泡に帰す」も「努力が無駄になること」で、同義です。 「徒労に帰す」は、積み重ねてきた努力が報われることなく無駄になってしまうことを言い表す言葉なので、「日の目を見る」の対義語であるといえます。

骨折り損のくたびれ儲け

「骨折り損のくたびれ儲け」は「ほねおりぞんのくたびれもうけ」と読みます。 「骨折り損のくたびれ儲け」の意味は、苦労したことが何も効果ももたらさず、ただ疲労という結果だけが残ることです。 努力が報われず無駄になってしまうことを言い表す言葉なので、努力が報われることを意味する「日の目を見る」の対義語になります。

好事門を出でず

反対語の解釈にもよりますが、「好事門を出でず」も「日の目を見る」の反対語に挙げることができます。 「好事門を出でず」は「こうじもんをいでず」と読みます。 「好事門を出でず」は「よいことは世の中に広まらない」という意味です。

「日の目を見る」の英語

see the light of day

「日の目を見る」の英語には「see the light of day」があります。 「see the light of day」は「生まれる。誕生する」という意味があり、そこから転じて「日の目を見る。世の中で初めて認められる」という意味でも使います。

His works never saw the light of day.

彼の作品は日の目を見ることはなかった。

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