「人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)」は「他人に害を与えれば自分も害を受ける」という意味のことわざです。「人を呪わば墓二つ」の由来は、平安時代の陰陽師が呪術で人を呪い殺すときに、呪い返されることを覚悟して、呪う相手の分と自分の分の合わせて二つの墓穴を用意させていたことにあります。
「人を呪わば穴二つ」の読み方は「ひとをのろわばあなふたつ」です。 「人」は訓読みで「ひと」、「呪」は訓読みで「のろう」、「穴」は訓読みで「あな」と読みます。
「人を呪わば穴二つ」の本当の意味は「他人に害を与えれば自分も害を受ける」です。 他人を陥れようとしたり、不幸が訪れる用に願うと自分も同じ報いが訪れるということを言い表しています。その他の解釈はありません。 「穴」とは「墓穴(ぼけつ)」のことです。 「墓穴」は、死体を埋葬する穴のことです。 「のろわば」は「呪う」の未然形に接続助詞「ば」をつけた言葉です。 「人を呪えば穴ふたつ」「人を祈らば穴二つ」「人を呪えば身も呪う」ともいいます。 「祈る」には「祈り殺す」と使用されるように、「のろう」という意味もあります。
「人を呪わば墓二つ」は誤用です。 「墓」は、個人を弔う構造物のことで、一般的に墓石・墓碑などの目印をおいたものを指します。 「人を呪わば穴二つ」の「穴」は「墓穴」であり「墓」ではないので注意しましょう。
「人を呪わば墓二つ」の由来は、平安時代の陰陽師です。 「陰陽師」とは、陰陽道に基づいて卜筮(ぼくぜい)、天文、歴数をつかさどり、吉凶災福を察知し、呪術により除災を行う術士のことです。 陰陽師の仕事の中には、人を呪い殺すということもありました。 その呪術の際に、陰陽師は呪い返されることを覚悟して、呪う相手の分と自分の分の合わせて二つの墓穴を用意していました。 依頼であるとはいえ人を呪って命を奪うということは自分も呪い返されて当然とし、陰陽師は呪術で人を呪い殺すときは自分も命を落とす覚悟で挑んでいたのです。 この陰陽師の姿勢から、「他人を陥れたり、その人の不幸を願うということは自分にも同じ報いが訪れると思うべきだ」という戒めの言葉として「人を呪わば穴二つ」といわれるようになりました。
「人を呪わば穴二つ」は、例えば誰かの不幸を願うような発言をしている人や、他人に意地悪をしているような人に対して、「そんなことをしていると自分に返ってくるよ」と注意をするときなどに使用されます。 「人を呪わば穴二つだ/である」と断定したり、「人を呪わば穴二つというが」などと引用をする形で使用されることが多いです。
例文
「人を呪わば穴二つ」は、自戒の言葉としても使用されます。 「自戒(じかい)」とは、「自分の行動を自分でいましめ慎むこと」です。 「あんな人この世からいなくなってしまえばいいのに」と思ったり、「失敗して痛い目を見てほしい」など、相手に対して不の感情を抱いてしまったときに自戒の意味で口にだすことで気持ちを落ち着かせることができるでしょう。
例文
「剣を執る者は剣で亡ぶ」は「けんをとるものはけんでほろぶ」と読みます。 「剣を執る者は剣で亡ぶ」の意味は「剣を使うものは敵を倒すことが多いが、いずれは自分も剣によって倒される」です。 これは新約聖書「マタイによる福音書」に書かれている「剣をさやにおさめなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」というキリスト教の一言が語源となっています。 武器をとれば余計に争いが大きくなり、自分も武器によって滅びるときがいつかやってくるというイエスの教えです。
「人を謀れば人に謀らる」は「ひとをはかればひとにはかられる」と読みます。 「人を謀れば人に謀られる」の意味は「人をだまそうとすると、自分もだまされる」です。 他人をひっかけてやろうと悪巧みをする者は、自分もいつか他人にひっかけられて大損をするということを言い表しています。 「人を呪わば穴二つ」のように、「他人を陥れようとすると自分も同じ報いが訪れる」という意味のことわざです。
「人捕る亀は人に捕られる」は「人をそこねようとすると、かえって自分が災いを受ける」です。 人を食べようとした大亀が、かえって人に捕まえられることから、他人に危害を加えようとすると自分もひどい目に合うという喩えで「人捕る亀は人に捕られる」といわれるようになりました。
「狩人罠にかかる」は「かりゅうどわなにかかる」と読みます。 「狩人罠にかかる」は「人を陥れようとたくむと、逆に罠にかかり災難にあう」です。 獲物をねらって仕掛けたはずの罠に狩人自身が罠にかかる様子にたとえたことわざです。
「悪事身にとまる」は「あくじみにとまる」と読みます。 「悪事身にとまる」の意味は「自分で犯した悪事は自分に返ってくる」です。 悪行は、たとえ他人に知られずに済んだとしても、やがて我が身に跳ね返ってくるということを言い表したことわざです。 「悪事身に返る」ともいいます。
「天に唾する」は「てんにつばする」と読みます。 「天に唾する」の意味は「人に害を与えようをすると、自分が被害を受ける」です。 天に向って唾を吐けば、それがそのまま自分の顔面に落ちてくることから「天に唾する」といいます。 「天に向かって唾を吐きかけるような無礼を働く」という意味で使用するのは誤りです。 「お天道様に石」ともいいます。
「因果応報」は「いんがおうほう」と読みます。 「因果応報」の意味は「過去の行いの報いがあること」です。 「因果応報」は仏教で、前世や過去の行いが善悪に応じて必ずその報いがあるということを言い表しています。 現在では「悪い行いをすると悪い報いを受ける」という意味で使用されることが多いですが、本来は「善い行いは善いことをして自分に返ってくる」という意味もあるので、「人を呪わば穴二つ」とは若干意味が異なります。 「人を呪わば穴二つ」には「善いことも自分に返ってくる」という意味はありません。
「同害報復」は「どうがいほうふく」と読みます。 「同害報復」の意味は「同一の加害によって報復を行う刑罰」です。 被害に相応した報復または制裁を与えることをいいます。 「人を呪わば穴二つ」は、人に与えた害は自分に返ってくるという戒めの言葉ですが、「同害報復」は「同じ報復を与えてやろう」という意味の言葉なので、対義語にあたります。
「目には目を、歯には歯を」は「めにはめを、はにははを」と読みます。 「目には目を歯には歯を」の意味は「自分がうけた害に対して、同様の仕返しをすること」です。 紀元前十八世紀に成立した「ハムラビ法典」にある言葉が由来で、旧聖書にも「命には命で、目には目で、歯には歯で、手には手で、足には足で、火傷には火傷で、傷には傷で、打ち身には打ち身で償わなくてはならぬ」という言葉が記されています。 この言葉は「受けた害と同一の害を加えることしか許さない」という意味もあり、それまで行われてきた無制限の復讐を制限した言葉であるともいえます。
「肉を切らせて骨を断つ」は「にくをきらせてほねをたつ」と読みます。 「肉を切らせて骨を断つ」の意味は「自分が相当の痛手を受けても、敵にはそれ以上の打撃を与えて打ち勝つ」という意味です。 自分より強い相手と、捨て身で戦う覚悟をいい表すことわざです。 「骨を断たせて肉を切る」は誤用です。
「人を呪わば穴二つ」の英語は「Curses return upon the heads of those that curse.」です。 「呪いは呪う人の頭上に帰ってくる」という意味です。
「人を呪わば穴二つ」の本当の意味は「他人に害を与えれば自分も害を受ける」です。 他人を陥れようとしたり、不幸が訪れる用に願うと自分も同じ報いが訪れるということを言い表しています。その他の解釈はありません。 「人を呪えば穴ふたつ」「人を祈らば穴二つ」「人を呪えば身も呪う」ともいいます。