「異彩を放つ(いさいをはなつ)」の意味は「きわだってすぐれて見える」です。「異彩を放っている」「異彩を放っていた」という形で、基本的にはよい意味で使用されます。ただ、他と違うことや目立つことをネガティブに捉える人もいるので注意が必要です。
「異彩を放つ」の読み方は「いさいをはなつ」です。 「異彩を放つ」の意味は「普通とは異なった色どりや光を出す」です。 転じて「きわだってすぐれて見える」という意味でも使用されます。 「周囲と比べて才能や技量がきわだって優れていて目立っている」ということを言い表します。
「異彩を放つ」を「異才を放つ」「偉彩を放つ」と書くのは誤用です。 「異才」は「人並みでないすぐれた才能」という意味です。 「異才を放つ」では「人並みでないすぐれた才能を放つ」という意味になってしまうので不自然です。 「偉彩」という言葉はそもそもありません。 書き間違いのないよう注意しましょう。
「異彩」の意味は「普通と異なった色彩」です。 「放つ」の意味は「あることから激しく出す」です。 よって「異彩を放つ」の原義は「周囲とは異なった色彩を激しく出す」という意味です。 ここから、転じて「他の人とは違ったすぐれた才能や個性をありありと出している」ということを言い表す言葉として使用されるようになりました。
「異彩を放つ」は、よい意味でも悪い意味でも使うことができる言葉です。 基本的には、「他の人よりも際立ってすぐれている」という褒め言葉で使用されます。 「異彩を放っている」「異彩を放っていた」という形で、例えば学校など集団で何かをするときに一人だけ優れていて目立っているということを言い表すときに使用することができます。 強調表現には「一際異彩を放つ」があります。 「一際」は「ひときわ」と読みます。「いっさい」と読まないように注意です。
「異彩を放つ」の例文
「異彩を放つ」は、上述したように基本的にはよい意味で使用されます。 ただし、他と違うこと、目立つことをネガティブに捉える人もいるので褒め言葉として使う場合は注意しましょう。
「異彩を放つ」(悪い意味)の例文
「異彩を放つ」は、人だけではなく作品などに対して使うこともできます。 例えば「異彩を放つ商品」であれば、他の商品よりきわだって優れていることを言い表しています。
人以外に作品などに使う「異彩を放つ」の例文
「目立つ」は「めだつ」と読みます。 「目立つ」の意味は
です。 存在や状態が、他からはっきり区別されて見えるということを言い表す言葉で「異彩を放つ」と同義であるといえます。
「常ならず」は「つねならず」と読みます。 形容動詞「常なり」の未然形「つねなら」に打ち消しの助動詞「ず」をつけた言葉です。 「常ならず」の意味は
です。 二つ目の意味で「異彩を放つ」の類語になります。
「卓抜」は「たくばつ」と読みます。 「卓抜」の意味は「他にぬきんでてすぐれてること」です。 普通の人にはまねができないほどずばぬけてすぐれていることを言い表します。 他よりきわだって才能や技術があることを言い表す言葉なので「異彩を放つ」の類語であるといえます。
「異能」は「いのう」と読みます。 「異能」の意味は「ふつうの人にはない、すぐれた才能」です。 人より際立ってすぐれた才能を言い表す言葉です。
「奇傑」は「きけつ」と読みます。 「奇傑」の意味は「言行が普通の人と変わっている偉人」です。 めずらしく優れた人物を指して使用する言葉です。 すぐれた人物に対して使用する言葉であるという点で類語であるといえますが、「奇傑」は「変わっている」というニュアンスがあるという点で「異彩」とは異なります。
「鶏群の一鶴」は「けいぐんのいっかく」と読みます。 「鶏群の一鶴」は「凡人の中に一人だけすぐれた人物がまじっていること」です。 鶴(つる)ともなれば、鶏の群れの中にあってもひときわ目を引くのだということにたとえています。 「異彩を放つ」も、ひときわすぐれていることで目立っている様子を言い表す言葉なので類語であるといえます。
「どんぐりの背くらべ」は「どんぐりのせくらべ」と読みます。 「どんぐりの背くらべ」の意味は「似たりよったりで、特にすぐれたもののないこと」です。 どんぐりはみな同じような大きさで、あまり差のないことから、みな似たりよったりの平凡な能力で抜きん出てすぐれたものがないことを「どんぐりの背くらべ」といいます。 「異彩を放つ」は「周囲と比べて才能や技量がきわだって優れている」という意味なので「どんぐりの背くらべ」は対義語です。
「五十歩百歩」は「ごじっぽひゃっぽ」と読みます。 「五十歩」は、現代では「ごじゅっぽ」と読まれることが多いですが、本来の読み方は「ごじっぽ」です。 辞書にも「ごじっぽひゃっぽ」で記載されています。 「五十歩百歩」の意味は「わずかな違いはあっても、本質的には同じであること」で す。 「五十歩を以て(もって)百歩を笑う」ともいいます。 もともとは、自分も同様の立場にありながら他を批判しあざ笑う愚かさを言い表す言葉でした。 「他のものと大差ないこと」を意味する言葉なので、「異彩を放つ」の対義語であるといえます。
「どっこいどっこい」の意味は「同じぐらいで優劣がつけがたいさま」です。 両者の力や勢いなどの程度がほとんど同じで、どちらもたいしたものではない様子をいいあらわす口語的表現です。 「異彩を放つ」は「他よりも優れている」ということを言い表す言葉なので、力や勢いなどの程度が同じであることをいいあらわす「どっこいどっこい」は対義語になります。
「異彩を放つ」の英語は「stand out」です。 「stand out」は「目立つ」「注目を浴びる」という意味で、よい意味でも悪い意味でも使います。
She stands out in the crowd.
彼女は大衆の中で異彩を放つ。
「異彩を放つ(いさいをはなつ)」の意味は「普通とは異なった色どりや光を出す」です。 「異彩」の意味は「普通と異なった色彩」です。 「放つ」の意味は「あることから激しく出す」です。 よって「異彩を放つ」の原義は「周囲とは異なった色彩を激しく出す」という意味です。 ここから、転じて「他の人とは違ったすぐれた才能や個性をありありと出している」ということを言い表す言葉として使用されるようになりました。