「木で鼻を括る(きではなをくくる)」の意味は「無愛想にもてなすこと」です。ティッシュが存在しなかった時代では、鼻水が出たときに木で鼻をかんでいて、これが心地よくなかったために「不愉快な気持ちになるような無愛想な対応」という意味で使用されるようになりました。「木で鼻をこくる」が本来の形ですが、「木で鼻をくくる」が一般化されています。
「木で鼻を括る」の読み方は「きではなをくくる」です。 「木で鼻を括る」の意味は「無愛想にもてなすこと」です。 そっけない態度で応じたり、冷淡にあしらうことを言い表す慣用句です。
「木で鼻を括る」は「木で鼻をこくる」という表現が由来です。 「こくる」は「こする」という意味で、「木で鼻をこくる」とは木を使って鼻をこすって鼻水を拭き取ることを指します。 ティッシュが存在しなかった時代では、鼻水が出たときに木で鼻をかんでいて、これが心地よくなかったために「木で鼻をこくる」=「不愉快な気持ちになるような無愛想な対応」という意味で使用されるようになりました。 本来は「木で鼻をこくる」だったのが、「木で鼻をくくる」と誤用する人が増えたことで一般化しました。 誤用であっても使用する人が多いことで一般化されることはよくあります。
「木で鼻を括る」の「くくる」は平仮名で表記されるのが一般的です。 「括」は訓読みで「くくる」と読みますが、常用外読みです。 常用外読みとは、常用漢字表にのっていない読み方のことをいいます。 常用外読みは、新聞や公的文章では使用されません。
「木を鼻で括る」は、相手に無愛想な対応をされたということを言い表します。 例えば、話かけたのにそっけない態度だったり冷淡にあしらわれたという場面です。 「木で鼻をくくったような」という形で使用します。 よく使用される言い回しには、
などがあります。
「木で鼻を括る」の例文
「木で鼻を括る」には「傲慢な態度」という意味はありません。 例えば「木で鼻をくくったような威張り散らした態度」「木で鼻をくくったように偉そうな態度をとる」などと使うのは誤用です。 「木で鼻を括る」はあくまでも、「そっけない態度で応じたり冷淡にあしらうこと」なので誤用しないように注意しましょう。
「木鼻答弁」は「きはなとうべん」と読みます。 「木鼻答弁」の意味は「相手を小馬鹿にして質問に答えること」です。 「答弁」には「質問に答えて弁明する」という意味があります。 「木で鼻を括る」は、「木鼻答弁」とは異なり「小馬鹿にする」という意味はありません。 また、「質問に答える」という意味はないという点で「木鼻答弁」とは異なります。
「たかをくくる」の意味は「見くびる」です。 せいぜいそんな程度だろうと低く評価して、大したことはないときめてかかることをいいます。 この場合の「くくる」は「こする」という意味ではありません。 「木で鼻をこする」と「たかをくくる」は異なる意味の言葉です。 ちなみに「たかをくくる」を「多寡をくくる」と書くのは誤りです。 「多寡」の意味は「物の量や額が多いことと少ないこと、多いか少ないか」です。 「多寡をくくる」では意味が通じなくなってしまうので注意しましょう。
「鼻にもかけない」を「相手にしないこと」という意味で使用する人も多いですが、「鼻にもかけない」は誤用です。 「鼻にもかけない」ということわざはありません。 正しくは「洟も引っ掛けない」です。 「洟も引っ掛けない」の意味は「相手を完全に無視する」です。 「洟」は、「鼻水」のことで「洟も引っ掛けない」で「存在すら認めないという状態」を言い表す慣用句になります。 「木で鼻を括る」は、無愛想な対応をされることであり「相手にされない」という意味ではありません。
「木に竹をついだような」は「きにたけをついだような」と読みます。 「木に竹をついだような」の意味は「不自然で調和がとれないこと」です。 物事が不調和であることや、道理の合わないことを、性質のことなる木と竹をつなぎ合わせることにたとえた慣用句です。 「木を鼻でくくる」と「木に竹をついだような」も意味の異なる言葉です。
「取り付く島もない」は「とりつくしまもない」と読みます。 「取り付く島もない」の意味は「たよりとしてすがる手がかりもない」です。 頼み事や相談をしようとしても、相手の態度が冷淡で話をすすめるきっかけがつかめないことを言い表します。 「取り付く島」は「頼りとしてすがる」という意味があります。 「取り付く暇もない」はよくある誤用なので注意しましょう。 「取り付く暇もない」という言葉はありません。
「にべもない」の意味は「愛想がなくそっけない」です。 言葉に心がこもっていなかったり、相手に対して思いやりやあたたかさがなく、とりつきようがない様子を言い表した慣用句です。 「にべ」は、「人間関係を保とする粘り気」という意味で、「ない」は否定です。 例えば、何かに相手を誘ったときに冷たく断られたということ「にべもなく断られる」などと言い表すことが可能です。
「けんもほろろ」の意味は「冷淡で取り付く島もないさま」です。 無愛想に人の相談などを拒絶する様子をいいあらわす言葉です。 「けん」も「ほろろ」もキジの鳴き声のことです。 キジの鳴き声が無愛想に聞こえるため、「けんもほろろ」と喩えて言われるようになったといわれています。 「剣もほろろ」や「けんもほろほろ」は誤用です。 「けんもほろろで取り付く島もない」と、上述した「取り付く島もない」とよく一緒に使われます。
「つっけんどん」の意味は「態度や言葉遣いが冷淡であること」です。 相手に敵意を抱いているのかと思われるほど、言動が冷淡であったりぶっきらぼうであることを言い表します。 「つっけんどんな○○」という使い方をします。 例えば、「つっけんどんな返事」「つっけんどんな対応」「つっけんどんな応対」「つっけんどんな態度」などといいます。
「無愛想」は「ぶあいそう」と読みます。 「無愛想」の意味は「愛想のないこと」です。 そっけなく、態度や言葉がとげとげしていて不親切なさまを言い表します。 「無愛想」と「木で鼻を括る」は同じ意味です。
「杓子定規」の読み方は「しゃくしじょうぎ」です。 「杓子定規」の意味は「何でも一つの形式に当てはめて融通や応用が効かないこと」です。 主に人の性格を表す際に使います。 「柔軟性に欠ける」というネガティブなニュアンスで使うことが多いです。
「如才ない」は「じょさいない」と読みます。 「如才ない」の意味は「愛想がよくて人をそらさないさま」です。 相手の気持ち・立場などを敏感に察し、相手に好意をいだかせる対応ができる様子をいいあらわします。
「愛想よく」は「あいそよく」と読みます。 「愛想」は「あいそう」とも読みますが、「あいそ」が一般的です。 「愛想よく」の意味は「人に好感を与える対応の仕方」です。 相手に好意をもって接することをいいます。
「摩頂放踵」は「まちょうほうしょう」と読みます。 「摩頂放踵」の意味は「自分を犠牲にして、他人に尽くすこと」です。 頭の先からかかとまでへり減らすほど、他人のために努力することを言い表す四字熟語です。 「魔」は「すり減らす」、「頂」は「頭」、「放」は「いたる。届く」、「踵」は「かかと」という意味です。
「木で鼻を括る」の英語には「never pay attention to」があります。 「never pay attention to...」は「...に全く注意を払わない」という意味です。
I tried to talk to her, but she never paid attention to me.
彼女に相談しようとしたが、木で鼻を括るような対応だった。
「never give 人 the time of day」という慣用句があります。 「not give the time of day」は「不親切で口すらきかない」という意味です。
I discussed with Ann, but she won't give me the time of day.
アンと話し合ったが今では木で鼻を括るような態度だ。
「木で鼻を括る(きではなをくくる)」の意味は「無愛想にもてなすこと」です。 「木で鼻をくくる」と表記されるのが一般的です。 話かけたのにそっけない態度だったり冷淡にあしらわれたという場面で、「木で鼻をくくったような返事」「木で鼻をくくったような態度」などの形で使います。 「木で鼻を括る」に傲慢な態度という意味はないので注意しましょう。