「好事・魔多し(こうじまおおし)」は「よいことには邪魔が入りやすい」を意味する慣用句です。注意喚起をするときや自戒の意で使用されます。「好事」は「好きな事」の意ではないので注意しましょう。
「好事魔多し」は「こうじまおおし」と読みます。 「好」は音読みで「コウ」、「事」は音読みで「ジ」、「魔」は音読みで「マ」、「多」は訓読みで「おおい」と読みます。 「好事」を、「ものずきな人」を意味する「好事家(こうずか)」に倣って「こうず」と読むのは誤りです。 「好事魔多し」は「好事、魔、多し」と区切って発音します。 「好事魔、多し」「好事、魔多し」などとするとイントネーションが不自然になるので注意です。 ちなみに「生好事(なまこうず)」とは「いいかげんで軽薄なものを好む人」つまり変人を意味します。
「好事魔多し」は「よいことは邪魔が入りやすい」という意味です。 物事がうまくいっているときほど、思いもよらないアクシデントがおきたり邪魔が入りやすいということを言い表したことわざです。 「魔」とは「邪魔」のことで、仏道修行を妨げるものから転じて、妨げの意味となりました。 「好事」は「よいこと。めでたいこと」、「よい行い」という意味です。 「好事門を出でず」ということわざもあります。 「好事門を出でず」は、「善い行いはなかなか世間に伝わらない」という意味です。
「好事魔多し」出典は『琵琶記(びわき)』です。 『琵琶記』とは、元末明初(げんまつみんしょ)といわれる時代に中国の「高明」という劇作家が書いた戯曲です。 「戯曲」は、演劇を上演するための脚本や文学作品のことをいいます。 『琵琶記』は妻がはるか遠くまで夫を訪ねる苦労を描いた長編物語で、そこに出てくる「好事多磨」という言葉が語源で「好事魔多し」という言葉が使われるようになったといわれています。
「好事魔多し」は、注意喚起をするときに使用します。 例えば起業して順調に業績が伸びていて、浮かれているような状態の人に「うまくいっているときこそ、アクシデントがおきたりするものだから注意してね」と伝えるときに「好事魔多し」という言葉を使います。 「好事魔多しだから」「好事魔多しというので」というように、引用する形で使用します。 目上の人に使うことも可能です。 ただし、「好事魔多し」は敬語ではないので、後ろに続く文章を敬語表現にする必要があります。
例文
「好事魔多し」は自戒(じかい)の意でも使用することができます。 「自戒」とは「自ら自分の言動をいましめること」です。 何か順調に物事が進んでいるような状態で、浮かれてしまいそうになったときなどに、「油断をせず今一度気を引き締めよう」という意味で「好事魔多し」といいます。
例文
「好事魔多し」は、恋愛・結婚生活に対しても使います。 好きな人と両思いになれたという状態や、結婚したばかりのときって幸せな気持ちに胸が踊ってついつい浮かれてしまいますよね。 しかし、恋愛や結婚生活においても順調なときこそトラブルが起きて、あっという間に二人の仲が壊れてしまうということはよくあります。 幸せそうにしている二人に対する注意喚起や、浮かれている自分達への自戒として「好事魔多し」を使用することができます。
例文
「好事」を「好きなこと」という意で捉えて、「好きな事をしていると〜」という意味で使用するのは誤りです。 例えば、「好事魔多しで、映画をみているといつも子供に邪魔をされる」という使い方はできません。 ラブラブだった夫婦が出産を機会に離婚などがまさに「好事魔多し」です。
「花に嵐」は「はなにあらし」と読みます。 「花に嵐」の意味は「好事はとにかく邪魔が入りやすい」です。 「嵐」は、「花を散らして吹く激しい風」のことで、世の中は障害が多くなかなか都合よくはいかないということのたとえです。 「ひとたまりもない」ということにたとえて使用するのは誤りです。 「花に風」ともいいます。
「月に叢雲、花に風」は「つきにむらくもはなにかぜ」と読みます。 「月に叢雲、花に風」の意味は「好事は邪魔が入りやすく、良い状況は長続きしない」です。 「叢雲(むらくも)」は「むらがり集まった雲」のことで「群雲」とも書きます。 月が雲を隠し、風が花を散らすように良い状態は長続きしないということを言い表したことわざです。 「相性が悪い」という意味で使用するのは誤りです。
「寸善尺魔」は「すんぜんしゃくま」と読みます。 「寸善尺魔」の意味は「良いことがあっても、悪いことに邪魔をされやすい」です。 また、世の中には良いことは少なくて悪いことばかり多いという意味で使用されます。 「寸善」は「わずかなよいこと」、「尺魔」は「大きな邪魔」という意味です。 わずかなよいことにも大きな邪魔が入るということを言い表しています。
「そうは問屋がおろさない」は「そうはとんやがおろさない」と読みます。 「そうは問屋がおろさない」の意味は「物事はそんな都合よく運ぶものではない」です。 「そう」は副詞で「そのように」という意味です。 「問屋」は、生産者から商品を買い入れて小売業者に卸売りする商店のことです。 「そんな安い値では問屋が卸売りをしてくれない」ということから、「そんなに具合よく物事は運ばない」というたとえで使用されるようになりました。 思い通りに物事を進めようとしている人に、ブレーキを掛けるときなどに使用されることわざです。
「取らぬ狸の皮算用」は「とらぬたぬきのかわざんよう」と読みます。 「取らぬ狸の皮算用」の意味は「まだ手に入るかどうかわからないものを当てにして、あれこれと計画を立てること」です。 「算用」は、金額や数量を計算するという意味です。 タヌキをつかまえないうちから皮を売って儲(もう)ける計算をしていることにたとえたことわざです。 「取らぬ」は、「捕らぬ」は「獲らぬ」と書くこともできます。 略して「皮算用」ともいうことも可能です。 ただし、「革算用」は誤記なので注意しましょう。
「百里を行く者は九十を半ばとす」は「ひゃくりをゆくものはくじゅうなかばとす」と読みます。 「百里を行く者は九十半ばとす」の意味は「何事も終わりの少しの所がもっとも困難である」です。 百里の道を行く者は、九十里を半分とここ得なければならなかったことから、「九分どおりの所を半分を心得て、最後まで緊張して努力することが肝心である」という意味で使用されるようになりました。 ゴールが見えてくると油断してしまいがちですが、逆に気を引き締め直せという点で「好事魔多し」の類語であるといえます。
「順風満帆」は「じゅんぷうまんぱん」と読みます。 「じゅんぷうまんぽ」ではありませんので注意してください。 「順風満帆」の意味は「物事が順調に運ぶこと」です。 「順風」は「船の進行方向に向かって吹く風」、「満帆」は「帆いっぱいに張ること」です。 順調に物事が進むことを、船が追い風を帆いっぱいにうけて進むことにたとえたことわざです。
「万事順調」は「ばんじじゅんちょう」と読みます。 「万事順調」の意味は「すべてがうまくいくこと」です。 「万事」は「すべてのこと」、「順調」は「うまくいくこと」という意味です。 物事がうまく進んでいることを言い表す四字熟語です。 似た四字熟語には「万事快調(ばんじかいちょう)」があります。
「捨てる神あれば拾う神あり」は「すてるかみあればひろうかみあり」と読みます。 「捨てる神あれば拾う神あり」の意味は「一方で見捨てられても、他方で手が差し伸べられることもある」です。 「世間は広く、世の中はさまざまなのだからくよくよすることはない」ということを言い表したことわざです。 「捨てる神あれば助ける神あり」「捨てる神あれば引き上げる神あり」「寝せる神あれば起こす神あり」ともいいます。
「好事魔多し」の英語には下記になります。
There's many a slip between the cup and the lip.
茶わんを口に持っていくまでのわずかな間にもいくらでもしくじりはある。
この表現は日本語を訳したものではなく、英語圏に存在する正式なことわざです。 「many a slip」は正しい表現です。 「many slips」は「多くのしくじり」となりますが、「many a slip」だと「一つ一つのしくじり」という意味で「every slip」「each slip」とニュアンスが近いです。