「目から鱗(めからうろこ)」は「急にものごとの真相や本質がわかるようになること」という意味の慣用句です。「目から鱗」の語源は新約聖書「使徒行伝(しとぎょうでん)」にあります。日頃から疑問に思っていた物事の真相や本質に気がついたときなどにびっくりしたニュアンスを含んで使用される言葉です。「目から鱗が落ちた」「目から鱗が落ちたような気持ち」などが主な言い回しです。
「目から鱗」は、「めからうろこ」と読みます。 「目から鱗」は「急にものごとの真相や本質がわかるようになること」という意味のことわざです。 あることがきっかけとなって、それまでわからなかった実態や本質が急に理解できるようになることをいいます。 「目から鱗が落ちる」が元々の言葉です。 「目から鱗が落ちる」が省略されて「目から鱗」と使用されるようになりました。 「目からウロコ」と表記されることもあります。 「目から鱗が取れる」は誤りなので注意してください。
「目から鱗」の語源は、新約聖書「使徒行伝(しとぎょうでん)」にあります。 新約聖書「使徒行伝」には、その昔、キリスト教を迫害していたユダヤ教信者のサウロは、天からの強い光を受けて失明をしてしまったという話が書かれています。 失明をしたあと、サウロは三日間食事をとれなくなってしまいます。 そんなサウロの元にアナニヤというクリスチャンがやってきて、サウロに手をあてると目から鱗のような物がおちて目が見えるようになりました。 このサウロの目から鱗が落ちる体験が語源となり、物事の実態がわかり、物事を理解できるようになることを言い表す言葉として「目から鱗」という言葉が使用されるようになったのです。
「目から鱗」は、日頃から疑問に思っていた物事の真相や本質に気がついたときや、自分の人生観を変えるほどの大きな気づきを得たときに「なるほど!そういうことだったのか!」という驚きのニュアンスを含んで使用されます。 よく使用される言い回しには、
などがあります。 日常生活はもちろん、ビジネスシーンでも「○○さんの発言は目から鱗でした」などと使用されることがあります。 正式な表現ではありませんが「目から鱗な話」という言い回しで使われることもあります。 これは「今まで知らなかったが、聞いたら納得がいく話」といったニュアンスです。
例文
「開眼する」は、「かいげんする」と読みます。 「開眼」の意味は「真実の道理を悟ること」です。 一般的に、物事の本質を悟ることやこつを掴むことを「開眼する」といいます。 物事の本質がわかるようになるという意味で「開眼する」は「目から鱗」も類語であるといえます。
「腑に落ちる」は「ふにおちる」と読みます。 「腑に落ちる」の意味は「納得ができる」という意味です。 物事の本質を知り「こういうことだったのか」と納得できる気持ちを「腑に落ちる」といいます。 「納得ができる」という意味では、「腹落ちする」「合点がいく」なども類語になります。
「膝を打つ」は「ひざをうつ」と読みます。 「膝を打つ」は、はっと思い当たったり、感心したり、おもしろいと思ったときに手で膝を叩く動作のことです。 「膝を打って悔しがる」など、ネガティブな意味で使用するのには適しません。 あることがきっかけとなって、それまでわからなかった実態や本質が急に理解し感心したりすることを言い表します。 「思わず膝を叩く」「ポンと膝を打つ」という言い方をすることもできます。
「ハッとさせられる」は、「急に我に返らされる」「驚かされる」という意味で使用される言葉です。 「急にものごとの真相や本質がわかるようになること」を伝える場面で、「ハッとさせられた」と言い換えることができます。
「氷解する」は「ひょうかいする」と読みます。 「氷解」は「氷が溶ける」という意味です。 氷がとけて何も残らないことに喩えて「疑念や疑惑がすっかりなくなること」という意味で使用されます。 「目から鱗」も、それまでわからなかった実態や本質が急に理解できるようになることを言い表す言葉なので、類語であるといえます。
「目から鱗」の英語は「The scales fell from my eyes.」です。 「scale」は日本語でも「スケール」といいますが、「うろこ」という意味もあります。
「目から鱗」は「急にものごとの真相や本質がわかるようになること」という意味のことわざです。 「目から鱗が落ちる」が元々の言葉で、あることがきっかけとなって、それまでわからなかった実態や本質が急に理解できるようになることを言い表します。 語源は新約聖書「使徒行伝(しとぎょうでん)」に書かれています。 「目から鱗が落ちた」「目から鱗が落ちたような気持ち」などの言い回しで使用します。 類語は「開眼する」「腑に落ちる」など。