「凡百(ぼんひゃく)」の意味は、「いろいろなもの」です。今回は「凡百」の正しい意味と使い方を例文付きで紹介します。また、類似表現との違いや類語、英語表現も合せて紹介しますのでぜひ参考にしてください。
「凡百」の読み方は「ぼんぴゃく」です。 「凡」は音読みで「ボン」、「百」は音読みで「ひゃく」と読みます。 「ぼんひゃく」とも読みますが、濁らせて「ぼんぴゃく」と読むのが一般的です。
「凡百」の意味は「いろいろなもの」です。 「凡」は「すべて。みな」という意味です。 「百」は「多くの。たくさん」という意味です。 この2つの漢字を重ねて「ありとあらゆる」「かずかず」という意味になります。 また、転じて「ごくありふれた」という意味の漢語的表現としても使用されます。
「凡百」は、単にごくありふれた状態を指して使います。 例えば、「凡百の生き方」は「普通の生き方」という意味です。 誰も送るような珍しくもなんとも無い生き方ということを言い表します。 「凡百の〜」「凡百な〜」という使い方をします。
「凡百」の例文
「凡百」は、ありふれた状態であることを否定的に批判するときに使用されることがほとんどです。 「面白みがない」「特にこれといった能力がない」というネガティブな意味で使用されるので、なにか評価をするときなどに「凡百の○○ですね」と言ってしまうと失礼です。注意しましょう。 逆に、「彼女は凡百の経営者とは違う」などと褒める時にも使います。 「凡百の○○ではない」と否定する言葉を続けることで「平凡ではない」という意味になります。
否定的に批判して使う「凡百」の例文
「平凡」は「へいぼん」と読みます。 「平凡」の意味は「ごく普通であること」です。 他から注目されるような特別に優れたところや変わったところがないことを言い表します。 ありふれた状態を言い表すときに使用する「凡百」と同義です。 ただし、「平凡」には「いろいろなもの」「数々」という意味はありません。
「凡俗」は「ぼんぞく」と読みます。 「凡俗」の意味は「ありふれていて、何のとりえもないこと」です。 能力や人柄が世間並で、特にすぐれた点がないことをいいあらわします。 「凡俗」と「凡百」は「ありふれていること」を言い表すという点で共通しています。 ただし「凡俗」には、単にその他大多数と大差ないことを表すだけではなく、やや下等であるという意味が含まれます。 また、そういった人間のことを指す言葉でもあるという点で「凡百」とは異なります。
「色々」は「いろいろ」と読みます。 「いろいろ」と平仮名で表記されることも多いです。 「色々」の意味は
です。 「凡百」にも「いろいろなもの」という意味があるので「色々」は類語です。 元は「さまざまな色」という意味で、転じてそのものの状態・性質が一通りでなかったり関係するところが多面にわたっていたり、あれこれと方法を尽くしていたりする様子を言い表すようになりました。
「数々」は「かずかず」と読みます。 「数々」の意味は「物事の数量や種類が多いこと」です。 たくさんあることや、多くの数であることを言い表します。 また、副詞的に用いて「たくさん」「いろいろ」という意味になります。
「諸々」は「もろもろ」と読みます。 「諸々」の意味は「多くのもの」です。 いろいろの多くのものを言い表す言葉です。 「諸」には「いろいろな」という意味があります。 「諸」を使用した言葉には「諸般(しょはん)」「諸種(しょしゅ)」があります。 「諸般」は「さまざまな事柄」、「諸種」は「いろいろな種類」という意味です。
「種々」は「しゅじゅ」と読みます。 古くは「しゅしゅ」とも読みますが、現代では「しゅじゅ」が一般的な読み方です。 「種々」の意味は「数多くの種類があること」です。 いろいろなものがあることを言い表すという点で「凡百」の類語であるといえます。
「凡百」の英語は「normal」「regular」など「普通」を意味する語で表すことができます。 「not like other...」で「他の...とは違う」と表現することもできます。
He is living a normal life in the countryside.
彼は田舎で凡百な生活を送っている。
She is not like other girls.
彼女は凡百な女子とは違う。