「懐疑的(かいぎてき)」の意味は「ある事柄に対して疑いを持っている様子や状態」です。「〜は懐疑的だ」などと否定的な意見を述べる時に使います。似た言葉である「猜疑的(さいぎてき)」は「人を妬んで疑う」という意味で微妙にニュアンスが違います。
「懐疑的」は「かいぎてき」と読みます。 「なつかしい」の「懐」に、「うたがう」の「疑」で「懐疑」となります。
「懐疑的」の意味は「物事の意味や価値に対して疑いを持っている様子や状態」となります。 また「疑いを持って物事に接する様子」といった意味もあります。 他人に対して「うそついているのでは?」と裏をかいて疑うというよりも、十分な根拠がないことから物事や見解に対して疑いを持つ様子を表します。 ビジネスシーンでもよく用いられ、その場合は「十分な根拠がなく、判断しかねる」といった意味合いになります。 詳しくは使い方で説明します。
「懐疑派」「懐疑論」「懐疑主義」などといった言葉がありますが、これらは哲学用語となります 「懐疑派」とは「懐疑論の考え方に立つ思想家たち」を指して使います。 「懐疑論」とは「人間の認識力を不確かなものとして、客観的、普遍妥当性の認識の可能性を疑い、根拠のない独断を差し控える態度、哲学的立場」です。「懐疑主義」とも呼ばれています。 ちなみに「懐疑論」の反対は「独我論」で「哲学において、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、自分の心だけが頼りで他者の心には信頼性がなく不確実であるとする哲学的立場」です。 どちらも哲学における認識論の見方の一つです。
「懐疑的」は否定的な意見を述べる時に使います。 主な言い回しは、
です。 敬語変換すると、
となります。 「疑わしいと思う」「十分な根拠がないため判断しかねる」といった意味になります。 「懐疑的です」と意見した場合は、「怪しい」というよりも、「信じるに足らない」「判断材料が少ない」といった意味合いが強くなります。 単に「懐疑する」とも言いますが、哲学的な響きがあります。
例文
「懐疑的」は「懐疑的な○○」と「な」を付けて形容詞としても用いられます。 名詞を修飾するために「ナ形容詞」にしています。 主な言い回しは
となります。 「懐疑的な人」は、疑い深く根拠がはっきりと分かるまで物事を信用しない人のことを指します。 「懐疑的な見方」は、「本当に大丈夫なの?」「ちゃんと出来るの?」などと物事に対して疑いの目を向けいてる様子を表します。 「懐疑的な立場」は、対象の物事に不信感を抱いている人、その観点を表します。 「な」を使わずに、
などとも使われます。 「懐疑的思考」は「懐疑思考性」とも言われるのですが、「物事の前提条件や他者からの意見・アドバイスに対して疑ってかかり、慎重で警戒心が強い」考えのことを指します。 「懐疑的思考」を持っている人は、その場しのぎの意見や誤魔化しなどに振り回されることなく、論理的な根拠と自信にもとづいて行動をします。
例文
「猜疑的」は「さいぎてき」と読みます。 意味は「相手の言動を疑ったり妬んだりする様子」です。 「猜」の漢字の意味が「妬む」、「疑」の漢字の意味が「疑う」なので、その2つが組み合わさり「猜疑」とは「疑ったり妬んだりすること」といった意味になります。 単に疑問に思うだけではなく相手の言動によって自分が不利になるのではないか?と相手を疑うことを表します。 「懐疑的」も「猜疑的」も、どちらも疑う様子を表しますが、2つの違いは、 懐疑的は「ただ単に疑問に思ったり信じきれない理由があり、信頼できないと疑う様子」で裏を読むとかではなく純粋に疑ってしまう様子ですが、 猜疑的は「人の善意や行為に下心があるのではと疑ったり、その行為を周りからよく思われるためにやったんだなどと妬む様子」と根拠はないが妬む気持ちから相手を疑ってしまう様子です。
「否定的」の意味は「否定する内容をもっている様子」です。 「否定」とは「そうではないと打ち消すこと」「非として認めないこと」です。 「否定的な意見」や「否定的な人」と使います。 「否定的な人」とは、何に対しても否定から入る人、何事もなかなか認めない人を指します。 また「否定的になる」「否定的に捉える」などとも使います。 「懐疑的」には「否定をする」「認めない」といった意味合いは含まれません。 また「否定的」には「疑う」といった意味合いは含まれません。信頼できない結果「否定的になる」ことはあるかもしれませんが、「否定的」という言葉自体には「疑う」の意味はないため「懐疑的」と「否定的」は違う意味を持つ言葉です。
「懐古的」は「かいこてき」と読みます。 意味は「懐かしさを感じさせる様子」です。 「懐古」は「昔のことを懐かしく思うこと」です。 「懐古的に振り返る」とすれば「懐かしみながら振り返る」といった意味になります。 また「懐古的な時計」「懐古的な佇まい」などとも使い、「懐かしいと感じる時計」「懐かしさのある佇まい」といった意味になります。 「懐疑的」とは「懐」といった字が使われていますが、意味は全く異なります。
「恣意的」は「しいてき」と読みます。 意味は「気ままで自分勝手なさま、好みや思いつきで行動するさま」です。 そして「論理的な必然性がないさま」といった意味もあります。 「恣」という字は、「欲しいまま」「気ままに」といった意味があります。 「意」という字は、「おもい」「こころ」といった意味があります。 以上から「恣意」という言葉は「おもったまま」「気ままな思い」という意味になりました。 「恣意的」は「意図的」や「作為的」と混同しやすいのですが意味は異なります。 そしてただ「好き勝手」「思いつき」というだけでの行動に対しては使いません。 その行動に「論理的に行動しなくてはならない」「自分勝手な解釈をしてはならない」と、他者や社会との関係性が含まれている場合に使う言葉です。
例文
「懐疑的」の同義語を紹介していきます。
などがあります。 「疑い深い」の意味は「なかなか物事を信用しないで、疑う気持ちが強いこと」です。 「疑い深い人だ」「疑い深い性格」などと使います。 「用心深い」の意味は「よく注意して心をくばっている」です。 警戒心が強く慎重な人を指して使うことが多くなっています。 「釈然としない」の意味は「疑念や迷いが晴れずにすっきりしない様子」です。 もやもやする、すっきりしないといった意味で使います。 「訝る」の意味は「何か隠されていることを怪しく思ったり、物事を疑わしく思うこと」です。 信じたいけれど、何か不安に思う要素があり悩んでいる状態を表します。
例文
「懐疑的」の対義語を紹介していきます。
などがあります。 「盲目的」の意味は「愛情や衝動などによって、理性的な判断ができない様子」です。 「盲目的」になると、周りの批判や意見などが一切入らず、疑わしいことも疑わずに信じきってしまいます。 「妄信的」の意味は「いちいち物事の結果や是非を考えないで、信じ込む様子」です。 特に理由や根拠もなく、自分で判断することもなくひたすら信じることを表します。 「過信」の意味は「価値や力量などを実際よりも高く見て信頼しすぎること」です。 「自己過信」や「過信は禁物」などと使います。
「半信半疑」は、「半分信じて、半分疑う」という意味の四字熟語です。 完全に信じるには疑わしい点が残っているが、絶対にそうではないとも言い切れないといったような場合に「半信半疑」という表現を使用します。 「信じきれない」というニュアンスが強いということを覚えておきましょう。
例文
「懐疑的」の英語は「skeptical」です。 I am skeptical about... で「私は...に懐疑的です」という意味になります。 「doubtful」も同義です。
I was skeptical about my boss's claims.
上司に意見に私は懐疑的だった。
「take a dim view of...」で「...に対して否定的な見方をする」という意味のイディオムです。 「dim」は「薄暗い」という意味です。
The CEO takes a dim view of long working hours.
社長は長時間労働に否定的だ。
いかがだったでしょうか? 「懐疑的」について理解できたでしょうか? ✔読み方は「かいぎてき」 ✔意味は「ある事柄に対して疑いを持っている様子や状態」 ✔ 「〜は懐疑的だ」で否定的な意見を述べる時に使う ✔類語は「疑い深い」「疑心暗鬼」など