「襟を正す(えりをただす)」の意味は「気持ちを引き締める」です。原義は「相手に失礼のないように乱れている衣服を直し、姿勢を正すこと」です。普段より気持ちを引き締めて何かを取り組まなければいけないような場面で「襟を正して〜する」という定型句で使用されます。
「襟を正す」の読み方は「えりをただす」です。 「襟」は訓読みで「えり」、「正」は訓読みで「ただしい」と読みます。
「襟を正す」の意味は「衣服や姿勢を整える」です。 「襟」は、衣服の顔や首まわりにある部分です。 「正す」は、「乱れている部分を整える」という意味で使用されています。 相手に失礼のないように乱れている衣服を直し、姿勢を正すことを「襟を正す」といいます。 そこから転じて「気持ちを引き締めて物事にあたる」という意味でも使用されます。
「襟を正す」の由来は、中国の歴史書である『史記』にあります。 『史記(しき)』には、「宋忠(そうちゅう)」と「賈誼(かぎ)」の二人が「司馬季主(しばきしゅ)」という易者(占うことを職業とする人)を訪れたときの問答が記載されています。
これを訳すと、「宋忠と賈誼は、ハッと目覚める思いで、冠のひもに手をかけて襟をただし、正座の姿勢をとった」となります。 これが語源となって、衣服や姿勢を正すことで気を引き締めるという意味で「襟を正す」という慣用句が使われるようになりました。
もうひとつ、「襟を正す」の由来となった言われているのが『前赤壁賦(ぜんせきへきのふ)』です。 「前赤壁賦」は、中国の北宋(ほくそう)の「蘇軾(そしょく)」が作った友人と赤壁の下に船と浮かべて清遊した時に詠んだとされる韻文の前篇です。 「前赤壁賦」に、
蘇子愀然 (蘇軾は態度をあらため) 正襟危坐而問客曰 (襟を正して座り、客人に訪ねました) 何為其然也 (どうすればそのような音色が出せるのですか)
とあります。 これは、客人があまりにも悲しい笛の音を響かせていたことから蘇軾が心配して事情を訪ねたという話です。 真剣に客人の話を聞こうと襟と正した蘇軾の「襟を正す」という行為が由来になっているとも言われています。
「襟を正す」は、気持ちを引き締めて真面目に物事に取り組むことを言い表すときに使用します。 例えば、大企業の社長からお話を伺うときなど普段より気持ちをシャキッとさせて何かを行わなければならないような場面です。 「襟を正して〜する」が定型句です。
「襟を正す」の例文
「襟を正す」は謝罪でも使われます。 例えば、仕事でミスをしてしまって周りに迷惑をかけてしまったという場面で「今一度、襟を正してまいります」というように使用します。 「襟を正す」を使用することで、これまでの行いや気の緩みや反省して改善するという気持ちを伝えることができます。
謝罪の場面で使う「襟を正す」の例文
「襟を正す思い」の形でもよく使用されます。 例えば、目上の人からありがたい言葉をいただいたという場面で「襟を正す思い」を使用することで、気持ちが引き締まったことを伝えることができます。 「襟を正す」は敬語ではありません。 目上の人の対して使用する場合は、敬語表現にする必要があります。 「襟を正す思い」は、敬語(丁寧語)で「襟を正す思いです」です。 「襟を正す気持ち」の形で使うこともできます。 敬語表現にすると「襟を正す気持ちです」です。
「襟を正す思い」の例文
「胸襟を正す」は誤用です。 正しくは「胸襟を開く」です。 「胸襟を開く」は「きょうきんをひらく」と読みます。 「胸襟を開く」の意味は「心中を打ち明ける」です。 隠し立てをしないで、心の中に思っていることをすっかり話すことをいいます。 「胸襟」は「胸と襟」という意味ですが、この場合は「胸のうち」という意味で使用されています。 「胸襟を正す」では意味が通じません。 「胸襟」も「襟」が使用されているため「襟を正す」と混合してしまう人が多いですが、「胸襟を正す」とはいわないので注意しましょう。
「矜持を正す」も誤用です。 「矜持」は「きょうじ」と読みます。 「矜持(きょうじ)」とは、「自分の能力に誇りを持つこと」を意味する熟語です。 他人からどう思われても、自分自身がすぐれていると信じ、それを頼みとして胸を張ることを指します。 「矜持」は「矜持を持つ」「矜持を保つ」などが定型句です。 「矜持を正す」とはいいません。
「姿勢を正す」「背筋を正す」の意味は、「背中をまっすぐにすること」です。 「気持ちを入れ替える」「物事への取り組み方を改める」という意味で使用されることもありますが、「姿勢を正す」「背筋を正す」は慣用句ではありません。
「身を正す」は「心を正す」という意味です。 「身を正す」は中国の思想家「孔子(こうし)」の弟子が書いた『論語』にある、 子曰(い)わく、苟(いやしく)もその身を正しくせば、政(まつりごと)に従うに於(お)いて何か有らん。その身を正しくすること能(あた)わずんば、人を正しくすることを如何(いかん)せん。 という一文が由来になっている故事成語です。 ただし、「身を正す」はあまり一般的な語ではありません。
「膝を正す」は「ひざをただす」と読みます。 「膝を正す」の意味は「行儀よく座る」です。 また、あらたまった様子になることをいいます。 「膝を正して話をする」というような使い方をします。 「膝を正す」は慣用句なので、「膝を正しくする」などということはできません。
「居住まいを正す」は「いずまいをただす」と読みます。 「居住まいを正す」の意味は「礼儀正しくきちんとした姿勢にする、座り直す、姿勢を伸ばすこと」です。 「居住まいを正す」は態度を改める、しっかりすること言い表すときに使用することができます。 態度を改め、しっかりとするという意味で「襟を正す」と類語になります。
「威儀を正す」は「いぎをただす」と読みます。 「威儀を正す」の意味は「身なりを整え、作法にかなった立ち居振る舞いをする」です。 「威儀」は「動作、姿勢、容姿あるいは儀式などが正しい作法、礼式にかなっていること」です。 「襟を正す」のように、気持ちを引き締めるという意味はありませんが、きちんとした態度をとるという意味では類語であるといえます。
「襟を正す」は、「気持ちを引き締める」という意味があるので「気を抜く」が対義語になります。 「気を抜く」の意味は、「張りつめていた情態から心をゆるめること」です。 「リッラクスをする」という意味ではありません。 したがって、「どうぞ気を抜いてください」という使い方は誤りなので注意しましょう。 その他にも、
などが「張りつめていた情態から心を緩める」という意味で対義語になります。
「襟を正す」は、きちんとした態度をとることを言い表しているので「態度を悪くする」という意味のある「足蹴」「横柄」「無礼」も対義語になります。 「足蹴」は「あしげ」と読みます。 「足蹴」の意味は「足で蹴ること」です。 転じて「他人にひどい仕打ちをすること」という意味でも使用されます。 「横柄」は「おうへい」と読みます。 「横柄」の意味は「偉そうな態度で、人を見下すさま」です。 「無礼」は「ぶれい」と読みます。 「無礼」の意味は「礼儀に外れること」です。 礼儀を尽くさないことをいいあらします。
「shape up」で「行いを改める」という意味があります。 「お尻のシェイプアップ」などの「シェイプアップ」は和製なので注意してください。 「シェイプアップ」の英語には「get ripped」などがあります。「rip ass」だと「屁をこく」という意味になるので注意です。
If you don't shape up, you'll lose your job.
行いを改めないなら、クビにします。
「襟を正して」と副詞的に使う場合は「attentively」「politely」などがあります。 和製辞書によっては「with a respectful attitude」などと出てきますが、このような表現はあまりネイティブは使わないので注意してください。
They sat listening attentively to her story.
彼らは座して襟を正して彼女の話を聞いた。
「襟を正す(えりをただす)」の原義は「乱れている衣服を整える」です。 そこから転じて、「気持ちを引き締めて物事にあたる」という意味でも使用されます。 「襟を正す」の由来は、中国の歴史書である『史記』にあり、中国の北宋(ほくそう)の「蘇軾(そしょく)」が作った友人と赤壁の下に船と浮かべて清遊した時に詠んだとされる韻文の前篇『前赤壁賦』にも「襟を正して座り」という表現があります。