「鄙びた(ひなびた)」の意味は「いかにも田舎らしい感じ」です。都会化されていない田舎の雰囲気が漂っていると感じられることを言い表します。「鄙びた温泉」などの使い方で、すでに失われつつある昔の良さや趣が感じられるという良い意味で使用されることが多いです。
「鄙びた」は「ひなびた」と読みます。 「鄙」は訓読みで「ひな」と読みますが、常用外漢字(常用漢字表に記載のない漢字)なので一般的には平仮名で表記されます。 「鄙びた」の意味は「いかにも田舎らしい感じ」です。 都会化されていない田舎の雰囲気が漂っていると感じられることを言い表します。 また、古語では「言葉が訛(なま)る」という意味で使用されていました。 現代では、この意味で使用することはありません。
「鄙びた」は、「鄙ぶ」の連用形「鄙び」に、過去・完了・存続・確認の助動詞「た」をつけた言葉です。 助動詞「た」は、文語の助動詞「たり」の連体形「たる」の変化したものです。 この場合の助動詞「た」は、完了の意味で「〜ている」「〜てある」という意味になります。
語源は「鄙びた」の「鄙」にあります。 「鄙」はもともと「日無」と書き表していました。 「日」は「天皇」、「無」は「ない」という意味で、「天皇の恩恵が及ばない場所」という意味でした。 対義語は「都(みやこ)」です。 「都」は「宮(みや)のあるところ」という意味で「天皇がいるところ」を指す言葉です。 ここから、「都から離れている田舎」という意味で「鄙びる」という言葉が使用されるようになったと言われています。 ちなみに、古語では名詞「鄙」+接続詞「ぶ」+助動詞「たり」の「鄙びたり」の形で使用されていました。
「鄙びた」は、田舎っぽい様子であることを言い表すときに使用されます。 例えば、ホテルのように現代風の綺麗な建物ではなく、古くからあるような旅館の雰囲気を伝えるような場面です。 「鄙びた温泉」のように「鄙びた○○」という形で、「すでに失われつつある昔の良さや趣が感じられる」という良い意味で使用します。 まれに「田舎くさい」「洗練されていない」という悪い意味で使用されることもあります。 良い意味で使用しているのか、悪い意味で使用しているのかは文脈で判断するしかありません。
「鄙びた」の例文
「寂れた」は「さびれた」と読みます。 「寂れた」の意味は、
です。 「寂れた」は、もともと賑やかだったという状態から、衰えて寂しい様子になってしまうことを言い表す言葉です。 「鄙びた」は「田舎っぽい様子」と言い表す言葉であり、賑やかだった場所が衰えたり寂しい場所になるという意味はありません。
「寂れた」の例文
「牧歌的」は「ぼっかてき」と読みます。 「牧歌的」の意味は「牧歌のように素朴で叙情的」です。 田園生活を扱った歌が聞こえてきそうな、のんびりとした様子を表す言葉です。 田舎らしさがあることを言い表す言葉なので「鄙びた」の類語です。 「牧歌的」は、「牧歌的な人」というように人の性格に対して使用することも可能です。 また、音楽(曲調など)や詞・ファッションに対しても使用することができます。
「辺鄙」は「へんぴ」と読みます。 「辺鄙」の意味は「都心から離れた場所」です。 都心から離れて開けていない不便な土地を言い表します。 「不便な場所」という意味が含まれるので、「鄙びた」とはニュアンスが異なりますが都心から離れた片田舎という意味で類語になります。
「田舎風」は「いなかふう」と読みます。 「田舎風」の意味は「田舎らしい様子」です。 「鄙びた」と「田舎風」は同じ意味です。
「長閑」は「のどか」と読みます。 「長閑」の意味は「静かでおだやかなさま」です。 のんびりと落ち着いていて、静かな様子を言い表す言葉なので「田舎の雰囲気が漂っている」という意味の「鄙びた」は、類語であるといえます。
「ローカルな」は「その地方に限定されていること」です。 雰囲気や様子が穏やかで田舎のような様子を「ローカルな雰囲気」などと言い表すことができます。 田舎のような雰囲気を言い表す言葉なので「鄙びた」の類語です。
「都会的」は「とかいてき」と読みます。 「都会的」の意味は「都会にみられる一般的な傾向をもっているさま」です。 垢抜けて洗練された感じがする様子を言い表します。 カタカナ語では「アーバン」といいます。 「アーバン」は「都市で暮らす人のようにセンスが感じられる」という意味で主にファッション用語として使用されます。
「洗練」は「せんれん」と読みます。 「洗練」の意味は「磨き上げて優雅で品位の高いものにすること」です。 不純なものを取り除いて、品格を高めたものへと磨き上げることを表します。 例えば、「洗練されたファッション」ならば「優れたものへと磨き上げられたファッション」を意味します。 「鄙びた」は、田舎らしい感じを言い表す言葉なので反対に洗練されていない状態です。 よって、「洗練」は鄙びたの反対語です。
「生き馬の目を抜く」は「いきうまのめをぬく」と読みます。 「生き馬の目を抜く」は「利益を得るのに抜け目がなく素早いさま」を意味します。 単に「すばしっこい」という意味ではなく、「事をなしたり、利益を得たりするために機敏に行動を起こす」ことを指し、主に人に対して使います。 「鄙びた」は、のんびりとしていて穏やかな様子を言い表す言葉なので、「抜け目なく素早いさま」を言い表す「生き馬の目を抜く」は対義語であるといえます。
「昔っぽい」という意味で、物や場所に対して使うには「retro」がぴったりです。
This hotel's decor is very retro.
このホテルの内装はとても鄙びている。
「idyllic」は「田舎っぽくて美しい」という意味です。 自然の景色などに関していいます。
「鄙びた(ひなびた)」の意味は「いかにも田舎らしい感じ」です。 「鄙」は、古語で「日無」と書き表していました。 「日」は「天皇」、「無」は「ない」という意味で、「天皇の恩恵が及ばない場所」という意味で、対義語は「都(みやこ)」です。 「都」は「宮(みや)のあるところ」という意味で「天皇がいるところ」を指す言葉です。 ここから、「都から離れている田舎」という意味で「鄙びる」という言葉が使用されるようになったと言われています。