「牧歌的」の意味は「牧歌のように素朴で叙情的」です。「田園を扱った歌が聞こえてきそうなのんびりした様子」を指します。主に風景や暮らし(生活)、雰囲気、人の性格に対して使います。
「牧歌的」の読み方は「ぼっかてき」です。 「牧」は音読みで「ボク」、「歌」は音読みで「カ」、「的」は音読みで「テキ」と読みます。
「牧歌的」の意味は「牧歌のように素朴で叙情的」です。 田園生活を扱った歌が聞こえてきそうな、のんびりとした様子を表す言葉です。 「牧歌」とは「牧童などが家畜の番をしながらうたう歌」「牧者や農夫を主題とする歌曲」のことです。 「叙情(じょじょう)」とは「自分の感情を述べ表すこと」で、「叙情的」は感情や気持ちが外にじんわり外に現れるような雰囲気や文章を表す言葉です。 「牧歌的」がよい意味なのか悪い意味なのかは、話者の価値観や文脈によります。
「牧歌的」は、主に風景・暮らし(生活)・雰囲気に対して使います。 主な言い回しには、
などがあります。 「牧歌的な生活」は、田舎暮らしのような時間にゆとりのある穏やかな暮らしのことです。 「牧歌的風景」は田舎の素朴さを感じるのんびりした風景のことです。 例えば、絵画で農村など田舎ののどかな風景をかいた作品を「牧歌的風景を描いた〜」などと言い表すことができます。 「牧歌的な雰囲気」は、のんびりとした雰囲気を言い表します。 例えば、社員が和気あいあいとし、穏やかな雰囲気で仕事をしているような社風を「牧歌的社風」といったりします。
「牧歌的」は、人の性格に対して使用することもできます。 のんびりとした雰囲気をもち、争い事を嫌うようなおおらかなタイプや、あまり感情の起伏がないような安定している穏やかな人を「牧歌的な人」「牧歌的な性格」と言い表すことができます。 ただし、「牧歌的」が「田舎の穏やかな風景」を想像させる言葉であるため「田舎臭い」「地味」などネガティブな意味でとらえられてしまう可能性もあります。 人に対して使用する場合は、思わぬ誤解をされてしまわないように注意しましょう。
「牧歌的」は、曲(音楽)・詩・ファッションに対しても使うこともできます。 「牧歌的」を曲や詩に使用する場合は、田舎の風景がイメージされるような穏やかな曲調や詩を言い表します。 例えば、音楽でいうとカントリーミュージックなどのジャンルが「牧歌的」にあてはまります。 ファッションに使用する場合は、落ち着いていて派手さの感じられないファッションを言い表します。
「趣」は「おもむき」と読みます。 「趣」は「自然などの味わいのある様子。風情。情趣」なので、「牧歌的」とはニュアンスが少し異なります。 「趣」は、ある趣向や趣向が感じ捕られる、しみじみとした風情の感じとられる様を言い表す言葉です。
「リリカル」は、元は「リリカル」という言葉で、本来の意味は「抒情詩(叙情詩)」です。 「リリック」は、「リリカル」という形にすると「抒情詩的な」という形容詞になります。 例えば、「リリカルな曲」は「抒情詩的な曲」という意味になります。 「リリカル」に変えずとも、「リリックな」でも形容詞的に使うことが可能です。 例えば、「リリックな歌詞」などということができます。 しかし「リリック」には名詞で「歌詞」という意味があるため、「リリックな歌詞」だと二重表現的なので、「リリカルな歌詞」とした方がベターです。
「牧歌的」は「田舎風」「長閑」「ローカルな」で言い換えることが可能です。 「田舎風」は「いなかふう」と読みます。 「田舎風」の意味は「田舎らしい様子」です。 「田園詩的」なら「牧歌的」の同義語になります。 「長閑」は「のどか」と読みます。 「長閑」の意味は「静かでおだやかなさま」です。 のんびりと落ち着いた様子を言い表す言葉です。 「ローカルな」は「その地方に限定されていること」です。 雰囲気や様子が穏やかで田舎のような様子を「ローカルな雰囲気」などと言い表すことができます。
「都会的」は「とかいてき」と読みます。 「都会的」の意味は「都会にみられる一般的な傾向をもっているさま」です。 垢抜けて洗練された感じがする様子を言い表します。 カタカナ語では「アーバン」といいます。 「アーバン」は「都市で暮らす人のようにセンスが感じられる」という意味で主にファッション用語として使用されます。
「生き馬の目を抜く」は「いきうまのめをぬく」と読みます。 「生き馬の目を抜く」は「利益を得るのに抜け目がなく素早いさま」を意味します。 単に「すばしっこい」という意味ではなく、「事をなしたり、利益を得たりするために機敏に行動を起こす」ことを指し、主に人に対して使います。 「牧歌的」は、のんびりとしていて穏やかな様子を言い表す言葉なので、「抜け目なく素早いさま」を言い表す「生き馬の目を抜く」は対義語であるといえます。
「油断大敵」は「ゆだんたいてき」と読みます。 「油断大敵」は、「少しでも気を抜くと思わぬ失敗を招く」という意味の四字熟語です。 物事が上手く言っていたり、上手いことを言う人の前で油断をしていたり気を抜くと思わぬ落とし穴に落ちることになるということを「油断大敵」といいます。 のんびり穏やかな様子とは反対に、いつでも気をはっていないといけないような状態を言い表す言葉です。
「忙しい」「目まぐるしい」「慌ただしい」も対義語になります。 「忙しい」は「せわしい」と読みます。 「忙しい」の意味は「あわただしくて落ち着きがないさま」です。 一つの動作が終わるとすぐ次の動作に写って、ゆとりがない様子をいいあらわします。 「目まぐるしい」の意味は「物の動きや変化が目がまわるほど早いさま」です。 対応ができないほど変化が激しく、順を追ってそれをとらえることが出来ないほどせわしないことをいい表します。 「慌ただしい」は「あわただしい」と読みます。 「慌ただしい」の意味は「時間に追われてせわしないさま」です。 動作や動きに落ちつきがない様子をいい表します。
「牧歌的」の英語は「pastoral」です。 「pastoral」は芸術作品を形容する時に使います。 「pastoral poem」で「牧歌」という意味で使うこともあります。
「idyllic」も「牧歌的」という意味で使います。 この意味から転じて「田舎のように美しい」という意味合いでも使います。 場所や経験を形容するときにも使うことができます。 「アイデリック」と発音します。
「牧歌的」は「牧歌が聞こえてきそうなのんびりした素朴な様子」を言い表した言葉です。 ゆっくりと時間が流れていて、 緑が豊かな田園風景が広がった、どこからともなく牧歌が聞こえてくるような、なんとなく懐かしさを感じる言葉です。 主に風景や雰囲気、生活、人の性格などを形容して使います。