「賽は投げられた(さいはなげられた)」の意味は「もはや断行するしかない」です。「ここに至った以上はもう後戻りはできない」「もはや進むしか無い」ということを言い表し、決意表明をするときや、なすべきことを促すときに使用します。
「賽は投げられた」の読み方は「さいはなげられた」です。 「賽」は音読みで「サイ」、「投」は訓読みで「なげる」と読みます。
「賽は投げられた」は、事ここに至った以上は、もはや断行するより他にないという意味です。 「賽」とは、博打(ばくち)に使うサイコロのことを指します。 つまり「賽は投げられた」は、サイコロはすでに投げられたので、投げられた以上はどの目が出るかは分からないが、続けるしかないというニュアンスです。 ここに至った以上はもう後戻りはできない、もはや進むしか他に無いなどという意味に解釈できます。
「賽は投げられた」の語源はラテン語です。 古代ローマ時代に、「ポンペイウス」という政治家と対立したカエサルという人物がいました。 カエサルは、武装をして渡ることを禁じられていたルビコン川を、軍隊を率いて渡るという宣戦布告を意味する行動をとったときに、「ここまできたらもう後戻りはできない」「進むしかない」という意味で「Alea jacta est.」と言いました。 これを訳すと「賽は投げられた」になります。
「賽は投げられた」は、決意表明をするときに使用します。 例えば、「独立をする」と決めて仕事を退職し、実際に起業をする手続きをとったというように、引き返すことができないぐらいに事が進んでいて「あとはもうやるしかない」という覚悟を伝えるような場面です。 ビジネスシーンでも「やるしかない」という状況下で「賽は投げられた」と言い表すことがあります。
「賽は投げられた」の例文
「賽は投げられた」は、なすべきことを促すときにも使用されます。 尻込みをしている人や、いまいち覚悟ができていないような人に「もうここまできたら、できることをやるしかないじゃない」と背中を押す意味で「賽は投げられた」を使用します。
「賽は投げられた」の例文
「一か八か」は「いちがばちか」と読みます。 「一か八か」の意味は「運を天に任せてやってみること」です。 博打(ばくち)で、一か罰(ばち)か(壺皿に伏せたさいころに一の目が出るかしくじりか)という意味で使用されることもあります。 「一か八か」は、うまくいくかどうかはわからないが、出たとこ勝負でやってみるということを言い表します。 選択を迫られて自分の意志で決める場合に使用するのは誤用なので注意しましょう。
「乾坤一擲」は「けんこんいってき」と読みます。 意味は、「運命をかけて大勝負をすること」です。 天下をかけて一度さいころを投げるという意味から来ています。 勝負をかける!というだけではなく、「今までのすべてをかけて勝負をかける」という、それに臨む覚悟の大きさを示すような場面で使う言葉です。
「伸るか反るか」は「のるかそるか」と読みます。 「伸るか反るか」の意味は「成否は天に任せて、思い切って事を行うこと」です。 「伸る」は「伸びる」という意味で、「反る」は「反対側に反り返る」という意味です。 「伸びるか反対に反るのか結果はわからないが、とにかく思い切りやってみよう」ということを言い表しています。 俗に「乗るか反るか」とも書きます。
「当たって砕けろ」は「あたってくだけろ」と読みます。 「当たって砕けろ」の意味は「成功するかわからなくても、とにかく思い切ってやるだけのことはやる」です。 だめで元々なのだからと決起を促す言葉です。 砕けてしまっては元も子もないが、そこまで覚悟を決めていれば成功の確率は高くなるという意味で使用されます。
「矢は放たれた」は「賽は投げられた」と完全に同義です。 「矢は放たれた」も、いったん乗り出してしまった以上、もはや最後までやるより他に道はない、という意味です。
「賽は投げられた」の英語は「The die has been cast.」または「The die is cast [thrown]」です。 「die」は「dice」と同義で、「サイコロ」を意味します。 「has been」は完了を意味する現在完了+受身です。 「cast」は「〜を投げる」という意味の動詞で、この文の「cast」は過去分詞形です。 「cast」の活用は、cast-cast-castですべて同形です。
「賽は投げられた」の意味は「もはや断行するしかない」です。 「賽は投げられた」は、カエサルという人物が武装をして渡ることを禁じられていた「ルビコン川」を、軍隊を率いて渡るという宣戦布告を意味する行動をとったときに、「ここまできたらもう後戻りはできない」「進むしかない」という意味で「Alea jacta est.」と言ったことが語源です。