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「釈迦に説法」の意味と語源、ビジネス・皮肉の使い方、類語、対義語、英語を例文つきで解説

「釈迦に説法(しゃかにせっぽう)」の意味は「知り尽くしている人に教えを説くこと」です。「釈迦」とは、北インドの人物で「仏陀」「仏教」の開祖です。その仏教の教えを説いた釈迦本人に、仏教の教えを説くという行為から、すでに知り尽くしている人に、その分野の教えを説くという恥ずかしさや愚かさを「釈迦に説法」と言い表すようになりました。ビジネスシーンなどで知識人に恐縮・謙遜して意見するときなどに使用されます。

「釈迦に説法」とは

読み方は「しゃかにせっぽう」

「釈迦に説法」の読み方は「しゃかにせっぽう」です。 「釈」は音読みで「シャク」、「迦」は音読みで「カ」、「説」は音読みで「セツ」、「法」は音読みで「ホウ」と読みます。

意味は「知り尽くしている人に教えを説くこと」

「釈迦に説法」の意味は、よく知っている人になお教えることです。 例えば、プロ料理人に対して一般の主婦が「料理というものは...」と話すなど、その道のプロにその道を語るという恥ずかしく愚かな行為を指します。 「釈迦に説法」には、知識が豊富な人にその知識について教えることは失礼だ、という意味はありません。無礼さではなく愚かさを表します。 「釈迦に説経」「釈迦に経」ともいいます。ただし「ブッダに教えを説く」とは言いません。

「猫に小判」「馬の耳に念仏」との混同に注意

「猫に小判(ねこにこばん)」の意味は「価値の分からない人に貴重なものを与えてもむだであること」です。 「馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)」の意味は「人の意見や忠告を聞き流すだけで少しも聞き入れようとしないこと」です。 「意味がない」「無駄である」という意味では、共通しているので混同されやすいですが、「猫に小判」「馬の耳に念仏」は、「与えても何の意味や価値もない」ということなので「釈迦に説法」とは違います。

「釈迦に説法」の語源

釈迦本人に仏教の教えを説くことが由来

「釈迦に説法」の由来は、「釈迦本人に仏教の教えを説くこと」です。 「釈迦」とは、北インドの人物で「仏陀」「仏教」の開祖です。 その仏教の教えを説いた釈迦本人に、仏教を教えを説くという行為から、すでに知り尽くしている人に、その分野の教えを説くという恥ずかしさや愚かさを「釈迦に説法」と言い表すようになりました。

「釈迦に説法、孔子に悟道」と続く場合も

「釈迦に説法、孔子に悟道」と続く場合もあります。 「孔子」は紀元前の中国の思想家で、儒教の開祖でもあります。 「悟道」は「悟りの道や道徳」です。 「孔子に悟道」で、儒教の開祖の孔子に悟りの道を説くという意味になり、「釈迦に説法」と同様にその道のプロに教えを説くという愚かさのたとえになります。

「釈迦に説法」の使い方と例文

知識人に恐縮・謙遜して意見する

「釈迦に説法」は、知識人に恐縮・謙遜して意見するときに使用されます。 自分よりよく知っている人にその分野のことを語らなければいけないときは、「釈迦に説法で申し訳ありませんが」と言ってから伝えることで、自分をへりくだり相手を立てることができます。 ビジネスシーンでは上司に対して意見を伝えたいときなどに使用されることが多いです。

「釈迦に説法」の例文

  • こんなことを言うのは釈迦に説法ですが、一言言わせてください。
  • 釈迦に説法とは存じますが説明させていただけますか?
  • 前職での経験があると思うので釈迦に説法かもしれませんが、一応研修には顔を出してもらえるとありがたいです。

「存じます」の意味と使い方、言い換え、謙譲語、「思います」との違い

WURK

皮肉・嫌味でも使う

逆に知識の浅い人に対して、上記のような使い方をすると皮肉・嫌味になります。 「釈迦に説法」を使用するときは、その道のプロとド素人など知識量の差が歴然としている場合に限定しましょう。 また、第三者を介して知識の乏しい人を皮肉ることもできます。

「釈迦に説法」の例文

  • 東大卒の君には釈迦に説法だけど、使用済みの紙はこの箱に入れるんだからね。
  • 山田専務、経験豊富な田中君にそんなこと言うのは釈迦に説法ですよ。

謝罪

「釈迦に説法となるようなことを言って申し訳ありませんでした」などと謝罪をするときに使用することもできます。 最初から相手がベテランであるという情報を知っていれば問題ありませんが、情報がないとわからずに釈迦に説法となるようなことしてしまうこともあるでしょう。 知らなかったとはいえ、やはりベテランの人に対して教えるというのは失礼な行為にあたるので、うっかりベテランに対して教えを説くようなことをしてしまった場合には謝罪をします。

「釈迦に説法」の例文

  • 知らなかったとはいえ先輩にこんなことを申しあげるのは釈迦に説法でした。
  • 釈迦に説法なことを言ってしまい大変申し訳ありませんでした。

自分に対して使うと傲慢な印象に

「釈迦に説法」は、例えば、「私に料理を教えるなんて釈迦に説法だよ」というように自分に対して使用すると傲慢な印象になってしまいます。 基本的には、自分に対して使用する言葉ではないので注意しましょう。

「釈迦に説法」の類語・言い換え

河童に水練

「河童に水練」は「かっぱにすいれん」と読みます。 「河童に水練」の意味は「ある物事に精通している人にそれを教えること」です。 泳ぎの達者な河童に泳ぎを教えることは無駄であるということに喩えたことわざです。 「河童に水練」は「釈迦に説法」と同義です。

猿に木登り

「猿に木登り」は「さるにきのぼり」と読みます。 「猿に木登り」の意味は「そのことをよく知っている者に教え込もうとすること」です。 木登りの得意な猿に木登りを教えるように、よく知っている相手にわざわざ教えるという無駄な行為の喩えです。 「猿に木登り」も「釈迦に説法」と同義です。

極楽の入り口で念仏を売る

「極楽の入り口で念仏を売る」は「ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる」です。 「極楽の入り口で念仏を売る」の意味は「知り尽くした人に無用なことを教える」です。 西方極楽浄土に往生し、極楽浄土の教えをよくわきまえている人に向かって、極楽浄土の入り口で念仏を売るという不必要なお世話をすることを言い表したことわざです。

「釈迦に説法」の対義語

牛に対して琴を弾ず

「牛に対して琴を弾ず」は「うしにたいしてことをだんず」と読みます。 「牛に対して琴を弾ず」の意味は「愚かなものに、立派な話をしても何の役にも立たない」とです。 牛の前で美しい琴の音色を聞かせても、牛には何も響かないということに喩えたことわざです。 「釈迦に説法」は、元々その道に詳しい優れた人に教えを説くことを意味する言葉なので、愚かな者に立派な話をしても何も意味がないことを言い表す「牛に対して琴を弾ず」は対義語になるといえます。

弘法も筆の誤り

「弘法も筆の誤り」は「こうぼうもふでのあやまり」と読みます。 「弘法も筆の誤り」の意味は「その道に長じた人でも時には誤りや失敗がある」ということの喩えです。 その道のプロであっても、完璧ではないということを言い表したことわざなので、「釈迦に説法」の対義語であるといえます。

「釈迦に説法」の英語

teaching grandmother to suck eggs

「釈迦に説法」の英語は「teaching grandmother to suck eggs」です。 直訳すると「祖母に卵の吸い方を教える」で、「すでに知っている人に、その知識を教える」という意味です。 「teaching a fish how to swim」という表現もあります。

Teaching that girl English is like teaching grandmother to suck eggs. Her mother tongue is English!

あの女の子に英語を教えるのは釈迦に説法だよ。彼女の母国語は英語だからね。

I think you already know about this, but...

「釈迦に説法ですが」は、

  • I think you already know about this, but...
  • You might know about this, but...
  • I'm sure you are familiar with this, but...

などとなります。

まとめ

「釈迦に説法」の意味は「知り尽くしている人に教えを説くこと」です。 その道のプロにその道を語るという恥ずかしく愚かな行為のたとえです。 ビジネスシーンなどで、知識人に恐縮・謙遜して意見するときに使用されます。 自分に対して使用すると傲慢な印象になってしまうので注意しましょう。

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