「蓼食う虫も好き好き(ただくうむしもすきずき)」の意味は人の好みは様々であることです。「辛くて苦い蓼(たで)の葉を好き好んで食う虫もあるように、人の好みは人それぞれである」ということを言い表したことわざです。恋愛などで人の趣味が理解できない時に使います。
「蓼食う虫も好き好き」の読み方は「たでくうむしもすきずき」です。 「蓼」は訓読みで「たで」、「食」は訓読みで「くう」、「虫」は訓読みで「むし」、「好」は訓読みで「すく」と読みます。 「たで」を「だて」と読むのは誤りなので注意しましょう。 「たで」を「田で」とするのも間違いです。「たで」とは植物のことです。 「すきずき」を「すきすき」と読むのも間違いです。
「蓼食う虫も好き好き」の意味は、人の好みは様々であることです。 辛くて苦い葉である蓼(たで)を好き好んで食う虫もあるように、人の好みもそれぞれであることを言い表したことわざです。 「蓼(たで)」とは「柳蓼(やなぎたで)」という植物のことです。 人間も食べる赤紫の葉でお寿司のツマと一緒におかれていることもありますが、苦くて辛いためほとんどの虫は食べません。 実際に蓼を好んで食べる虫の種類は不明です。 「好き」は、「好き好き」と二回繰り返すことで、人によって好みが違うことを表しています。 「蓼食う虫も好き好き」は、「蓼食う虫」「蓼食う虫は辛きを知らず」「蓼の虫は葵(あおい)に移らず」などといわれることもあります。
「蓼食う虫も好き好き」は、恋愛などで人の趣味が理解できないときに使用します。 例えば、自分は絶対に好きにならないようなタイプの人を友人がタイプだと言っているという場面です。 「蓼食う虫も好き好きだ/蓼食う虫も好き好きである」と断定したり、「蓼食う虫も好き好きというが...」などと引用をする形で使用されることが多いです。 好みは人それぞれ違うことをポジティブに伝えようとしても、自分の好みを否定されたと感じる人もいるので使う際は注意しましょう。
「蓼食う虫も好き好き」の例文
「蓼食う虫も好き好き」は、人の好みを否定することを注意喚起するときにも使用します。 例えば、自分が美味しいといって食べている物を「これが美味しいなんておかしい」と否定する人を「人の好みはそれぞれだから」と戒めるときに「蓼食う虫も好き好き」という言葉を使います。 人の好みを否定しそうになったときの自分を戒める意味で使用することもあります。
「蓼食う虫も好き好き」の例文
「三者三様」は「さんしゃさんよう」と読みます。 「三者三様」の意味は「やり方や考え方などが、人それぞれで違うこと」です。 人間一人一人は皆、違う者であるから、三人集まれば当然三つの考えや方法があるものだということを言い表した四字熟語です。 「三者三様」は意見や証言の食い違いなどで、別々の趣旨の発言がされたときや、魅力や欠点など人に対して使用します。 「十人十色」は「じゅうにんといろ」と読みます。 「十人十色」の意味は「人の好むところ・思うところはみんな違うこと」です。 十人いれば、十通りの考えや嗜好があるということを言い表した四字熟語です。 「十人十色」は人のキャラクター・特徴について述べる場合に使います。 「千差万別」は「せんさまんべつ」と読みます。 「千差万別」の意味は「さまざまに異なって同じでないこと」です。 「千・万」は数の多いことを表していて、「差別」は区別・違いを示しています。 「千差万別」は、人以外に対しても使用することができます。
「面面の楊貴妃」は「めんめんのようきひ」と読みます。 「面々の楊貴妃」の意味は「各人がそれぞれ自分の妻や愛人を、中国の楊貴妃のような美人だと思い込んでいる」です。 人にはそれぞれ好みがあり、好きになると欠点も目につかず、美しく見えるということを言い表したことわざです。 「割れ鍋に綴じ蓋」は「われなべにとじぶた」と読みます。 「割れ鍋に綴じ蓋」の意味は「破鍋にもそれにふさわしいとじ蓋がある」です。 どんな人にも相応した配偶者がある、何事にも似かよった者同士がふさわしいということのたとえです。 「割れ鍋」は「破れ鍋」と書くこともできます。 「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と書くのは誤りです。
「熊野松風に米の飯」は「ゆやまつかぜはこめのめし」と読みます。 「熊野松風に米の飯」の意味は、「能楽の「熊野」と「松風」は米の飯と同じほど誰からも好まれる名曲だ」です。 誰からも好まれていることを言い表す言葉なので、「好みは人それぞれ」という意味の「蓼食う虫も好き好き」の対義語になります。
「蓼食う虫も好き好き」と同じ意味の英語のことわざは「There is no accounting for tastes.」です。 「account」とは「説明する」の意で、「人の好みを説明することはできない」が直訳です。
「蓼食う虫も好き好き」の意味は、人の好みは様々であることです。 「辛くて苦い蓼(たで)を好き好んで食う虫もあるように、人の好みは人それぞれである」ということを言い表したことわざです。 恋愛などで人の趣味が理解できない時や、人の好みを否定することを戒めるときに使用されます。