「万感の思い」は「ばんかんのおもい」と読みます。「万感の思い」の意味は「いろいろな思い」で、喜びなど一つの感情でだけではなく、喜びや悲しみという色々な感情があることを「万感の思いでいっぱい」「万感の思いがこみ上げる」などと言い表します。「感無量」「溢れる思い」などが類語です。
「万感の思い」は「ばんかんのおもい」と読みます。 「万」は音読みで「マン」、「感」は音読みで「カン」、「思」は訓読みで「おもう」と読みます。 「万巻の思い」「晩間の思い」「盤垣の思い」「晩柑の思い」などはすべて誤記なので注意してましょう。
「万感」とは「いろいろな思い」という意味です。 心に起こるさまざまな思いを「万感の思い」といいます。 「万感」は、「万」に「数の多いこと」、「感」は「心に感じること」「心のうごき。気持ち」という意味があり、漢語が語源の言葉です。 「万感の思い」は「いろいろな思いの思い」という意味になってしまうので、厳密には二重表現(重言)です。 しかし、慣習的に広く使われており、使用しても問題ありません。
「万感の思い」は、その日を迎えるまでの様々なことを思い出すことで、感情が溢れてくるような場面で使用されます。 ただ単に嬉しいという感情ではなく、今までの苦しみや周りの人への感謝など多くの感情が一気に脳裏を駆け巡る時に使う表現が「万感の思い」です。 具体的には、
などで使われます。
例文
「万感の思い」は、結婚式や受験合格という明るく感動的なシーンだけではなく、お葬式など悲しいシーンでも使用されます。 この場合はネガティブな感情が主だが、楽しかったことや懐かしいことなどさまざまな感謝がいっせいにこみ上げてくるという点は共通しています。
例文
「万感交到る」は「ばんかんこもごもいたる」と読みます。 「万感交到る」の意味は、「さまざまの感情がつぎつぎに胸中に起こる」です。 「交々(こもごも)」は「次から次へと湧き起こること」という意味で、「悲喜交々到る」「交々に心境を語る」などとも使います。
「万感胸に迫る」は「ばんかんむねにせまる」と読みます。 「万感胸に迫る」の意味は、「さまざまが感情が胸に満ちていっぱいになる」です。 喜びや悲しみなど感情が押さえきれないほどこみ上げて、胸がいっぱいになることを「万感胸に迫る」といいます。 「胸に迫る」は、「色々な思いが胸に満ちていっぱいになる」という意味です。
「感無量」の読み方は「かんむりょう」です。 「感無量」は「感慨無量(かんがいむりょう)」を略した言葉です。 「感慨無量」は「感慨」と「無量」の二つの熟語を組み合わせてできています。 「感慨」の意味は、
です。 「無量」は、「量が無いこと」ではなく「はかることが出来ないほど量が多いこと」を示しています。 よって、「感慨」と「無量」を組み合わせた「感慨無量」は「感慨がはかりきれないほど深い」という意味になります。 卒業や結婚、転職など人生の区切りで過去の経験を振り返った時に沸き起こる感情がまさに「感慨無量」です。 ここから転じて、単に嬉しさや感謝の気持ちで「心が動く」ときにも「感無量」は使うことができます。 どちらにせよ、何とも言えないほど深く感じるときに使う言葉です。
「溢れる思い」は「あふれるおもい」と読みます。 「溢れる思い」は、「物事に対して溢れるほどの感情が沸き起こっているようす」です。 「溢れる」には、
という意味があります。 「万感の思い」は、嬉しい気持ちや悲しい気持ちなどさまざまな気持ちが一気に沸き起こってることを言い表す言葉ですが、「溢れる思い」は「喜び」など一つの感情のみが沸き起こっている状態でも使用することができます。 「溢れる思い」の他にも、「溢れる感情」「溢れる気持ち」なども「万感の思い」の類語です。
「感慨深い」は「かんがいぶかい」と読みます。 「感慨深い」の意味は、「感慨の度合いが強いこと」「過去のことや、今までのことに対してしみじみと深く感じられること」です。 主に、以前の経験や過去があっての今のことに対して使われます。 ちなみに「感慨深い」も悪い意味では使いません。 良いや悪い、というよりは「過去を思い出して懐かしい気持ちになること」を指す言葉です。
「感慨多端」は「かんがいたたん」と読みます。 意味は「身に沁みて、心に深く感じることが多いこと」です。 「多端」には複雑で多岐にわたることといった意味があります。 「お話を聞けて、感慨多端です」というように使用すると、「感動することがたくさんあった」と伝えることができます。 感慨多端もポジティブな意味で使われる言葉です。
「しみじみ」の意味は、
です。
「万感の思い」のように「色々な感情が次々と湧き起こる」のではありません。 「ありがたさをしみじみと感じた」というように、「心の底から深く感じ入ること」を「しみじみ」といいます。 漢字で表記すると「染染」もしくは「沁沁」になります。
「感極まる」は「かんきわまる」と読みます。 「感極まる」の意味は「感動の極みに達すること」です。 感動で胸がいっぱいになり、思わず涙が溢れたり言葉が詰まったりすることを表します。 「感極まる」は、「感情がいっぱいになる」という意味では「万感の思い」と類語です。 ただし「非常に感動した」という場面で使用する言葉なので、「万感の思い」とは異なり、お葬式など悲しいシーンで使用することはできません。
「万感の思い」を「全ての種類の感情」と解釈すると「all sorts of emotions」となります。 ただし、これは「万感の思い」を無理矢理英訳したもので、このような表現はネイティブはあまり使いません。 そもそも「万感の思い」という表現は英語には存在しません。 「all sorts of emotions」とアメリカ人にいっても、「具体的にどう思ったの?悲しかったの?嬉しかったの?」と思うことでしょう。 なので、わざわざ英訳する必要はありません。
「万感の思い(ばんかんのおもい)」とは「さまざまな思いや感情が心に浮かぶこと」を指します。卒業式など人生の節目のスピーチなどで主に使用されます。