「老いては子に従え」は、年をとったら我を張らずに、何事も子に任せて従うのが良いという高齢者のあり方を言い表したことわざで、親や第三者を説得する時に使用します。年老いた自分への自戒の意で使用することも可能です。「老人は必ず若い者に従うべき」という意味ではないので注意しましょう。
「老いては子に従え」は「おいてはこにしたがえ」と読みます。 「老いては子に従え」の意味は「年をとったら子供の言うこと聞くのがよい」です。 年をとったら我を張らずに、何事も子に任せて従うのが良いという高齢者のあり方を言い表したことわざです。
「老いては子に従え」の「老いて」は「年をとったら」という意味ですが、何歳からか厳密な定義はありません。 子供を授かる年齢によっては一般的に「高齢」であっても子供はまだ幼児であるということもあります。 親がいくら年を取っていても、子供がまだ成人していなければ「老いては子に従え」は当てはまりません。 親がリタイアしていても、60代70代はまだまだ元気で自分自身で正しい意思決定ができる方も多いでしょう。 イメージとしては親が80代で子供が50代くらいならば、まさに「老いては子に従え」といえそうです。
「老いては子に従え」は、漢の時代の学者「戴徳(たいとく)」が書いた女性に対する儒教「三従(さんじゅう)」の理論です。 三従では、「子供の頃は親に従い、結婚したら夫に従い、老人になったら子供に従う」という女性が従うべきとされた3つの道が書かれています。 これが語源となって「老いては子に従え」ということわざができたと言われています。 三従は女性に対する教えですが、現在「老いては子に従え」と使うときは性別は関係ありません。
「三従の教え」全文は下記です。 「凡婦人(ぼんふじん)は、柔和(にゅうわ)にて人に従うを道とす。父の家に在(あ)りては父に従(したが)ひ、夫の家にゆきては夫に従(したが)ひ、夫死しては子に従(したが)ふを三従(さんじゅう)と云(い)ふ。幼(いと)より身を終るまで、我のままに侭(まま)に事を行(おこな)ふべからず」
「老いては子に従え」は、高齢になった親や第三者を説得するときに使う言葉です。 例えば、両親が高齢になって「自動車の免許を返納してほしい」と子が願っても、従わない人って多いですよね。 高齢ドライバーの事故が多発していることからもわかるように、本人が大丈夫だと思っていても大丈夫ではないということが高齢になってくると増えてきます。 そういった場面で、「意地を張らないで言うこと聞いてよ」という意味で、「老いては子に従え」という言葉を使用します。 多くは、「老いては子に従えだ」と断定して使います。 ただし、第三者を説得するときに使用する場合は注意が必要です。 「老いては子に従え」ということわざを使うということは、相手を老人だと思っているということになります。人によっては失礼だと感じるので、相手の年齢や関係性に注意して使用しましょう。
例文
自分が年を取った時に自戒(じかい)の意味で使用することもできます。 ついつい我を通したくなってしまうような場面で「我を張らずに子に従うべきだよな」と自分に言い聞かせることができます。 「老いては子に従えで、〜」の形で使うことが多いです。
例文
「老いては子に従え」は、「老人は必ず若い人に従うべき」という意味ではありません。 例えば、電車で高齢者に席を譲って断られたという場面で「老いては子に従え」というのは誤りです。 「労に老いては子に従え」は、親子の関係に対して使用できることわざです。
「老いては子に従え」の「子」とは、息子・娘のことです。 孫は含まれないので注意しましょう。 例えば、孫が祖父母に対して「自分の意見に従ってほしい」と説得する場面で使用することはできません。 孫が、祖父母に対して「自分の両親に従ってほしい」と説得する場面であれば使用することが可能です。
「老いては子に従え」は、「老いては子に従え」で定型句で、一つの慣用句です。 「老いては子に従おう」「老いては子に従うべきだ」「老いては子に従ったほうがいいよ」などと活用するのは本来誤用です。 家族に対して口語で使うのはアリですが、文語では避けましょう。
「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」は「おうたこにおしえられてあさせをわたる」と読みます。 「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の意味は「経験を積んだ人も、時には未熟な人に教えられることがある」です。 一人では川も渡れなくても、背の上からが浅せと淵(ふち)がよく見分けられることから、背負った子に教えられて深みにはまらずに川を渡ることができるということから、「未熟な者から教えられることがある」ということのたとえで使用されるようになりました。 「負うた子浅瀬」「負うた子に教えられる」「三つ子に習うて浅せを渡る」ともいいます。 ただし、「負うた子」は、自分より未熟な者、目下の人を指すため目上の人に対して使用することはできません。注意しましょう。
「騏驎も老いては駑馬に劣る」は「きりんもおいてはどばにおとる」と読みます。 「騏驎も老いては駑馬に劣る」の意味は「すぐれた人物でも、老いると凡人にも劣るようになる」です。 「騏驎」は、一日に千里を走ることができるといわれている「駿馬(しゅんめ)」のことで、「駑馬」は、足ののろい駄馬のことです。 「名馬も年をとると足ののろい馬に負けてしまう」という事にたとえたことわざです。 「騏驎」を「麒麟」と書くのはよくある誤りです。
「老害」は「ろうがい」と読みます。 「老害」の意味は「周りの人に不愉快な思いをさせたり迷惑をかける老人」です。 若者層に向けて「老人なのだから敬われて当然」、「自分たちのほうが年齢を重ねているぶん偉いんだから、従えよ」というような考えで人に不快な思いをさせてしまったり、自分勝手な行動をとってしまう老人を指します。 「老人」=「老害」というわけではないので注意してください。
「亀の甲より年の功」は「かめのこうよりとしのこう」と読みます。 「亀の甲より年の功」の意味は「長年かけて積んできた経験は、ありがたく価値があること」です。 「甲」は「甲羅(こうら)」のことです。 「年の功」は「長年の功績」という意味です。 亀は万年生きても、その甲は甲としての価値しかないが、たかだか八十八年であろうと、高齢者が身につけている知恵や技能は尊いものであるということを言い表しています。 「年をとり経験を多く積む」という意味で「年の劫」と書くこともできます。 「年の効」は誤記です。
「老いたる馬は道を忘れず」は「おいたるうまはみちをわすれず」と読みます。 「老いたる馬は道を忘れず」の意味は「経験豊かな人は物事のやり方をよく心得ている」です。 「老馬の智」「馬に道をまかす」「老いたる馬は道を知る」ともいいます。 また、「道」は「路」でも可能です。 高齢者の知恵や経験を生かそうとする前向きなことわざですが、「老いたる馬」のイメージがマイナスなので特定の相手に対して使うのは避けたほうが無難です。
「医者と坊主は年寄りがよい」は「いしゃとぼうずはとしよりがよい」と読みます。 「医者と坊主は年寄りがよい」の意味は「年寄りのほうが信頼ができる」です。 年寄りの医者や坊主ほうが経験を積んでいるため信頼できるということにたとえたことわざです。 「医者と唐茄子は年より程良い」「医者と味噌は古い程良い」ともいいます。
「老いては子に従え」は儒教の考え方なので英語圏ではこのような諺は存在しません。 英語で説明する以外に方法はありません。
You should listen to what your children say when you get old.
年を取ったら、子供の言うことを聞いた方がよい。
You need to leave all to your children as you grow old.
年を取ったら、すべてを子供に任せる必要です。
「老いては子に従え」の意味は「年をとったら子供の言うこと聞くのがよい」です。 語源は、漢の時代の学者「戴徳(たいとく)」が書いた女性に対する儒教「三従(さんじゅう)」の理論です。 三従では、「子供の頃は親に従い、結婚したら夫に従い、老人になったら子供に従う」という女性が従うべきとされた3つの道が書かれています。 三従は女性に対する教えですが、現在「老いては子に従え」に性別は関係ありません。