「聖人君子(せいじんくんし)」とは「知識があり徳もすぐれた、理想的な人物」を指す。「聖人」「君子」はともに「学識も人格も優れた人」の意。「聖人君子」という言葉は中国の儒教に由来する。「聖人君子」を女性に使う場合は「聖女」とする。
「聖人君子」は「せいじんくんし」と読みます。 「君子」は「くんし」です。「きみこ」とは読みませんので注意しましょう。 意味は「人徳や品位があり、さらに知識や教養もある優れた人」です。 「聖人」は「知徳に優れており世間の模範的な人物として崇拝される人」のことです。 「君子」は「学識も人格も優れた立派な人、人格者」のことです。 「聖人」と「君子」は同義語です。
「聖人(せいじん)」は中国の儒教に語源をもちます。 中国の儒教において「偉大」「崇高」「高貴」の三要素を兼ね備えた人のことを指します。 ただ政治指導者として優れているだけではなく、道徳の体現者として理想とされる人を指します。 「聖者」でも同じ意味をもちます。 「君子」も元々中国で用いられた理想的な人格を表す称号です。 また、「聖人」は西洋でも使われる言葉で、ローマ・カトリックで信仰と徳の点で特に秀でた人に教会から送られる称号です。 この意味では「聖徒」でも同義になります。 キリスト教の聖人や殉教者の言行や生涯を記録した文書を「聖人伝」といいます。
「聖人」を「しょうにん」と読んだ場合は、仏教用語となります。 サンスクリット語「ārya」の訳語です。 「上人(しょうにん)」と同義語です。 意味は「智慧が広く、慈悲深い人」「徳の高い僧」となります。
「聖人君子」は実際にはそうそういませんので、「聖人君子ではないが」「聖人君子ではないので」などと人は完璧ではないことを示す時に使われます。 「聖人君子なんていない」など嘆いて使う場合もあります。 「聖人君子」を使って人を褒める場合は皮肉・嫌味のようになる場合があるので注意です。 理想像を提示する場合は「聖人君子のような」「聖人君子みたいな」などと使います。
「聖人君子」の例文
「聖人」「君子」は「紳士」と同じように女性には使わない言葉です。 古代中国において「聖人」「君子」といわれる立場の人に女性がいなかったためです。 女性の社会進出がなかった時代なので、仕方ない気もしますが、今考えると女性差別的です。 しかし、女性に本来使わない言葉を女性に対して使うことを嫌がる女性がいるのもまた事実です。 よって、「聖人君子」「聖人」「君子」という言葉は女性に対しては使用しない方がよいでしょう。 女性の場合には代わりに「聖女」「淑女」「貞女」という言葉を使います。
「聖人君子」を「聖人君主」とするのは誤用です。 「君主」とは「世襲により国家を治める統治者」のことです。 王や皇帝などのことを指します。
「聖人賢者」は「せいじんけんじゃ」と読みます。 意味は「知恵があり賢く、人徳のある人」です。 「聖人君子」とほぼ同義となります。 「賢者」は「道理に通じた賢人」のことを表します。 「雲中白鶴」は「うんちゅうはっかく」と読みます。 意味は「世俗を超越した、高潔な人」です。 これは白い雲の中を鶴が飛んでいく状況を表した四字熟語です。
「聖人」のその他の言い換え表現には
などがあります。
「聖人」と似た意味の性格を表す言葉には
などがあります。
「聖人」の対義語は、
などになります。
「聖人」「君子」を含む代表的な慣用句を4つ紹介します。 これらはどれも合点がいくものばかりで、聖人君子のような人になりたい方は、これらを実行すればよいかと思います。
「聖人に夢なし」の読み方は「せいじんにゆめなし」です。 意味は「聖人は全てを悟っているため、雑念に煩わされないことから安眠することが出来、夢など見ない」となります。 悟りの境地にある聖人は、雑念にとらわれないことを表したことわざとなります。
「聖人は物に凝滞せず」の読み方は「せいじんはものにぎょうたいせず」です。 意味は「聖人は時勢を見抜いて対処をするため、ひとつのことにはこだわらない」です。 「凝滞」の意味は「滞って進まないこと」です。 交通に対してや仕事の運び、物事の流れなどに対して使われます。
「聖人危うきに近寄らず」は「せいじんあやうきにちかよらず」と読みます。 意味は「聖人は身を慎み自ら危険をおかすようなことはしない」となります。 これは「君子危うきに近寄らず」とも言います。 意味は同じです。 「賢く徳のある人はわざわざ危険には近寄らない」=危険に自ら近づくものではないといったことを表しています。
「君子豹変す」は「くんしひょうへんす」と読みます。 意味は「君子は自分の過ちをすぐ改め、善に移るということ」です。 それが転じて「急に態度や主張を変えること」といった意味でも使われています。
「君子は独りを慎む」は「くんしはひとりをつつしむ」と読みます。 意味は「君子はひとりでいる時も行いを慎み、良心に恥じるようなことはしない」となります。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」は「くんしのまじわりはあわきことみずのごとし」と読みます。 意味は「立派な人の交際は、水のように淡白である」となります。 実はこれに続きがあり、「小人の交わりは甘きこと醴の如し」となります。 これは「つまらない人の交際は、甘酒のようにべたべたしている」という意味です。 立派な人は信頼し尊敬できる相手と交際をすることと、関係を保つために贈り物をしたり媚を売ったりしたりするつまらない人と比較をしています。
「聖人君子」の直訳は「saint」です。 「saint」はローマ・カトリックで信仰と徳の点で特に秀でた人に教会から送られる称号を指します。 日常会話で使う場合は「a real saint」の形で「人格があって優しい人」という意味で使います。
She must be a real saint to care for her parents all these years.
近年ずっと両親の介護しており、彼女は聖人君子に違いない。
「完璧な人間」という意味で、「perfect」を使って表すこともできます。 「偉大な」という意味の「great」を使うことも可能です。
No candidate is perfect.
聖人君子のような立候補者なんていない。
「徳」を意味する英語は「virtue」です。 「a person of virtue」で「徳のある人」という意味になります。
Discretion is the better part of valor.
思慮分別が勇気の大部分
A wise man changes his mind, a fool never.
賢者は考えを変えるが、愚者は変えない
「聖人君子」とは「徳や品があり、かつ知識や教養もある、理想的な人物」を意味する四字熟語。「聖人」は「知恵も徳もすぐれた人」、「君子」も「才知・徳行のすぐれた人」で同義。「聖人賢者」とも。「聖人君主」は誤用。