「思料(しりょう)」は、「あれこれと考えること」を意味する法律用語です。耳慣れない言葉だと感じる人は多いのではないでしょうか。今回は「思料」の正しい意味と使い方を解説します。また、類語との違いや英語表現も合わせて紹介しますのでぜひ参考にしてください。
「思料」の読み方は「しりょう」です。 「思」は音読みで「シ」、「料」は音読みで「リョウ」と読みます。 「思料」は漢字で「思量」とも書きます。 「料」は「見当をつけて予測すること」を意味します。 「量」は「推しはかること」という意味です。 よって「思料」と「思量」は同じ意味です。 ただし一般的には「思料」と表記されます。
「思料」は「あれこれと考えること」を意味する法律用語です。 弁護士や検察官など法曹に関係する者が「考える」を意味する語として使う堅い語です。 『広辞苑』では「思いはかること」「考えること」と記されていますが、日常会話で使うことはほぼありません。
弁護士などが、「考える」という意味で「思料する」を使います。 例えば、ある特定の事に関して比較判断して結論を述べるときに「〜と思料します」などと言ったりします。 「思料します」「思料いたします」は「思料する」の敬語です。 「思料します」は、「思料」に丁寧語の「ます」をつけた敬語表現です。 「思料いたします」は、「思料」に丁重語の「いたす」と丁寧語の「ます」をつけた敬語表現です。 「丁重語」とは、、動作の対象ではなく話を聞いている相手に敬意を示すために使用される敬語表現のことをいいます。 丁重語は、自分の動作をへりくだり相手に敬意を示す「謙譲語」と同じ種類の敬語で「丁重語Ⅱ」ともいわれます。 「〜と考えることができる」と可能性を述べる場合は「思料できる」と言い表します。 「誰がみてそうだと思われる」という、客観的なニュアンスを持たせる場合は「思料される」と受身で使用します。 「思料がない」「思料が浅い」などと名詞的には使わないので注意しましょう。
例文
銀行・役所では「〜と思料」と体言止めで使います。 体言止めとは、文の末尾を体現で終わらせることをいいます。 古くから短歌や俳句で使われていますが、体言止めを使用することで文章が読みやすくシンプルになる効果があるため一般的な文章でも使用されます。 銀行・役所では、文書で決済・承認を書くときに「思料」を「〜だと思います」という意味で使用します。例えば、「〜は特段問題のないものと思料」という使い方です。 役所では説明・答弁は簡潔が基本なので、字数を減らすために体言止めで使用されることが多いです。
「思料」は、一般的なビジネスシーンではあまり使われません。 ビジネスシーンでは「思料」よりも「〜だと考えます」「〜だと思われます」という言い方をすることが多いです。 「思料」は一般的に法曹業界や、銀行・役所で使用される言葉であるということを覚えておきましょう。
公文書では「思料」は「考える」に言い換えることを推薦しています。 理由としては、同じ意味の漢字を2回重ねて強調する語は分かりづらいということがあげられます。 公文書は、役所が意思決定する過程や結果を記録するものなので、よりわかりやすく書くことが重要です。
「思慮」は「しりょ」と読みます。 「思慮」の意味は「念入りに考えをめぐらすこと」です。 ただ考えるということではなく、どうしたら成功するか上手くいくかなどと状況に対応した行いを考えることを言い表します。 「思料」は、法曹に関係する人が、法律に関することで色々と考え巡らすことを言い表し、動詞で使用します。 「思慮」は、様々な人が注意深く考えをめぐらすことを言い表し、「思慮がある」「思慮が浅い」というように名詞で使用することができます。
「思案」は「しあん」と読みます。 「思案」の意味は「あれこれと考えること」です。 または「思い悩むこと」です。 例えば、何か問題が起きたときにうまい処理(解決)の方法が思い浮かばず考え込むことをいいます。 「あれこれと考える」という意味では「思料」と同義ですが、「思案」は「思い悩む」というニュアンスが含まれる点で「思料」とは異なります。
「思惟」は「しい」と読みます。 「思惟」の意味は「心に深く考え思うこと」です。 物事の根本をよく思考することを言い表す言葉です。 また哲学では「思惟(しゆい)」といい、「知覚以外の認識作用」という意味があります。 分析、総合、推理、判断などの精神作用のことを指します。 「思惟」は、「思考」と同義です。 よって、「思惟」のほうが「思料」より広い意味で使用される言葉であるといえます。
「思念」は「しねん」と読みます。 「思念」の意味は「常に心に考えていること」です。 常に心の中で思っていることをいいます。 例えば「真理を思念する」だと、「真理を常に考えている」という意味です。 「考える」という意味では「思料」の類語になりますが、「思料」には「常に」という意味はないという点で「思念」とは異なります。
「思索」は「しさく」と読みます。 「思索」の意味は「物事の道筋を立てて深く考えること」です。 現象の持つ根本的意味や、現象と現象の関連などを、純粋に論理的に突きつめて考えることをいいます。 「思料」には「物事の道筋を立てて」という意味はありません。 よって、「物事の筋道を立てて」という意味のある「思索」よりも「思料」のほうが意味が広いと言えます。
「勘案」は「かんあん」と読みます。 「勘案」の意味は「あれこれを考え合わせること」です。 「勘」は経験した上で身についた推測なので、「経験豊富ゆえの的確な判断、速やかな判断」ということになります。 いろいろと考え合わせること・全てをよく調べてから考えることを言い表します。 「思料」も「あれこれ考えること」という意味ですが、「全てをよく調べてから考える」という意味合いはありません。
「沈思黙考」は「ちんしもっこう」と読みます。 「沈思黙考」の意味は「だまって物事を深く考えること」です。 「沈思」には「思いに沈むこと」、「黙考」には「だまって考えること」という意味があります。 「思料」には「黙って」という意味はないという点で「沈思黙考」とは異なります。
「思料」は「考える。思う」という意味なので、「think」で表すことが可能です。 イギリス英語でよく使われる「考える。思う」は「suppose」があります。