「現れる」と「表れる」は、どちらも「あらわれる」と読む同音異義語です。「現れる」の意味は、今まで隠れて見えなかったものが見えるようになることです。対義語は「隠す」です。「表れる」の意味は、考えや感情が表にでることです。対義語は「潜める」です。
「現れる」は、姿や物の形などのように物理的に目に見える物があらわれることです。 「表れる」は、人の感情など抽象的なものがあらわれることです。
「効果があらわれる」の場合、「現れる」「表れる」どちらを使用しても問題ありません。 例えば、「トレーニングの効果があらわれる」の場合、筋肉がついてきたというような目に見える効果があらわれたという場合には「現れる」を使用します。 筋肉のように、目には見えないが、試合に勝てたというような効果の場合は「表われる」を使います。 しかし、「効果」は客観的に見て判断されるものではないので、表現する人によって変わってくるものです。 よって、「現れる」「表れる」どちらを使用しても間違いにはなりません。
「症状があらわれる」も「現れる」「表れる」どちらを使用しても問題ありません。 例えば、「風邪をひいて咳がでてきた」などの症状であれば「現れる」と表記するのが一般的ですが、「持病などの発作がおきた」という場合は、隠れていた目に見えない抽象的なものがでてきたということと同じになるので、「表れた」と表記します。 この場合も、「効果があらわれる」と同じように客観的に見てわかるものではないので、「現れる」「表れる」どちらを使用しても間違いではありません。
「現れる」の意味は「今まで隠れて見えなかったものが見えるようになること」です。 例えば、「ステージにアーティストが姿を現した」というように、人や物など見えていなかったものが見えるようになることを「現れる」といいます。 「現れる」を他の同じようなニュアンスのある言葉に言い換えると「出現する」といった言葉なります
「現」という漢字には、「実際の・まのあたりに」という意味も含まれています。 つまり、「現れる」には、「実物を目の当たりにする」というような意味があるということになります。 「現れる」は、「姿」や「物の形」というように物理的に見たり触れたりすることができるものが出てきた場合に使用します。
「表れる」の意味は、「考えや感情が見える形をとって表にでること」です。 目に見えない内面的なものを表面化することを「表れる」といいます。 「表れる」を同じニュアンスの言葉で言い換えると「表現」というような言葉になります。
「表れる」は抽象的なものが表にでてくるときに使用します 例えば、「彼の怒りは顔に現れていた」というように「人の感情・思考」といったような直接目に見えない物が表面化した場合に、「表れる」を使用します。
「あらわれる」にはもう一つ「顕れる」があります。 「顕れる」の意味は「はっきりと見えること」です。 「隠れていたものが見えるようになる」という点においては「現れる」「表れる」と同じ意味です。 「顕」には、「あきらか・はっきりしている」「あきらかにする・あらわれる」という意味があるので、「はっきりとあらわれる」というような意味合いになります。 「顕われる」の「現れる」「表れる」との違いは、「誰にも明白にわかるようにあらわれる」という意味であるといことです。
「現れる」は物理的に見える物に対して使う言葉で、「表れる」は人の感情など抽象的なものに対して使う言葉です。 例えば、「効果」に対してなど「現れる」「表れる」どちらも使用可能な場合もあります。 この場合は、身体のなかで少しずつ変化していたものがようやく身体の表面に出現してきたということを言いたいなら「現れる」を使い、ただ効果が表面に出てきたということを言いたいなら「表れる」を使います。