「達観」の意味と使い方を例文付きで解説していきます。「達観」の類語も紹介します。「諦観」「俯瞰」「諦め」など、「達観」には似た言葉が多いので違いを説明していきます。記事の最後には「達観した人」の特徴についても少し触れたいと思います。
「達観」はたっかんと読みます。
「達観」には2つの意味があります。 1つ目は「全体を広く見渡すこと、全体を広い視野で見通すこと」です。 これは開けた場所で見渡すこと、といった意味ではなく物事や将来などを広い視野で全体を見ることを表しています。
2つ目は「心理や道理を見極め、何事にも動じない心境に到ること」です。 細部にとらわれることなく、喜怒哀楽の感情を超越して全体を観察することで何事にも動じないことを「達観」と言います。 どんなことが起こっても動じたり感情が揺れ動くことのない人を「達観している」と表します。
「達観」の語源について解説します。 「達」という字には「滞ることなく物事が進む」といった意味があります。 また「通る」「届ける」「貫く」といった意味もあります。 そして「観」には「注意深く見る」といった意味があります。 「見渡す」「よく見る」「意識、考え」といった意味もあります。 また、ただ「見る」だけではなく「見た後に考える」場合に「観る」を使います。 それらが組み合わさり「よく観察し、心境に何の滞りもない」ことを表す熟語となりました。
「境地」とは「その人が現在置かれている立場」「ある段階に達した心境」といった意味があります。 「達観の境地」の場合「達観」は意味[2]が用いられ、「何事にも動じないという心境に達した」となります。 俗に言う「悟った」といった状況で、ある物事に対してすべてを受け入れ何とも思わない様子を表します。
○「達観の境地」を用いた例文 「彼はまだ若いが、様々な経験をして達観の境地に至る」 「いくら悲しみ悩んでも何も変わらないことを悟り、達観の境地に立たされる」
「達観した考え」は「達観」の意味[1]が用いられ「広い視野を持った考え」となります。 物事や将来などを見据え、全体を把握することの出来る考えに対して用いられます。 「達観した人」とは、「達観」意味[2]が用いられ「何事にも動じない人」「すべてを悟り道理を見極めている人」となります。 何かが起こっても慌てたり感情的になったりせずに、全てを受け止める人を指します。
○「達観した考え」を用いた例文 「達観した考えを持ち、将来の選択をするべきだ」 「これからの会社のあり方を達観した考えで捉え、さらなる進化をしていかなければならない」 ○「達観した人」を用いた例文 「彼はずいぶんと達観した人だけれど、どんな経験をしてきたのだろう」 「私からすれば、達観した人はどこか寂しくも感じてしまう」
「人生を達観する」とは、「達観」意味[2]が用いられ「人生には何が起きるかわからないとうことを悟り、動じないこと」です。 何が起きても「人生とは、そういうものだから」と、動じないことを表しています。
○「人生を達観する」を用いた例文 「まだ若いうちに身内との死別を経験し、人生を達観する」 「彼に何があったのかは分からないが、突然人生を達観したかのような言動が増えた」
「達観視」とは、「達観した視点」を表します。 主に「達観」の意味[1]で使われています。 「物事の全体を見通した視点」「広く見渡した上での視点」となります。
○「達観視」を用いた例文 「達観視することも大切だが、たまには感情的になってもいいんじゃないの」 「部長は会社だけでなく業界全体を達観視し、いつも正しい判断をしている」
「達観的」は「達観しているような」といった意味です。 「達観的な視野」「達観的に行う」などと使われます。
○「達観的」を用いた例文 「今後は、今まで個々で作り上げたもの企業全体として達観的に行う必要があります」 「もっと達観的な視野を持たないと、いくら心臓があっても持たなくなるよ」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「諦観」・・・本質をはっきりと見極めること、事態を察すること
「諦観」は「物事などを入念によく見ること、本質をはっきりと見極めること」といった意味があります。 そして、見極めた上で事態を察することを表します。 「諦観」が「諦める」という漢字を使っているのは「諦めるべく事態や状況を理解した上で、これ以上執着せず求めない」ということです。 近い意味を持ちますが「達観」は「何事にも動じない心境」であることに対して「諦観」は「見極めて事態を察し求めない心境」を表しています。
○「諦観」を用いた例文 「私がいつ辞めても仕方がないと、部長は諦観していた」 「諦観の境地に至り、何事にも動じなくなった」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「諦め」・・・不可能だと思い望みを捨てること、断念して事態を受容すること
「諦め」とは諦めることの名詞活用です。 「諦める」とは、「望んだことを実現するのは不可能であると受け入れ、望みを捨てること」「仕方がないと断念すること」です。 「達観」は「諦めなければならないことにも動じない」ことであり、「諦め」には「動じない心境」は含まれません。
○「諦め」を用いた例文 「経済面で大学進学を諦め、手に職をつけることにした」 「彼のことはもう諦め、今は仕事に集中する」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「俯瞰」・・・広い視野で物事を見ること、客観的に物事の全体像を捉えること
「俯瞰」は「物理的な意味で高い所から見下ろす」といった意味があり、それが転じて「広いし視野で物事を観ること、全体像を捉えること」といった意味を持ちます。 「広い視野で物事を見る」といった点は同じですが、「達観」は「何事にも動じない心境」であることに対して「俯瞰は客観的で全体を捉える」といった部分に大きな違いがあります。 「達観」は「主観でありながら、自分の身に何が起きても動じないこと」であり「俯瞰」は「客観視物事を捉えること」となります。
○「俯瞰」を用いた例文 「プロジェクトを俯瞰し、問題点を明らかにする」 「ミスを犯して落ち込んだが、人生を俯瞰し立ち直る」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「悟り」・・・物事の道理をはっきりと知ること、生死の世界を超越すること(仏教用語)
「悟り」とは、物事の道理をすべて理解することです。 「達観」と「悟り」は近い意味があり、「人生を達観すること」が「悟り」となります。 ただ「悟り」は日常的な小さな出来事にも使うことがあります。 その場合は、主に「察すること、理解すること」といった意味で用いられます。
○「悟り」を用いた例文 「彼女の状況を悟り、今は聞かないでおくことにした」 「私には何もできないと悟りました」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「楽観」・・・すべてを良い方に考え心配しないこと
「楽観」はどんな物事も明るく、良い方に考えて心配しないことです。 日常的にもよく使われる言葉です。 自分の身や周りに起きた出来事に対して、心配せずに気楽に考えることを表しています。
○「楽観」を用いた例文 「もっと楽観して、次のことを考えよう」 「あなたみたいに、何事も楽観できるのはとても羨ましい」
「達観」・・・全体を広い視野で見通すこと、何事にも動じない心境に到ること 「客観」・・・特定の立場にとらわれずに物事を考えること
「客観」とは、自分の概念や固定観念にとらわれずに、誰が見ても納得出来る立場から物事を観ることです。 「達観」とは全く違う意味を持ちます。
○「客観」を用いた例文 「客観できることはとても大事だが、君自身の考えも聞かせてほしい」 「もっと客観して判断しないと、そのままでは誰もついてこなくなる」
意味:全体にざっと目を通すこと
「企業のこれまでの歴史の書類を通覧する」 「動物園は通覧するだけでも楽しいけど、動物それぞれの生態を知った上で観察するもっと楽しめるよ」
意味:広く全体を見渡すこと、壮大な眺め
「社会全体を大観した社長の判断は正しかった」 「山頂からの大観に圧倒される」
意味:仏道の真理を悟ること、芸道に悟りを開くこと
「私は師匠と出会って絵画に開眼した」 「彼は幼き頃から本が好きで、今では文学に関して開眼している」
意味:迷いや苦しみから抜け出し、悟りを拓くこと
「過去の苦悶から解脱して、何も恐れるものはなくなった」 「人間関係においては解脱したものの、自分の仕事には未だ悩むことも多い」
意味:こだわること、囚われること
「終わったことに拘泥するのはいい加減やめよう」 「拘泥せず、色々なことに挑戦する」
意味:ある物事や人などに心がとらわれ、離れないこと
「彼にこれ以上執着するのは辞めてください」 「彼女の親戚はお金に執着するみっともない人たちだ」
意味:自分の意見・態度・考えを頑なに譲らないこと、変えないこと
「その固執した考えを一度改めてもらわないと話にならないよ」 「今までのやり方に固執していたら、どんどん置いてけぼりになるよ」
これまで「達観」について説明してきました。 それでは達観している人とは一体どのような人なのでしょうか? 達観している人の特徴について紹介します。
「達観している人」はどんな時でも落ち着いています。 物事に動じないので、なにがあっても落ち着いています。 そのため仕事面などでとても頼りがいがあります。
「達観している人」は、自分のやるべきことを着実にこなします。 「やりたくないな」「これは苦手だな」などと思うことなく、自分に課せられたことを淡々とこなします。
人や物事に対して欲や執着心がありません。 人間関係でも悩むこともなく「来る者拒まず去る者追わず」精神でいます。 「絶対に欲しい」「これだけはこうでなければ嫌」などといった感情はなく、「なるようになる」と考えています。
「達観している人」は感情の起伏がありません。 喜怒哀楽の感情を超越しているので、どんなことにも大きく感情が動くことがありません。
「達観している人」は失敗を恐れません。 そのため、何事もやってみなければわからないととても行動派です。 もし失敗しても、それも経験のひとつだと次に進むことができます。
「達観している人」は他人からどう思われようと気にしません。 自分がやるべきことをやり、なるようになると考えて生きています。 自分の生き方を他人がどう思おうと関係ありません。
「タッカンマリ」は香味野菜と鶏を丸一羽煮込む鍋料理で、「韓国風鶏の水炊き」です。 韓国語で「닭한마리」と書きます。 ヘルシーでコラーゲンたっぷりのため、女性に人気の料理です。
「達観」について理解できたでしょうか? ✓意味は2つあり「全体を広い視野で見通すこと」と「何事にも動じない心境に到ること」 ✓「達観の境地」「達観した人」などと使う ✓類語は「通覧」「諦観」「悟り」など
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