「自家撞着(じかどうちゃく)」とは「同じ人の言葉や行動、文章が前後で食い違うこと」を意味する四字熟語。「自家」は、自分自身の意。「撞着」は、突き当たるの意から転じて、辻褄が合わないの意。「自己撞着」は元は誤用だが、現在は慣習的に許容。
「自家撞着」の読み方は「じかどうちゃく」です。 「撞」という字を間違えないように注意しましょう。
「自家撞着」の意味は「同じ人の言動や文章が前後で食い違うこと」です。 「自家」とは「自分の家」「自分自身」「己」という意味を持つ熟語です。 「撞着」とは「2つのことが互いにぶつかること」「前後で食い違ってつじつまが合わないこと」という意味を持つ熟語です。 その2つが組み合わさり「同じ人の言動や文章が前後で食い違うこと」を表す四字熟語になりました。
「自家撞着」の語源は禅宗の公案集『禅林類聚(ぜんりんるいじゅう)』です。 「看経門(かんきんもん)」の中に「自家撞着」は出てきます。 原文は 『南堂静云、須弥山高不見嶺、大海水深不見底、簸土揚塵無処尋、回頭撞着自家底』 です。 これは「須弥山は高くてその頂上を現すことはなく、大海原は深くてその底を現すことはなく、土埃を煽りあげてたずねる場所も分からず、振り返っても自分自身でもどのように来たのか分からない」というお話です。
「撞着語法」は修辞技法のひとつで、「矛盾する言葉を意図的に結びつける表現方法」のことです。 「対義結合」とも言います。 例えば
などが「撞着語法」となります。 相反する意味の言葉を繋げることでインパクトをつけることが出来ます。 「Mr.Children」も、撞着語法となります。 またロミオとジュリエットの話の中のロミオの「常に目覚めている眠り、それであってそれでないものだ」という台詞も撞着語法です。
「自家撞着」は主に
といった言い回しをします。 「自家撞着する」は「矛盾する」といった意味合いになります。 「前に書いたことと自家撞着する」などと使います。
「自家撞着」と同じ意味を持つ四字熟語には
があります。 これらはすべて「同じ人の言動や文章が矛盾していること」を表します。
また二字熟語である
のみでも同義として用いられています。 「矛盾」には「前後が食い違うこと」や「論理や筋道などの辻褄が合わないこと」といった意味があります。
「二律背反」は「2つの命題や推論が、どちらも合理性や妥当性も持っているが両立し得ないこと」です。 これはドイツの哲学者であるカントが「理性だけで世界全体の根本的問題を解決しようとすると、二律背反に陥ってしまう」と指摘しました。 論理学の用語であるため、一般的にはあまり使われていません。
「首尾一貫」は「しゅびいっかん」と読みます。 意味は「最初から最後まで、一つの方針や態度で貫かれていること」です。 「首」は「最初」を表し、「尾」は「最後」を表しており、「首尾」で「最初から最後まで」といった意味になります。 「一貫」は「同じ考え方や方法などを始めから終わりまで貫き通すこと」です。
「徹頭徹尾」は「てっとうてつび」と読みます。 意味は「最初から最後まで言動や態度などが一貫すること」です。 また「どこまでも」「あくまで」といって意味で用いられることもあります。 「頭=最初」「尾=最後」まで徹していることを表します。
「理路整然」は、「りろせいぜん」と読みます。 意味は「話の考えや筋道がきちんと整っていること」です。 「理路」とは「話や考え方の筋道」のことをいい、 「整然」とは「きちんと整っている様子」と言い表す言葉です。 したがって、「話の筋道がきちんとしている話し方」という意味で使われる言葉になります。
「自家撞着」の英語表現は「self-contradictory」です。
She is notorious for making self-contradictory comments.
彼女は自家撞着したことを言うことで悪名高い。
「自家撞着(じかどうちゃく)」は、「 同じ人の言動や文章などが前後で矛盾していること」を意味します。 自分で自分の言行に反することを行うこと。 「自家」は自分、自分自身のことを指します。 「撞着」はぶつかるの意味から転じて、矛盾することを指します。 「自家撞着」の語源は禅宗の公案集『禅林類聚』です。