「分不相応(ぶんふそうおう)」とは、「身分や地位、能力、働きにふさわしくないこと。また、釣り合っていないこと」を意味する語。特に「分不相応な生活」などと収入を越えている、必要以上の贅沢についていう語。「分相応」で「身分や能力にふさわしい」という意味で、それを「不」で否定した形。「不相応」「身分不相応」とも。
「分不相応」は「ぶんふそうおう」と読みます。 「ぶんぶそうおう」「ぶんふしょうおう」「ぶふあいおう」などと読むのは間違いです。
「分不相応」の意味は「その人の身の丈に合っていないこと」です。 特に、地位や能力以上に贅沢なことをしており、相応しくないことを表します。 元々「分相応」が「地位や能力に相応しい」といった意味を持つ言葉で、それを否定した言い回しとなっています。
「分不相応」は「分不相応な○○」の形でよく使います。
などです。 特に「分不相応な望み」が最も頻繁に使用されます。 「分不相応な望み」の言い換えには「高望み」「非望」があります。 「分不相応なほど」の形で副詞的に使うこともできます。 「〜は分不相応だ」と形容動詞としても使うこともできます。
例文
分不相応な行為を批判したことわざが多く存在しますので、代表的なものを紹介していきます。
「猿猴月を取る」は「えんこうつきをとる」と読みます。 意味は「身の程をわきまえずに大望を抱いて破滅することのたとえ」です。 能力以上のことを試みて失敗することを指します。 これは「摩訶僧祇律」からの故事成語です。 猿が水面に映った月を取ろうとして溺死したというお話が元になっています。 「猿猴」は様々な意味を持ちますが、ここでは「猿類の総称」のことです。
「人参飲んで首縊る」は「にんじんのんでくびくくる」と読みます。 意味は「先のことを考えずに身分不応相なことをして身を滅ぼすことのたとえ」です。 これは「病気になり高価な朝鮮人参の薬を飲み治したが、支払いに窮して首をくくる羽目になる」ということです。 病気を治して生き延びるために薬を買ったのに、身の丈に合わない高級なものに手を出したことで自滅することになる、と身の丈に合わないことはしない方がいいといった意味の慣用句です。
「玉を懐いて罪あり」は「たまをいだいてつみあり」と読みます。 意味は「身の丈に合わないものを持つと、災いを招くことのたとえ」です。 正しくは「小人罪無し玉を懐いて罪あり」です。 これは、身分の低い凡人であっても本来のままなら罪を犯すことはないが、身分不相応の財宝を持つことで罪を犯すようになるということです。
「匹夫罪なし璧を懐いて罪あり」は「ひっぷつみなしたまをいだいてつみあり」と読みます。 意味は「身の丈に合わないものを持つと、罪を犯すことのたとえ」です。 これは先ほどの「玉を懐いて罪あり」と同義です。
「服の衷ならざるは身の災いなり」は「ふくのちゅうならざるはわざわいなり」と読みます。 意味は「相応しくない服装は他人に怪しまれ、災いを招く元になることのたとえ」です。 「衷」は「適している」「ちょうどよい」といった意味があります。 「衷ならざる」で「適していない」となります。
意味の部分で少し説明しましたが、「分不相応」は「分相応」を「不」を使い否定した言葉です。 「分相応」は「ぶんそうおう」と読みます。 意味は「社会的地位や能力に対応しふさわしいこと」です。 「分」は「正しい地位・能力」のことを表します。
「相応」は「そうおう」と読みます。 対象を限定せず、単に「ふさわしいこと」を意味します。 「ふさわしい」の漢字には「相応」が当てられ、「相応しい」となります。 「相応」の方が「分相応」より広く用いられます。
「応分」は「おうぶん」と読みます。 意味は「能力や性質、特に働きに対応して、ふさわしいこと」です。 「応分の報酬」「応分の寄付」など働きに対応したお金に関することに使うことが多くなっています。
「適切」は「てきせつ」と読みます。 意味は「目的・状況などにぴったり当てはまること」です。 「ふさわしい」というようなニュアンスがあり、「適切な対応」というような使い方をします。
「不相応」の読み方は「ふそうおう」です。 広く「ふさわしくないこと」を意味します。 社会的、習慣的な常識や規範などに対応していないことを指します。
「身分不相応」は「分不相応」とほぼ同義です。 「分不相応」が「能力・身分に照らして不適切」という意味なので、「身分不相応」を内包します。 「身分」という言葉は時として差別的なニュアンスがあるので、あまり使用しない方が無難です。 「分不相応」で言い換え可能です。 「身分不相応」の類語には「乞食が馬を買ったよう」があります。 「乞食(こじき)」という言葉は放送禁止用語になっており、こちらも使用するのが憚られます。 身分に関する言葉はとてもセンシティブなので使用する際は注意が必要です。
「非分」は「ひぶん」と読みます。 「非分」も「身分不相応」と完全に同義で「自分の分を越えていること」となります。 「分」は「その人の持っている身分や能力」「分際」を意味しますので、それに対して「そうではない」「良くない」といった意味で否定する「非」がつき「身分や能力の通りではない」ということとなります。
「過分」は「かぶん」と読みます。 意味は「分にすぎる」です。 したがって、「過ぎる」という意味のある「過」と重さねることにより、「身分や能力を過ぎた」というニュアンスになることがわかります。
「僭越」は「せんえつ」と読みます。 意味は「自分の身分・地位をこえて出過ぎたことをすること、そういう態度」です。 主に「僭越ながら」と使い、出過ぎた行動をするときや、意見を伝える場合に「申し訳ありませんが」といった意味合いで使います。例えば、「僭越ながらお話させてください」と言った場合は、「自分のような者が出過ぎた真似をして申し訳ありませんが、お話をさせてください」という意味になります。
「不向き」は「ふむき」と読みます。 意味は「能力や適性あるいは行動がある方面においてふさわしくなく十分に機能を発揮できていないこと」です。 話し言葉で主に使われます。 「不向きな仕事」「向き不向きがある」などと使います。
「身の程知らず」は「みのほどしらず」と読みます。 意味は「自分の身の程をわきまえずに出しゃばった行動をする人のこと」です。 身分や能力の程度をわきまえず、ふさわしくない言動をすることを指します。 その人を指して「身の程知らず」と使ったり、「身の程知らずな人」「身の程知らずな要求」などと使うこともあります。
「身の丈に合わない」は「みのたけにあわない」と読みます。 意味は「自分の地位や能力に合わないこと」です。 「身の丈」は元々「身長」のことを表します。 「身の丈に合った」の形で使った場合に「無理しないで相応に対処すること」といった意味となります。 それを否定して「身の丈に合わない」となり、「自分の地位や能力に合わない」となります。
「不釣り合い」は「ふつりあい」と読みます。 意味は「釣り合わないこと、ふさわしくないこと」です。 主に釣り合わない2人を指して使うことが多く「不釣り合いな夫婦」「不釣り合いなカップル」などと用いられています。
「live above my means」で「自分の身の丈以上の生活をする」という意味になります。 名詞「means」は「手段」という意味以外に、「収入」という意味があります。 「above」の代わりに「beyond」、「means」の代わりに「income」を使っても構いません。
These are signs that you're living above your means.
このような兆候が表れたら、あなたは分不相応な生活をしていることになります。
This fancy car is obviously beyond my means.
こんな高級車は明らかに私には分不相応だ。
「分不相応(ぶんふそうおう)」の意味は「その人の身の丈に合っていないこと」「地位や能力にふさわしくない」という意味です。 「分不相応な暮らし」「分不相応な望み」など使います。 特に「収入に見合っていない」という意味で不必要な贅沢を非難する時に使います。 「地位や能力と釣り合っている」を意味する「分相応」を否定した形です。 「不相応」「身分不相応」でも同じ意味です。