「思惑」という言葉をご存知でしょうか。「思惑通りに進む」「思惑にまみれる」といったように使います。では、「思惑」の意味についてしっかりと理解しているでしょうか。実は「思惑」には2つの読み方があります。読み方によって、それぞれ意味が異なります。「思惑」は日常会話で使われることがある言葉ですが、意味について知らないという方が多いかもしれません。正しく使うためには、意味についてきちんと知っておく必要があります。そこで今回は「思惑」の意味や使い方について解説していきます。適切に覚えて、上手く使えるようにしましょう!
「思惑(おもわく)」・・・前々から考えている事柄、自分に対しての他人の考えや評価 「思惑(しわく)」・・・人が生まれながらに持っている欲、修行によって断ち切るべき煩悩
「思惑(おもわく)」の意味は、
です。 あらかじめ考えられていた物事、ある事や人に対しての他人の考えを表します。 自分の中で考えている事柄や、ある行いに対しての考えや企みなどを表す場合に「思惑」を使います。 「思惑通り」だったら「あらかじめ考えていた通り」という意味になります。例えば、ある計画が成功することを予想していて、実際にその通りになった場合に「思惑通り」と表現することができます。 「思惑」は「思う」という言葉が名詞化したものです。元々は「思はく」と書かれていたものが、「思わく」と変化して、「惑」という漢字が当てられました。 言い回しとしては、
などとなります。 「思惑」の類語には、「期待」「予想」「心当て」「見込み」「目算」「心積もり」「本音」「魂胆」「胸のうち」「心のうち」「意向」などがあります。
例文 「思うところ」という意味
「他の人々の考え」という意味
「思惑」を仏教用語として使う場合は、「しわく」と読みます。 「思惑(しわく)」の意味は「人が生まれながらに持っている欲」です。 人間が本来持っている煩悩のことで、修行によって断ち切るべきものを表します。 「思惑(しわく)」は「修惑(しゅわく)」と同義語になります。 「思惑」は世間の物事に対して持つ、貧・瞋・痴といった迷いを修行によって打ち切るべきことを表す場合に使います。 「貧・瞋・痴」とは、好みを強く欲しがる貪欲・気に入らないものを嫌う瞋恚・適切な判断ができず迷う愚痴を意味します。 「思惑」は物事を進める上で、何か邪魔になるものを表すときに使うのが適します。
例文