「お里が知れる」とは「言葉遣いや振る舞いによって、その人の育ちや学歴、素姓がわかってしまう」という意の慣用句です。人を非難する時に使います。「お里が知れる」は「おさとがしれる」と読み、「御里が知れる」と漢字表記することもあります。
「お里が知れる」の読み方は「おさとがしれる」です。 「お里が知れる」の漢字表記は「御里が知れる」とも書くこともできます。
「お里が知れる」の意味は「言葉遣いや動作から、その人の素性や育ちが分かる」 「お里」とは実家をいう丁寧語です。転じて、言動の端々に表れる生い立ちの良し悪しを指します。 日頃は特に問題のなさそうな人でも、ふとした瞬間に乱暴な言動が垣間見れたときの、ネガティブな印象を表す時に使います。 「知れる」とは、「知る」の自動詞形というもので、「容易に知ることができる」「自然に察することができる」という意味になります。 「知れる」を「知る」に自発を意味する助詞「る/れる」を付けた形と解釈するのは誤りです。 その場合は「知られる」になります。
「知れる」を使った成句には他にも、
などがあります。
「お里が知れる」は主に悪い意味で用いられます。 特に、他人の下品な言動を非難する時に使います。 汚い言葉を使っていたり、マナーが悪かった時に用います。 「育った環境が悪いのが分かる」「親の教育が悪かったんだろうね」といった意味を含み「お里が知れる」と使います。 「お里が知れる」は育ちが悪いことを表す言葉です。 そのため育ちの良さが分かるといった意味で使うのは誤用となりますので注意しましょう。
例文
また「お里が知れる」は自虐的に使うこともあります。 自分の言動や振る舞い、無知であることなどを表すのに「お里が知れる」と使います。 例えば嫁いだ先で料理が上手に出来なかったり、義実家が知的な会話をしているのに入れなかったりした時に「こんなんではお里が知れてしまいますね」などと使います。
例文
「お里が知れる」の「お里」は「嫁の実家」のことです。 「嫁の実家」の丁寧語・尊敬語となります。 嫁いできた息子の妻に対して、地方の方言が出たり育ちが悪いと思うようなことがあった際に姑などが「お里が知れる」と言ったのが由来となっています。
あまり聞き慣れない方も多い表現ではありますが、「お里が知れる」は方言ではありません。 「お里」と使われていることから「地方で使われているものなのか」「地方を指すのか」と思われがちですが、違います。
「お里が知れる」は出身地は関係なく使用することが出来ます。 なんとなく「里」とついていると、都心や海外出身だと使えないのかなと思ってしまいますが、「お里」の意味は「実家」です。 そのため、場所は関係ありません。 その人の生まれ育った環境を指して使います。 ただし、昔は洗練された都市と田舎では、教育水準が異なったため、「お里が知れる」は地方出身者に対して使うことが多かったのも事実です。 現在でもその傾向は少なからずあるため、都市出身者に対して使うと違和感を覚える人も少なからずいるのも事実です。
「お里が知れる」には尊敬語または丁寧語の接頭語「お」が付いています。 「里」は話し相手の実家を指しているので、丁寧な表現が使われています。 実際には相手の実家の教育や環境を非難した表現なので、この「お」は少し嫌味ったらしい響きがあるのは事実です。 しかし、元々は皮肉のために「お」が使われているのではなく、相手の実家を敬うために「お」が付けられましたので、そこまで接頭語「お」にこだわらなくてもよいでしょう。
「お里が知れる」は、差別的な意味合いが強い表現です。 相手の出生や実家の経済状況を非難することになるため、基本的には使用を避けた方がよいでしょう。 自虐的に使うのに留めておくのが無難です。
「親の顔が見たい」は「非常識な言動や礼儀作法のない相手に対して、このように育てた親の顔を確認してやりたい」といった意味の悪意のある言葉です。 そのため「お里が知れる」と近い意味を持ちます。 「お里が知れる」は「所作で親の教育が分かる」といった意味ですが、「親の顔が見たい」は「どんな親に育ったか見てやりたい」となります。
その他にも
「お里が知れる」は「悪い育ちがわかる」という意味ですが、「育ちがわかる」ということはその人の正体がわかるというニュアンスも含みます。 よって、
なども類語とすることができます。
「氏より育ち」は「うじよりそだち」と読みます。 意味は「人の人格形成において、家柄や身分よりも教育やしつけの方が大事であること」です。 いくらお金持ちや身分の高い家に生まれても、育った環境が良くなければ人格に悪い影響があります。 貧乏であっても、親の教育がしっかりとしている方がまともな人間になることを表しています。
「お里が知れる」の対義語には
などがあります。
「お里が知れる」の英語表現を紹介していきます。 「お里が知れる」は「あなたが誰なのか、他人がわかってしまう」という意味なので、「They'll know who you are.」で表現することができます。
If you behave like that, they will know who you are.
そんなふうに振る舞ったら、お里が知れるよ。
「give 人 away」で「人の秘密がバレてしまう」という意味になります。 「give away」は「ただで与える」が原義ですが、それから転じて、人に対して使うとこのような意味になります。
You should not use vulgar language in a place like this. That will give you away.
このような場所では、下品な言葉は使わない方がよい。お里が知れるぞ。
「お里が知れる」は「おさとがしれる」と読み、「御里が知れる」とも漢字表記します。 「お里が知れる」とは、ちょっとした発言や動作から、「その人の育ちがわかる」「どんな教育を受けたのか、学歴がわかる」「どんな場所で生まれ育ったのかわかる」「どんな身分なのかわかる」という意味です。 人を非難する時に使います。 差別的なニュアンスがあるので、基本的にあまり使わないのが無難です。