「そこはかとなく」とは「なんとなく。どことなく」を意味します。事物、場所、原因、理由などをこれといってはっきり示すことができないが、全体的にそう感じるときに使います。形容詞「そこはとない」の連用形で、「そこはかとなく漂う」などと副詞的に使います。
「そこはかとなく」の意味は「特別どこがこうと言えるわけではないが、全体的に雰囲気がそう感じられる」という意味です。 事物、場所、原因、理由などをこれとはっきり示すことができない状態を表します。 副詞的に使い、動詞を修飾します。 「そこはかとなく」は美しい大和言葉とよく言われます。 「特に何というわけでもない」という日本人特有の微妙な心情を曖昧にかつ上品に表現する古語だからです。 単に婉曲表現(遠回しな言い回し)として用いられることもあります。 季節の変わり目の自然の変化に気づいた時などに使います。
などの言い回しでよく使われます。
「そこはかとなく」は副詞的に使うと説明しましたが、品詞は厳密には副詞ではありません。 「そこはかとなく」の基本形は形容詞「そこはかとない」です。 「そこはかとなく」の活用は連用形です。 「そこはかとなし」の形は古語では形容詞として使っていましたが、現在では名詞としてのみ使います。
例文
「そこはかとなく」は古語に由来するのがですが、その古語の語源には2つの説がありますので、両方紹介したいと思います。
「そこはかとなく」は、「そこはかと」と「なく」の2つに分解することができます。 「そこはかと」は「明確に。はっきりと。たしかに」という意味の副詞です。 「そこはかと」の語源の1つは「そこはこうであるように」が変形した、というものです。 この語源に基づいて漢字を当てると「其処は彼と無い」となります。 それに否定を意味する「ない」が付いて、「そこはこうであるように、という感じではない」という意味です。
「そこはかと」の語源にはもう1つ説があり、それは代名詞「そこ」に、「目安とする所」の意の「はか」が組み合わさったものです。 「はか」は古語で「目当て」「目安とする所」という意味です。 「はか」の漢字は「果」「量」「計」などがあります。 「儚い(はかない)」の語源も同じく「はか」で、「目当てがない」から転じて「長続きしない」という意味になりました。元は「果無い」と漢字表記しました。 ちなみに「仕事の進み具合」という意味もあり、「捗る(はかどる)」は元々「果取る(はかどる)」でした。「はかどる」の意の慣用句には「はかが行く」という表現もあります。 「そこはかとない」で「そこに目安とする場所がない」つまり「所在や理由は不明だが、雰囲気でそう感じる」というニュアンスになります。
平安時代中期に紫式部によって書かれた長編小説である『源氏物語』には、「そこはかとない」が使われた一節があります。
風涼しくて、そこはかとなき虫の声々聞こえ、蛍しげく飛びまがひて、をかしきほどなり。 【訳】風が涼しくて、どことはっきりしない虫の声々が聞こえて、蛍もたくさん飛びかいっていて、趣きがある。
この例文での「そこはかとなき」は「虫が鳴いているところがどこかわかない」という意味合いです。 草木が生い茂り虫の所在が分からないという意味とも取れますし、多くの鳴き声がして一匹一匹の特定できないという意味とも取ることができます。
鎌倉時代に吉田兼好により書かれた随筆『徒然草』の有名な冒頭部分「つれづれなるままに〜」の一文には「そこはかとない」が使われています。 随筆とはエッセイを指します。体験から得た知識をもとに感想を書く文章です。 清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つとされています。
つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。 【訳】することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくたわいもないを、あてもなく書きつけていると、異常なほど狂ったような気持ちになるものだ。
「そこはかとなく書き付くれば」は「あてもなく書けつけていると」と訳されます。 「あてもなく」は「これといった目的もなく」という意味です。 『徒然草』の「そこはかとなく」は「無限に」という意味だとする説もあります。
『新古今和歌集』は鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集で、その中の藤原高光の歌に「そこはかとない」が使われた一節があります。 ちなみに「勅撰和歌集」は天皇や上皇の命により編纂された歌集を指します。
神な月風に紅葉の散る時はそこはかとなく物ぞ悲しき 【訳】11月の風に吹かれて紅葉が散るようすは、なんとなく悲しい感じがする
『蜻蛉日記』は平安時代の女流日記で、作者は藤原道綱母です。
つごもりより、なに心地にかあらん、そこはかとなくいとくるしけれど、さはれとのみ思ふ。 【訳】月末ごろから、どんな病気なのかどことなくひどく苦しいけれど、どうにでもなれとばかり思っています。
「そこはかとなく」の意味で、日常生活で口語で最もよく使用されるのが
です。 「なんとなく」は「明確な理由はないが」という意味で、厳密には「そこはかとなく」よりも意味が狭いです。 「どことなく」も「はっきりとは説明ができないが」という意味で、「そこはかとなく」は「なんとなく」と「どことなく」を足して2で割ったような表現です。
「そこはかとなく」の言い換えには「心なしか」もあります。 「心なしか」の意味は「自分の気のせいか」「思い込みかもしれないが」です。 「心なしか」の漢字は「心無しか」でなく「心做しか」です。
例文
「そこはかとなく」の類語には「おぼろげながら」「おぼろげに」もあります。 「おぼろげ」の意味は「輪郭などがはっきりしておらず、ぼんやりしている様子」です。 「おぼろげに」の漢字は「朧げに」です。 「おぼろげな記憶」「おぼろげながら覚えている」などと使います。
「とりとめのない」の意味は「まとまりのない」です。 「とりとめのない」の漢字は「取り留めの無い」となります。
例文
「そこはかとなく」の英語表現は「somehow」があります。 「somehow」は「どういうわけか」という意味で、理由がはっきりしないときに使います。 「for some reason or other」ということもできます。
Somehow, I like her.
そこはとなく彼が好きだ。
「そこはかとなく」は「faint」という英単語で表すこともできます。 「faint」は「かすかな」「ほのかな」を意味する形容詞で、「faintly」で副詞になります。
The air was faintly scented with ume blossoms.
そこはかとなく梅の香りがただよっていた。
「そこはかとなく」は形容詞「そこはかとなく」の連用形で、「明確にはとらえられないが、何となくそのような雰囲気が感じられる様子」を意味する言葉です。 「そこはかとなく」の語源には「そこはこうであるというように」から転じた説と、代名詞「そこ」に「目安とする所」を意味する「はか」を付けたとする説があります。