「名は体を表す」とは「物や人の名前は、その中身・実質をよく表している。名と実体は一致する」を意味する仏教由来のことわざです。「なはたいをあらわす」と読みます。「体」を「てい」と読んだり、「態」と書くのは誤りです。「体」は身体ではなく本体・実体の意です。
「名は体を表す」の読み方は「なはたいをあらわす」です。 「体」を「てい」と読むのは誤りです。 また、「体」を「態」とするのも誤りなので注意しましょう。
「名は体を表す」の意味は「名前はそのまま実体を示す」です。 「名前というのは、物や人の性質や実体をどのようなものであるか示している」といったことわざです。 なぜ「体」なのかというと、「実体」と「実態」はどちらも「じったい」と読む熟語ですが、「実態」は「実際の有様や状態」を表すのに対して「実体」は「正体、実質」といった意味です。 「体」は「からだ」だけではなく「本体、本質、本性」といった意味を持ちます。
「名は体を表す」の由来は仏教の概念です。 元の言葉は「名体不二(みょうたいふに)」で、「名前と体が一緒であること」といった意味です。 これは南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の名号の功徳が、そのまま阿弥陀仏の本体の功徳であるということを表しています。
「名は体を表す」は主に人や物を褒める時に使います。 例えば相手の名前が「優」だった場合に、その通りであると「名は体を表すというけど、本当に優しい人だね」などと褒めたりします。 そもそも名前に悪い意味で付けられる人はいませんので、悪い名に対して「名は体を表すけど本当にひどい」とは使いません。 ただし「名は体を表すというけど、そんなことはない」といった言い回しで相手を非難や批判をすることがあります。
例文
しかしながら、必ずしも「名は体を表す」とは限りません。 先ほどの例文でも書きましたが、筆者の小学生時代の同級生に「正子」という子がいたのですが、よく嘘をついていました。 「どこが正しい子やねん!」と思っていました。 「美」がついているのに美人じゃないこともあるでしょうし、「優」が付いてるのに優しくない人っていますよね。 ただ、言葉の影響を受けて、実体が変化することはあります。 言霊(ことだま)があるように、その言葉を言い続けたり周りから言われ続けることによって、それに近づいていくのでしょう。
「名詮自性」は「みょうせんじしょう」と読みます。 意味は「仏教用語で名前がそのものの本質を表しているもの」です。 また、「本質に名前が相応しいもののこと」といった意味もあります。 「名詮」は「その名前に備わっている」 「自性」は「そのものの本質」 を表します。
「看板に偽りなし」は「かんばんにいつわりなし」と読みます。 意味は「外見と実質が一致していること」です。 お店で看板に掲げているものと、実際に売られているものが同じであることから、そうたとえられています。
「名実一体(めいじついったい)」 「名体不二(みょうたいふに)」 「名体不離(みょうたいふり)」 も「名前と体が一緒であること」を表す四字熟語です。 「名実一体」は「名目と実体が一致していること」で、「名」は「表向きの評判のこと」、「体」は「実体・実質」を表しています。 「名体不二」と「名体不離」は仏教用語で「名前と体が不離であること」を表します。
「名前負け」の意味は「名前が立派すぎて、実質が見劣りすること」です。 これは人のことについて使います。 名前が負けているのではなく、「名前に実質が負けている」という意味です。
「看板倒れ」は「かんばんだおれ」と読みます。 意味は「見せかけだけ立派で、内容がそれに伴わないこと」です。 見掛け倒しであることを指し、計画や法律、政治に対してよく使われています。
「有名無実」は「ゆうめいむじつ」と読みます。 意味は「名ばかりで実質が伴わないこと」です。 主に規則や法律、文化的な決まりごとに対して使い、「人」に対して「名声に実力が伴わない」といった意味では用いません。
「名存実亡」は「めいそんじつぼう」と読みます。 意味は「名前としては存在しているが、実体が失われていること」です。 内容や意義がなくなり、見た目だけになることを指します。 例えば「○○プロジェクトといって発足したが、すでに1年間活動はしておらず名存実亡である」などと使います。 名前だけは残っていても、実際は中身が何もないことを表します。
「羊頭狗肉」は「ようとうくにく」と読みます。 意味は「見かけが立派で実質がこれに伴わないこと、見掛け倒し」です。 見掛けだけを飾っていて内実をごまかしている様子・立派な見掛けに中身が伴っていないさまを表します。 「羊頭狗肉」は「羊頭を掲げて狗肉を売る」の略になります。出典は中国宋時代の禅書『無関門』です。 店先には羊の頭を掲げておいてお客さんを店に引きつけますが、実際には狗(犬)の肉を売りつけるという意を表します。 看板は上等であっても、実際に売っている物が劣悪でごまかしている品物であるという意から、転じて、見せかけは立派であっても中身が伴っていないさまを意味するようになりました。
「名は体を表す」の英語表現には「the name makes the person」があります。 直訳すると「名前が人を作る」です。 立場が人格を形成するというニュアンスです。
In most cased, the name would make the person.
ほとんどの場合、名は体を表すということができるだろう。
As the saying goes, the name makes the person. Butako is fat like a pig.
ことわざにもあるが、名は体を表すだ。ブタ子さんは豚みたいに太っている。
「names and natures often agree」という表現もあります。 「名前と性質は一致する」という意味です。
Names and natures should agree. This school is prestigious, but doesn't teach its students anything practical.
名は体を表すべきだ。この学校は名声高いが、生徒に実践的なことを何も教えていない
「名は体を表す」とは、「名前はその物や人の性質や実体をよく表す」という意味のことわざです。 「名は体を表す」の語源は仏教用語の「名体不二」で、「南無阿弥陀仏の名号の功徳が、そのまま阿弥陀仏の本体の功徳である」という概念です。 「名は体を表す」は基本的に人を褒める時に使います。 「名は体を表す」の対義語には「名前負け」があります。