「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは「大きな集団の末端になるより、小さな集団であっても長になる方がよい」を意味することわざです。由来は『史記』にある中国戦国時代の弁論家、蘇秦の言葉です。短縮した四字熟語が「鶏口牛後」です。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」の読み方は「けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ」です。 「鶏口」は「けいこう」、「牛後」は「ぎゅうご」と読みます。 すべてを漢字表記すると「鶏頭と為るも牛尾と為る無かれ」となります。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味は「大きな集団の末端になるより、小さな集団であっても長(トップやリーダー)となる方が良い」です。 「鶏口」とは「鶏のくちばし」のことで、「弱小なものの首長」のたとえとして使われています。 「牛後」とは「牛のお尻・尻尾」のことで、「強大な者に仕えて使われる者」のたとえとして使われています。 これは大企業や受験などに対して使われます。 なぜかというと、大企業に就職するとそれだけ多くの人が集まっているため有能な人も多くなり、ずっと下っ端として働くことになるかもしれません。それよりも中小企業で自分の実力を発揮して役職をもらったり大きな仕事を任されたりする方が良いという際に「鶏口となるも牛後となるなかれ」と使います。 受験の場合も、大きな大学に入って周りに埋もれてしまうよりも、ランクを少し下げることで大学内で常に上位にいることが出来、ゆくゆくは就職で有利になったりすることもあります。
例文
「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」と誤って使われることがしばしばあります。 意味的にも鶏の頭部と牛の尻尾なので正しい気がしますが、間違いです。 上述しましたが「鶏口」は「鶏のくちばし」のことで、くちばしは頭よりも前についていますよね。 つまり、一番高いところにあぐらをかいているわけではなく、先頭で人たちをリードすることを示唆しています。 「牛後」も「牛の後についていく」というニュアンスで、尾よりも後ろの方で、自発性は全くなくただ言われるがままに進むのみ、というニュアンスです。
「鶏口牛後」の言葉が出来た由来は、中国戦国時代に遊説家(ゆうぜいか)の蘇秦(そしん)が韓の恵宣王(けいせんおう)に 「たとえ小さな国であっても一国の王として権威を保つことの方が大切であり、大国の秦(しん)に屈しその臣下に成り下がるよりも良い」ということを説いた時に用いたたとえです。 このことは歴史書『史記』に記載されており、原文は寧為鶏口、無為牛後です。 直訳は「寧ろ鶏口と為るとも(むしろけいこうとなるとも)、牛後と為ること無かれ(ぎゅうごとなることなかれ)」です。 そして、蘇秦が韓のほかに魏(ぎ)、趙(ちょう)、燕(えん)、斉(せい)、楚(そ)の六国に合従策(同盟を組むこと)を説得し、恵宣王は六国の宰相になりました。秦は大きな国であったためこの六国に領地を要求していました。 結局この後には六国の同盟は消滅し秦に仕えることとなりますが、同名を組んでから15年の間は、秦が他国を侵略することはありませんでした。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」を短縮した四字熟語に「鶏口牛後」があります。 読み方は「けいこうぎゅうご」です。 意味は「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じです。
「鯛の尾より鰯の頭」の読み方は「たいのおよりいわしのかしら」です。 「鯛」は「たい」、「鰯」は「いわし」と読み、どちらも魚の種類です。 意味は「大きな団体の人の後に従うより、小さな団体でも長になる方が良い」です。 「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じ意味になります。 「鯛」の方が「鰯」よりも立派で高級な魚であることからそのように使われています。
「大鳥の尾より小鳥の頭」の読み方は「おおとりのおよりことりのかしら」です。 意味は「大きな集団や組織の下っ端よりも、小さな組織のリーダーやトップの方がいい」です。 「鶏口となるも牛後となるなかれ」「鯛の尾より鰯の頭」と同じ意味になります。 字の通り「大鳥」が「大きな集団」、「小鳥」が「小さな集団」を表しています。 「鶏口となるも牛後となるなかれ」「鯛の尾より鰯の頭」に比べて使われることは少なくなっています。
「芋頭でも頭は頭」の読み方は「いもがしらでもかしらはかしら」です。 意味は「どんなに小さな集団の長でも、長には変わりはない」です。 「集団の頭であるからには、それだけ価値がある」ということを表します。 ちなみに「芋頭」とは里芋の球茎・親芋のことです。
「寄らば大樹の陰」の読み方は「よらばたいじゅのかげ」です。 意味は「頼りにするなら、勢力のある者の方が良いということ」です。 これは、雨宿りをするなら大木の下の方が濡れないでいられることから転じています。 やはり、頼るのであれば大きくて安心出来るものの方がいいですよね。 小さく脆いものでは、頼った際に共倒れになってしまうことがあります。
「犬になるなら大家の犬になれ」の読み方は「いぬになるならおおやのいぬになれ」です。 意味は「仕えるなら頼りがいのある大物を選ぶべきだ」です。 犬になった時にお金持ちに飼われるのとそうでないのでは、大きな違いがあることを表しています。 やっぱり犬もご飯もたくさん美味しいものが食べたいですし、走り回れる大きな家で過ごしたら幸せですよね。 そこから転じて、「誰かに仕えるのであれば同じ仕えるでも大物の方が良い」といった意味を持ち、仕事をするなら大企業が良いといったたとえとして使われています。 大企業ではトップになれなくても、福利厚生や保証がしっかりしていたりそれなりの人たちと出会えるといったメリットがあります。
「長いものには巻かれろ」の読み方は「ながいものにはまかれろ」です。 意味は「強い権力や勢力を持つ者には敵対せずに従っておいた方がいい」です。 強大な勢力を持つものと敵対しても、負けてしまいますよね。 それならば傘下に入って従った方がいい、という処世術としてを表した言い回しです。 ちなみにこの由来となっている話の「長いもの」とは「象の鼻」のことです。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」という日本語に非常に近い英語表現があります。それは、 Better be the head of a dog than the tail of a lion. です。 直訳すると「ライオンの尻尾になるより、犬の頭になった方がよい」です。 「鶏口となるも牛後となるなかれ」に非常に似ていますね。
最後になぜ「鶏口となるも牛後となるなかれ」であるのか、紹介したいと思います。 会社で働く場合を想定して、「鶏口」のメリットと「牛後」のデメリットを解説していきます。
小さな組織でリーダーを務めることの最大のメリットは、主体的に動くことができる点です。 主体的に働くことで、他の人がやったことがない、自分だけの経験を積むことができます。 上司からの助言がないため、遠回りしてしまうこともありますが、それも含めて経験です。 大きな組織の末端では、決められたことを決められた時間に規則に従って実行することしかできません。 人工知能の時代では、単に「言われたことをちゃんとできる」人材は必要とされません。 自発的に行動して、誰もしたことない体験をした、「レア人材」のみが活躍する時代です。 AI的な働き方を模索している人は下記の書籍がおすすめです。
大きな組織の末端では周りの人への配慮を欠かすことができません。 大企業では「何をするか」よりも「誰が言ったか」が重視され、本来やるべき仕事を為すことが出来づらいです。 関心を寄せるべきは顧客であるはずなのに、上司や幹部の目ばかりを気にしないといけない、という極めて非生産的な現象が日々目の当たりにすることになります。 小さな組織ならば、そもそも人の数が少ないのでその分人間関係のトラブルも少なくなります。 また、自分がトップならば不必要に気を使うこともありません。 仕事の内容と関係ないことで、時間と労力を使うという人生最大の無駄を避けるためにも「鶏口」になることは大切です。
大企業の平社員と中小企業の社長を比べたら一目瞭然ですが、働き方の自由度が全く違います。 小さい会社でも代表ならば、自分の好きな時間に好きな場所で好きなように働くことができます。 働き方がフレキシブルになると、その分家族との時間や趣味へ投資することができ、人生そのものが豊かになります。 AIとロボティックスの発達で、人間は仕事ではなく遊びをする時間が増える中、ワークライフバランスの見直しが必須です。 自由を生きるためにも「鶏口となるも牛後となるなかれ」であることが大変重要であることがわかります。
いかがだったでしょうか? 「鶏口となるも牛後となるなかれ」について理解出来たでしょうか? ✔読み方は「けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ」 ✔意味は「大きな集団の末端になるより、小さな集団であってもトップとなる方が良い」 ✔原文は「寧為鶏口、無為牛後」 ✔類語は「鯛の尾より鰯の頭」など、対義語は「寄らば大樹の陰」など