「正念場」は「大事な局面」を指してよく使われている言葉です。今回は「正念場」の読み方や正しい意味、使い方を例文付きで詳しく解説します。また「修羅場」「土壇場」との違いも解説します。その他、類語・対義語・英語も紹介します。ぜひ参考にしてください。
「正念場」の読み方は「しょうねんば」です。 「せいねんば」と誤読する人が多いので注意しましょう。
「正念場」は「ここぞという大事な局面」を意味します。 言い換えると「その人の本領・真価を発揮すべき最も重要なところ」「物事の成否にかかわる大事な場面」ということになります。 絶対に失敗できないという緊張感のある状況を指します。
「正念場」の「正念」は仏教用語です。 「正念」は、悟りに至るまで修道法である「八正道(はっしょうどう)」の一つです。
八正道
「正念」は真理に至ろうとする心を常にもつこと。また、雑念を払った安らかな心という意味です。 転じて、平常心のことを指します。
歌舞伎や浄瑠璃などで一番肝心なところを見せる場面を「性根場(しょうねば)」「性根所(しょうねどころ)」といっていました。 「性根(しょうね)」は「根本的な心の持ち方」という意味です。 「性根場」を演じるときには平常心(=正念)が必要なことから、「正念」と音も似ていることも重なり、「性根場」から「正念場」に語形が変化したといわれています。
「正念場」は「正念場を迎える(むかえる)」の形で最も多く使用します。 「正念場を迎える」とは「大切な場面を目前とする、訪れる」という意味です。 「〜が正念場だ」と断定して使うこともあります。 ビジネスシーンでは社運がかかった商談などに対して使います。 スポーツにおいてはトーナメントにおいて最も強いチームとの試合や決勝戦を指します。 大学受験や就職活動、結婚のプロポーズなど、人生における大切な局面は「人生の正念場」と表現することもあります。
「正念場」の例文
「正念場に立たされる」という言い方もあります。 「正念場に立たされる」でも「正念場を迎える」と似た意味ですが、より切迫したニュアンスがあります。 次こそは絶対に失敗が許されない、という意味合いです。「ピンチ」という言葉が意味合いが近いです。 「立たされる」と受身の形になっているので、予想していなかった・準備をしていなかったという意味合いを含みます。 「正念場に立たされる」の反対語は「正念場を乗り切る」です。 大切かつ困難な局面で本領を発揮し、成功を収めるという意味です。
「正念場に立たされる」の例文
「修羅場」は「しゅらば」と読みます。 意味は、血みどろの激しい戦いが行われる場所、または、人形浄瑠璃や歌舞伎などの激しい戦いを演じる場面です。 阿修羅王が帝釈天と戦う場所である、「修羅場」(しゅらじょう)という仏教語が語源の言葉です。 実際の戦場ではなくても、思わず血みどろの激しい戦いを彷彿させるような状況や場面を「修羅場」と表現します。 修羅場は戦場のような場面を表しているので、「修羅場をくぐりぬける」といった使い方をします。 一方、正念場はマイナスの意味だけがあるわけではないので、「くぐりぬける」や「避ける」といった使い方をすることはありません。
「修羅場」の例文
「土壇場」は「どたんば」と読みます。 「土壇場」とは江戸時代の首切り刑を行う為に作られた、土の壇のことです。 そこから転じて「物事が決定しようとする最後の瞬間・場面」という意味で使います。 「土壇場で予定がキャンセルになった」といったように、最後の最後で予定が変更になってしまった時などに使用することができる言葉です。 「土壇場」には「絶対に助かる見込みがない」という意味もあります。 「土壇場に立たされる」で「絶体絶命の状況になる」という意味で使います。
「土壇場」の例文
「踏ん張りどころ」は「ふんばりどころ」と読みます。 「踏ん張りどころ」とは文字通り「踏ん張るところ」を意味します。 「踏ん張る」の意味は「開いた足に力を入れ、倒れまいとする」で、転じて「気力を出してこらえ、負けまいとする」とすることです。 「踏ん張りどころ」も真価が問われる場面であり、「正念場」の類語です。
「山場」は「やまば」と読みます。 「山場」意味は、物事の絶頂、最も重要な場面です。 「正念場」と同様に「試合もいよいよ山場を迎えた」といった使い方をすることができます。 また、厳しい状況を乗り越えるといった意味で「山場を乗りきる」という使い方をすることができます。 正念場との違いは、「山場」は物事の絶頂という意味で物事の最も重要で緊迫した場面に「物語の山場である戦闘シーン」といった使い方をすることができることです。
「山場」の例文
「大一番」は「おおいちばん」と読みます。 「大一番」の意味は、勝てば優勝、昇進が決まるといったような大事な勝負です。 正念場と同じように大事な場面、能力を発揮すべき場面で使われます。 運命を左右するような場面で「彼女にとって大一番の面接だ」といった使い方をすることがありますが、主にスポーツなどの試合で使われる言葉です。
「大一番」の例文
「大詰め」は「おおづめ」と読みます。 「江戸時代の1番目狂言の最終の幕を「大詰め」といったことが由来で、物事の終局や、最後の場面という意味があります。 物事の最終段階にはいった時に「大詰の段階に入る」といった使い方や、「大詰めを迎える」という使い方をすることができます。 「正念場」との違いは、「正念場」に最終段階という意味が含まれていないので、「正念場に入る」といった使い方をしないことです。
「大詰め」の例文
「正念場」の対義語はありませんが、大事な局面の反対である言葉をいくつか紹介します。
「日常茶飯事」は、日常の食事という意味で、ありふれた平凡な物事の例えという意味の使い方をします。 「彼女が転ぶのはもう日常茶飯事だ」といったように、当たり前の出来事であることを表現するときに使用します。 大事な局面である「正念場」とは反対の言葉であると言えるでしょう。
「通常」には、特別な事情がない普通の状態という意味があります。 いつもと変わらない日常生活を「通常の生活」と言い表すことができます。 また、何も問題もなくバスなどの公共交通機関が動く場合に「通常運行」といった使い方をすることもできます。
「正念場」は英語で「crunch time」と言います。 「crunch」の基本の意味は動詞で「〜をかみ砕く」ですが、名詞で「ピンチ、危機、踏ん張り時」という意味があります。
などの形で使うこともできます。
This is crunch time for the CEO of Apple.
アップル社の社長にとって今が正念場だ。