「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは「やりすぎることは、やり足りないことと同じようによくない。何事もほどほどが肝心だ」という意味のことわざ。 『論語・先進』で孔子が積極的すぎる弟子も消極的すぎる弟子も共に短所があり完全ではない、と比較し中庸の大切さを説いたのが由来。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の読み方は「すぎたるはなおおよばざるがごとし」です。 「猶」は「なお」と読みます。 「如」は漢文では「もし」と読むこともあります。 音読みでは「にょ」という読む場合もあります。 「ごとし」と読むのが、現代では最も一般的です。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の意味は「やりすぎることはやり足りないことと同じように良くない」「過多は不足と同じで正しくない」です。 「何事もほどほどがよい」「全て中庸が正しい」と解釈できます。 「過ぎたる」とは「やりすぎる」のことです。 「猶」は「なお」という意味で、現代では「尚」が使うのが一般的です。 「なお」とは「引き続いて変わらず」「同様に」という意味です。 「及ばざる」は「至らない、届かない」のことです。 「如し」は比喩的に「〜と通りだ」「〜と同じだ」という意味です。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、「猶」を省略することが多いです。 特に口語で使う際は、「過ぎたるは及ばざるが如し」と使われます。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の語源は『論語・先進』の第十一に掲載されています。 漢文だと「過猶不及」となります。 論語は孔子と弟子の子貢の会話です。 「過猶不及」が出てくるある部分の全文は
子貢問、師与商也孰賢。 (子貢は、「師と商ではどちらが優れているか」と聞きました。) 子曰、師也過、商也不及。 (孔子は「師はやりすぎであるが、商は控えめすぎる」と答えました。) 曰、然則師愈。 (「ということは、師の方が優れているのですか」と聞きました。) 子曰、過猶不及。 (孔子は「やりすぎるのは、控えますぎるのと同じようなものでどっちもどっちだ」と答えました。)
となります。 ちなみに「師」も「商」も孔子の弟子のことです。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」はやりすぎることを注意する時に使います。 仕事や恋愛などにおいて過剰になってしまう人に対して「過ぎたるは猶及ばざるが如しだよ」と言います。 例えば一切休まず、残業をしたり休日返上をして仕事をしすぎてしまう人や、恋愛において相手に尽くしすぎてしまう人です。
例文
「過ぎたる」を「過ぎたこと」と勘違いして「過去のことを言っても仕方ない」という意味で使われることがありますが、これは誤用となります。 「過ぎたる」は「やりすぎること」「行き過ぎた言動」を表しています。 例えば、「☓ 過ぎたるは猶及ばざるが如し。今さらそんなことを言っても手遅れだ」などは間違った使い方です。
類語に「及ばざるは過ぎたるより勝れり」があります。 意味は「足りない方がやり過ぎてしまっているよりも優れている」です。 これは徳川家康の遺訓です。 ちなみに全文は 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるよりまされり。」 となります。
「中庸は徳の至れるものなり」は「ちゅうようはとくのいたれるものなり」と読みます。 意味は「やりすぎも遠慮しすぎも良くなく、ほどほどが最高の人徳」となります。 「中庸」は「特定の考え方や立場に偏らないこと」「行き過ぎも不足もなく、常に調和が取れていること」といった意味があります。
「薬も過ぎれば毒となる」は「くすりもすぎればどくとなる」と読みます。 意味は「たとえ良いものであっても、度が過ぎれば害になることのたとえ」です。 薬は本来は怪我や病気などを治すものですが、度を過ぎて服用したら体に悪いですよね。 そこからたとえとして使われています。
「大吉は凶に還る」は「だいきちはきょうにかえる」と読みます。 意味は「幸運はほどほどでよい、ということのたとえ」です。 大吉よりも上の吉はないため、かえって凶に近づいていくということを表しています。
「分別過ぐれば愚に返る」は「ぶんべつすぐればぐにかえる」と読みます。 意味は「深く考えすぎて迷ってしまうと、かえってつまらない考えに落ち着いてしまうこと」です。 考えすぎた結果、ろくに考えなかった時と同じくらいの結論に落ち着いてしまうことを表します。 「念の過ぐるは無念」は「ねんのすぐるはむねん」と読みます。 意味は「念を入れすぎると、かえって注意の行き届かないところができる」です。
「慇懃無礼」は「いんぎんぶれい」と読みます。 意味は「丁寧過ぎる言葉や態度は、かえって無礼であるさま」です。 丁寧すぎてしまうと、嫌味っぽくなってしまい誠意が感じられなくなってしまいます。 「礼も過ぎれば無礼になる」も同じ意味です。 「れいもすぎればぶれいになる」と読みます。
「大は小を兼ねる」は「だいはしょうをかねる」と読みます。 意味は「大きいものは小さいものの役目もできる」「大きいもののほうが小さいものより使い道が多く役に立つ」です。 例えば、大きなバッグであれば書類や化粧ポーチなど沢山の荷物が入りますよね。 しかし小さなバッグでは化粧ポーチは入るかもしれませんが、書類が入りません。 大きければ、小さいものの代用することができるということです。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の英語は、「Too much is as bad as too little.」です。 英語圏で使う場合は、なぜ「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのか、状況に応じて説明する必要があるでしょう。 英語圏では一般的なことわざではないので、意味が伝わらない可能性があります。 反対語にあたる「大きければ大きいほどよい」は「The bigger, the better.」になります。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは「何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良くない」「良いことでも、やり過ぎはかえって害になる」という意味のことわざです。 『論語・先進』にある、孔子が何事もやりすぎる弟子である子張と、何事も消極的な子夏を比較して、どちらも完璧ではないと言った説話が由来です。 中庸の大切さを説いたものです。