「天は二物を与えず(てんはにぶつをあたえず)」とは「天は人にいくつも長所や才能を与えてくれない」という意味のことわざです。つまり「一人の人間が同時に二つの分野で天才的な能力をもつことは不可能」「どんなに優秀な人でも短所や苦手なことはある」という文脈で使います。「二物」を「二つの物を同時には入手できない」と物質的な意でとるのは誤りです。
「天は二物を与えず」の読み方は「てんはにぶつをあたえず」です。 「天は二物を与えず」の意味は「天は人にいくつもの才能や長所を与えてはくれない」です。 同時に異なる二つの面において天賦の才をもつことはあり得ない、という意味合いで使われます。 「天、二物与えず」とも言います。
「天は二物を与えず」は出典が不明です。 故事成語(中国の古典)にあるわけでもありません。 ただし、天(=神様)が人々に特定の能力や才能を与えるという概念はキリスト教に古くからあるものです。 自分が与えられたものに感謝し、それ以上は求めず人生を全うすべし、という文脈で語られます。 キリスト教の教えが元になっていると考えられますが、聖書などで明記されているわけではなく、由来が不明なことわざとなっています。
「天は二物を与えず」は、どんなに素晴らしい人にも欠点があるという文脈でよく語られます。 才能のある人の短所をみると、期待していた分、ガッカリしてしまったり非難してしまったりしますよね。 でも、完璧な人などいないのだから、どんな人にも欠点があるのは自然なことだ、という意味合いで使うことわざです。 例えば、大変秀才な人でも運動音痴であったり、容姿は整っていても性格に難があったりするなど、良い所ばかりを兼ね備えた人間はいないというニュアンスで使われることもあります。
例文
「天は二物を与えず」なんて大嘘だ!と思う人もいうのではないでしょうか? 一人の人間が複数の才能や長所などを持ち合わせていることもあると思います。 そういう時に「天は二物を与えず」を用いて人を褒めることもできます。 主な言い回しは、
などです。 「与えず」という否定をあえて肯定する形で使います。
例文
「天は二物を与えず」の」「二物」を「二つの物を同時には手に入れられない」という物質的な意味合いでとるのは誤りです。 「二物」とは才能や能力、知能など無形なものに対して使います。 そのため、「天は二物を与えずと言うが、新しく購入した家には多くの欠陥があった」などと物に対して使うのは誤用です。
「人が一人でいくつもの才能や能力などを兼ね備えることは難しい」といった意味での類語です。 「上歯」とは牙のことを指し、角がある獣に牙はなく、牙がある獣に角がないことが由来となります。
と使われることもあります。
「人には誰にでも欠点がある」といった意味での類語は「弁慶の泣き所」です。 「べんけいのなきどころ」と読みます。 意味は「ただ一つの弱点」です。 「弁慶」とは平安末〜鎌倉初期の僧「武蔵坊弁慶」のことです。 彼はなかなかの豪傑だったのですが、そんな弁慶にも蹴られると痛がって泣く急所がありました。 それが「向う脛(むこうずね)」と言われています。「向う脛」とは脛の前面のことを指します。 強い弁慶でも向う脛を蹴らえると泣くという意が転じて、どんな人にも弱点があるという意味合いで使われている言葉です。
「様々な才能に恵まれている」といった意味での反対語です。 「はくがくたさい」と読みます。 意味は「幅広い分野に豊富な知識を持ち、様々な才能があること」です。 「博学」は、「幅広い知識を持っていること」、「多才」は「多くの才能に恵まれていること」という意味があります。 「博識多才(はくしきたさい)」と言うこともあります。 簡単に言うと「頭の良さ」に対して使う言葉ですので、性格の良さや容姿の良さなどに対しては使いません。
「2つの才能を兼ね備えている」という意味での対義語です。 「ぶんぶりょうどう」と読みます。 「学問と武術の両方で優れた能力を持っていること」という意味がある四字熟語です。 「文武」とは「学問と武術」のことを指し、剣術・弓術・柔術・馬術などを含みます。 「両道」とは「二つの道に能力を持っていること」という意味です。 現在では、勉強とスポーツの両方が優れていることを表すのに使います。
「容姿も才能もどちらも優れている」といった意味での対義語です。 「さいぼうりょうぜん」と読みます。 意味は「優れた才能と容姿を持ち合わせていること」です。 「才貌」は、「才知に溢れた容貌」という意味のある言葉で、「両全」には「両方とも完全である」という意味があります。 したがって、この二つの言葉を合わせた「才貌両全」は「才能・容姿が両方とも優れている」という意味合いのある四字熟語です。 この後ご紹介する「才色兼備」は女性に対してのみ使いますが、「才貌両全」は男女どちらにも使用することができます。
上記でご紹介した「才貌両全」と同義の四字熟語に「才色兼備」があります。 「さいしょくけんび」と読みます。 「才色」という言葉には「才知と容色」という意味があります。 「才知」は「才能と知恵」(頭の働きがいいこと)、「容色」は「容貌と顔色」(見た目が良いこと)です。 「兼備」という言葉は、「二つ以上の長所をかねそなえていること」という意味があります。 したがって「才色」と「兼備」を合わせて「頭の良さと容姿の良さを兼ね備えている」という意味になるというわけです。 先程もご紹介した通り、「才色兼備」は女性に対する褒め言葉として使用される言葉で、男性に対して使用すると誤用になりますので注意です。 また「兼備」を「兼美」と書くのは誤りです。
「多方面で活躍をすること」という意味での対義語です。 「はちめんろっぴ」と読みます。 意味は「多才がゆえ、一人で何人分もの働きをすること」です。 「八面」は「八つの顔」、「六臂」には「六つの腕」という意味があります。 仏像は八つの顔と六つの腕を持っており、それが転じて「一人で数人分の活躍をすること」という意味合いになります。 「八面六臂の大活躍」という形で使うのが一般的です。
「二つのことを得られる」といった意味での対義語です。 「いっきょりょうとく」と読みます。 意味は「一つの行動で同時に二つの利益を得ること」です。 「一挙」には「一つの動作」という意味があり、「両得」には「一度に二つの利益を得ること」という意味があります。
「二つのことを得る」という意味での対義語には「一石二鳥」もあります。 「いっせきにちょう」と読みます。 先程ご紹介した「一挙両得」と同義で、「一つのことをして同時に二つの利益を得る」という意味で使われる四字熟語です。 一つの石で二羽の鳥を打ち落とすという意が由来です。
「天は二物を与えず」の英語は、
God doesn't give with both hands.
God does not give two gifts.
Heaven does not grant people more than one talent.
The water that came from the same spring cannot be both pure and salt.
などがあります。 最後の「The water that came from the same spring cannot be both pure and salt.」は直訳すると「同じ泉から出た水が同時に淡水であり、かつ塩水であるということは有り得ない」となります。 その意が転じて「天は二物を与えず」の意味合いで使われています。
いかがでしたか? 「天は二物を与えず」について理解は深まりましたか? ✔読み方は「てんはにぶつをあたえず」 ✔意味は「一個の人間にいくつも才能や長所はない」 ✔立派な人でも欠点があるという場合に使うことが多いが、人を褒める時にも使う ✔類語は「角ある獣に上歯なし」「弁慶の泣き所」など ✔対義語は「博学多才」「才色兼備」など ✔英語表現は「God doesn't give with both hands.」など