「悲壮感」と「悲愴感」の違いをご存知でしょうか?「悲壮感」と「悲愴感」は、同じく「ひそうかん」と読む言葉ですが、意味の異なる言葉です。今回は、「悲壮感」と「悲愴感」の違いを意味や使い方と一緒にまとめます。
「悲壮感」・・・「悲しさの中にも雄々しく勇ましいところがあること」 「悲愴感」・・・「悲しく、心が痛ましいこと」
「悲壮感」も「悲愴感」も、「悲しみを感じている様子」を表す言葉としては同じ意味合いを持つ言葉です。 しかし、「悲壮感」は「悲しくても勇ましくいることが出来ている様子」を表現していて、「悲愴感」は「ただただ、悲しみに心を痛めている」という様子を表現しているという違いがあります。 つまり、「悲壮感」には「悲しくも勇ましい」というプラスの要素を含んでいますが、「悲愴感」は「悲しい」という言葉を強調しているマイナスの意味合いが強い言葉ということです。
「悲壮感」の意味は、「悲しさの中にも雄々しく勇ましいところがあること」です。 「悲壮感」の語源を見てみましょう。 「悲壮」の語源を見てみるとまず、「悲壮」という言葉ですが、これは「悲」と「壮」という漢字を組み合わせたものとなります。 「悲」という漢字は、「かなしい」と読むことからもわかるように、「さみしさ」「かなしさ」といった意味をもち、仏教の中では「慈悲」というあわれみを意味します。 さらに分解すると、「悲」は「非」と「心」が組み合わさってできていて、「心を痛めている様子」を表現していると言われています。 「壮」は、「若者」や「勇ましい・大きくて立派である」という意味のある漢字です。 なので、「悲」と「壮」を組み合わせた「悲壮」は「悲しさの中にも勇ましさを感じる」といった意味合いの言葉になるというわけです。 「感」は、「〜のような感じである」というようなニュアンスになります。 「悲しみの中の雄々しい勇ましさ」とは、つまり「辛く悲しいことがあってもがあっても、それを感じさせないほど勇ましく振る舞う様子」という意味合いで使用されます。
というような使いかたをしまう。 「悲壮感」の詳しい使い方については例文を参考にしてください。
例文
「悲愴感」の意味は、「悲しく、心が痛むこと」です。 分解してみると、「悲愴」と「感」という言葉でできているということがわかります。 さらに「悲愴感」は、「悲」という漢字と「愴」という漢字でできています。 「悲」は上述したように、「さみしさ」「かなしさ」といった意味があります。 そして「愴」は「悲しみ・いたましい」という意味がある漢字です。 したがって、「悲愴」は「かなしさ」を表す二つの漢字を重ねて「悲しい」という気持ちを強めて表現しているということがわかります。 「感」は、「〜という感じ」というニュアンスなので、「悲愴」と合わせると「悲しみで非常に心が痛む」という様子を表現する言葉として使用されることです。
といったような使い方をします。 ちなみに、クラシックの名曲には「悲愴」と言う副題が作られているものも多くあります。 例えば、代表的なもので言えば
がありますが、日本で使用されている「悲愴」とは違ったニュアンスが含まれているようですが、実際に日本語にして表現するのは難しいようです。
例文