「論理」と「理論」の違いを正しく認識していますか?「論理」と「理論」は似ているため、どちらも同じ意味だと思っている人が多いですが、実は違いがしっかりとあります。そこで本記事では「論理」と「理論」の意味と使い方の違いについて解説していきます!
「論理」・・・思考や議論を進めていく上での道筋。英語だと「logic(ロジック)」 「理論」・・・事実や現象を説明するための体系的な知識。英語だと「theory(セオリー)」
「論理」とは「思考や議論を進めていく上での道筋」を指します。簡単にいうと「話の展開の順序」ということになります。 話す場合は考えがまず先にあるはずなので(何も思考せずに話すのは物理的に不可能なので)、「論理」とは「思考の法則や形式」と捉えることもできます。 「論理」の漢字をみると「論ずる理(ことわり)」ですから、「論理」=「話したり、考えたりする上での道筋」という意味であることがわかります。 「理論」は「個々の事実や現象を統一的に説明するために道筋を立てて組み立てられた知識の体系」です。 「説明するために道筋を立てて」とは「論理的」ということです。つまり「理論」は「実際に起こったことを論理的に説明するための原則的な考え」を指します。 つまり「理論」は意味的には「論理」を内包します。 「理論」の漢字をみると「理の論」ですから、「理論」=「道筋の見解」=「道筋の通った考え方」という意味であることがわかると思います。 「論理」と「理論」は漢字が入れ替わっているだけですが、意味が違いますのでしっかり区別して使用しましょう。
「論理」は「ろんり」と読みます。 「論理」の意味は、
です。 「論理」は、結論を出すまでの物事の過程を表します。 例えば、アリストテレスの三段論法をみると、「私は人間である」⇒「人間には無限の可能性がある」⇒「したがって私には無限の可能性がある」という言葉があります。 このように議論する上で「⇒」でつながっていく道筋を「論理」といいます。 この過程が事実を並べたもので不自然でなく大多数の人が納得いくものだと「論理的」と形容することができます。
また、「動物の世界では弱肉強食の論理に基づく」などと、「ある物事の中にある法則」という意味でも使うことがあります。
というような使い方をします。 「論理が飛躍する」は非常に多く使われる表現です。これは「思考の過程において筋が通っていないこと」を表します。
例文
「理論」は「りろん」と読みます。 「理論」の意味は「個々の事実や現象などをまとめて説明するために、筋道立てて作り上げた知識の体系」です。 ある物事に何らかの法則や説を当てはめた際に成る、筋道立ったまとまりを表します。 例えば、プロ野球選手になるためには....
などの条件を達成することが必要です。 このように、目的を達成するために、必要となる情報を整理して一つにまとめたものを「理論」と言います。 「理論」には、正確なデータや客観的な事実に基づいたもので大半の人が納得できるものである必要があります。 つまり「理論」は「論理的」である必要があるということです。言い換えれば「理論」とは「論理的に体系化された知識の集合体」ということになります。 しかしながら「理論」というものは時を経て更新されるものです。現在は「理論」とされているものが、近い将来は「ただの古い知識」になってしまう可能性があります。
というような使い方をします。
例文