「諌める(いさめる)」とは「目上の人に対して不正や欠点を改めるように忠告する」という意味です。「諌」を使った熟語には「諌言(かんげん)」「直諌(ちょっかん)」「忠諫(ちゅうかん)」などがあり、どれも「諫める」と同じ意味になります。「諌める」の漢字は「禁める」「諫める」とすることもあります。
「諌める」は「いさめる」と読みます。 意味は「目上の人に対して不正や欠点を改めるように忠告する」です。 主に目下の人が目上の人に対して間違いを正す行為を指して使います。 この「諌」という時には「目下の者が目上の者に直言して、過ちを正させる」です。 悪事を辞めさせたり、逆らって誤りを指摘したりすることを指します。 宋(中国王朝の一つ)では、「諌院(かんいん)」といった庁舎があり、そこでは天下を治める天子の過失を指摘して改めさせる「諌官(かんかん)」という役人がいました。
「諌める」の付く熟語には
などがあります。 どれも「諌める」とほぼ同じ意味を持ちます。 「諫言」の意味は「諌める」と同義であり「目上の人の欠点や過失を指摘して、改めるよう忠告すること」です。 「直諫」の意味は「目上の人に遠慮することなく率直に諌めること」です。 「忠諫」の意味は「忠義の心から臣下が主君のためを思って、その過ちを諌めること」です。
「諌める」の漢字には他に 「禁める」 「諫める」 もあります。 どの漢字でも意味は変わりません。 「禁める」の場合は他に「禁止する、制止する」といった意味もあります。
「諌める」は古語「いさむ」という言葉からきています。 「いさむ」は、否定の気持ちを表す感動詞「いさ」に、「〜の状態になる・させる」の接尾辞「む」で出来たと言われています。 古語「いさむ」の意味は「忠告する」「意見する」「たしなめる」です。 「目上の人に」といった意味は含まれていませんでした。 兼好法師の『徒然草』にも「いさむ」は使われています。 原文は
陰陽師有宗入道(おんようじありむねのにふだう)、鎌倉より上りて、尋ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植うる事を努む。細道一つ残して、皆、畠に作り給へ」と諌め侍りき。 まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益なき事なり。食ふ物・薬種など植ゑ置くべし。
となります。 現代語訳をすると 安倍有宗という陰陽師が鎌倉から京都に上ってきた時に、門に足を踏み入れるやいなや「この庭は無駄に広く、何の工夫もなく、良くない。知識のある人なら何か植えて栽培するだろう。小道を一本残して、あとは畑にしなさい」と言ってきた。 僅かなときであっても、有効活用するのはもっともな話である。食べ物や薬でも植えるべきだ。 となります。
「諌める」は、部下が目上である上司に対して使います。 上司から部下に対してなど、目下の者に対して「諌める」とは使わないので注意しましょう。 また、自分がただ違うと思って苦言したりミスを指摘するだけでは「諌める」とは言いません。 「欠点を改めるよう忠告する」という意味ですので、「真心を持って、相手の過ちの改善を求める」ことです。 上司など目上の人のことを想い、心から改善して欲しい気持ちを込めて指摘する時に使います。 「直諫は一番槍より難し」ということわざもあります。 意味は「直諫は、戦場での戦場で一番に敵陣に突入して槍を突き入れることよりも勇気がいることである」です。 どの時代でも、目上の人に真実を伝えるのは非常に言いづらいことであったということですね。
「諌める」の類語には
などがあります。 「苦言を呈する」の意味は「言われた相手が不愉快に思う可能性があるが、相手のためにあえて忠告をする」となります。 「苦言」は「相手のためを思って、言いにくいところまで言って戒める言葉」です。実は「苦言」には相手のためを思ったという意味合いがあるんです。ただ悪い言葉を言うだけではありません。 「諭す」の意味は「目下の者に、物事の道理をよく理解できるように言い聞かせること、納得するように教え導くこと」です。 「行動を改めさせる」といった意味では類語ですが、目下の人から目上の人を諭すことは失礼になるので注意しましょう。
「たしなめる」は漢字が2つあります。 「窘める」と「嗜める」です。 「窘める」の意味は ①「反省を促す」 ②「苦しめる、悩ます」 です。 ①は非礼や不作法などを注意して反省させることを指します。 「嗜める」は、「窘める」の誤記です。 本来は「嗜む(たしなむ)」と使い、「何かを好んで親しむこと」「悪い結果にならないよう用心すること」といった意味があります。
「戒める」は「いましめる」と読みます。 意味は ①「失敗しないように、前もって教え諭す」 ②「悪い行いなどを、してはいけないと注意する」 ③「行動を禁止し、抑制する」 ④「警戒する、用心する」 です。 「戒める」は他人に対しても自分に対しても使う言葉です。 「自らを戒める」とよく使い、「自分の衝動や欲望を抑えること」「既におかした過ちを繰り返さないようにすること」といった意味になります。
「宥める」は「なだめる」と読みます。 意味は「怒りや不満などをやわらげ、気持ちを穏やかにすること」です。 事が荒立たないようにとりなすことを表します。 また「罪などに対して寛大な処置を取る」といった意味もあります。 普段あまり使わない漢字に、送り仮名「める」ではありますが「諌める」とは類語ではありません。 ただ怒り狂っている上司を部下が「宥める」ことはあります。
「諌める」の英語には「remonstrate」があります。 「抗議する」を最も一般的な英語である「protest」よりも強意的です。 「protest」「remonstrate」は主に目上の人や権威に対して反対意見を言う時に使うため、日本語の「諫める」に非常に近いです。
I remonstrated with my boss about his remarks.
上司の発言を私は諫めた。
I went to the Japanese Ministry of Justice to remonstrate with the new law.
新しい法律に関して諫めるために法務省まで行った。
一方、目上の者が目下の者に対して使う「諭す」の英語は「admonish」です。
My mother would often admonish me for going to school unshaven.
母はよく髭を剃らないで学校に行く私に注意したものだ。
いかがだったでしょうか? 「諌める」について理解出来たでしょうか? ✔読み方は「いさめる」 ✔意味は「目上の人に不正や欠点を改めるように忠告する」です。 ✔熟語には「諌言」「直諌」など ✔類語には「意見する」「苦言を呈する」など