「敬服」という言葉をご存知でしょうか。なかなか難しい言葉なので日常生活ではあまり耳しない言葉かもしれませんね。今回は、「敬服」の正しい意味と使い方を例文付きで解説します。また、「感服」「尊敬」といった類語との違いや対義語、英語表現なんかも合わせて紹介しますので、ぜひ参考にしてください。
「敬服」は、「 けいふく 」と読みます。 「敬」は、音読みで「ケイ」訓読みで「うやまう」と読みます。 「服」は、音読みで「フク」と読みます。
「敬服」の意味は「その人の態度や日々の行いに尊敬の念を抱くこと」です。 「敬」には「うやまう」という意味があり、「服」は「したがう・うけいれる」という意味です。 「敬服」は相手の立ち振る舞いや、その人の特性について深く感銘を受けることを表す語です。 相手の態度や人柄に深く感じて、尊敬し従う気持ちを表す場合に「敬服」という言葉を使用することができます。
「敬服いたします」の「いたす」は謙譲語、「ます」は丁寧語、全体で謙譲表現になっている 「いたす」は漢字だと「致す」となりますが、「敬服いたします」の形ではひらがな表記が正しいです。 なぜなら、「致す」と漢字表記にする際はそれ自身が動詞になる場合であり、「至らせる・及ぼす・届ける・引き寄せる・仕向ける・尽くす」という意味で使うときは「致す」と漢字表記にするのが正しい使い分けだからです。 「いたす」とひらがな表記にする際は補助動詞になる場合。「お願いいたします・勉強いたします・失礼いたします」といったように使うときは「いたす」にします。 動詞は漢字表記、補助動詞は平仮名表記と覚えておきましょう。
例文
「敬服いたしました」は、「敬服した」の「謙譲語」です。 「いたしました」と謙譲語にすることによって、相手に敬意を示すへりくだった表現になっていますので、目上の人に使用することが可能です。 「◯◯さんがあの時とった行動にはとても感心しました」「とても尊敬しました」といったニュアンスで、過去の目上の人の行動や発言に対して、その時感心し、尊敬の気持ちを抱きましたよという表現です。 上述しているように、この場合の「いたしました」は、補助動詞なので平仮名表記が正しいです。
例文
「敬服しきり」は、「程度の度合いが著しい様」を表現する「しきり」という言葉を使用し、「尊敬するばかりです」とった尊敬する気持ちを強める表現にしています。 かなり大げさな表現であるため目下の人に対して使用するのは不自然です。 また、目上の人にたいしても「大げさにいっているな・・・」と思われてしまう可能性もあるので、あまり誇張したような表現をすることは避けたほうが望ましいです。
例文
「敬服に値する」は「尊敬するぐらい価値がある」という意味の慣用句です。 「値する」は「価する」と表記する場合もありますが、どちらで表記されていても意味はかわりません。 「値する」は、「価値がある・値打ちがある」という意味で使用されていて、「称賛に値する」といった表現でよく耳にするのではないでしょうか。 例えば「あなたの先日の行動は敬服に値する」だと、「あなたの先日の行動は尊敬するぐらい価値があります」といった意味になります。
例文
「敬服の念に堪えない」は、「抑えきれないほど沸き上がる尊敬の気持ち」を表現している言葉です。 「念」には「思い・気持ち」という意味があるので「敬服の念」「尊敬する気持ち」という意味であることがわかります。 「堪えない」は「堪える」に打ち消しの助動詞「ない」をつけて否定形にしています。 「堪えない」は、「感情などを抑えることができない」という意味です。 したがって、「感謝の念に堪えません」は「抑えることができない尊敬の気持ち」を表現している言葉であり、「尊敬をしている・感心している」という気持ちを強調する表現になります。
例文
「敬服」のように、相手を敬う表現では、「ただただ敬服するばかり」というように、「ただただ〜するばかり」という表現を使用することも多いです。 「敬服するばかり」とは、「尊敬・感心の気持ちを抱くだけだった」という意味です。 さらに、「ただただ」という強調する表現が頭についています。 相手の発言や行動に、「他の感情を忘れただひたすらに尊敬の気持ちを抱くほど感心をした」ということです。
例文
「至り」の意味は「ある物事が最高の状態に達していること」「極み」です。 「〜の至り」とした場合は「それが最高の状態であること」意味するので、「敬服の至り」は「尊敬の極み」「尊敬する気持ちの状態が最高であること」を表します。 「至り」は、「幸甚の至り」といったようにビジネスシーンでは感謝の気持ちを表すときに使用することが多いです。 「至り」という表現を使用することで、「尊敬している」という気持ちを強調することができます。
例文
「感服」はある物事に深く心を動かされて、服従する気持ちを強く抱くことを表す語です。 『その行い、ものすごく良い!』『その技術はとても素晴らしい!』というニュアンスになりま す。 何か技術や人の行動に深く感じて、尊重の気持ちを抱くことを表す場合に「感服」を使います。 「敬服」と「感服」は、相手に対して尊敬の気持ちを表す言葉という点では同じです。 しかし、「敬服」のほうが「相手を敬う気持ちが強い」という点で違いがあります。 「感服」は、相手の行動に対して「すばらしい」と思えば、相手が目下であっても使用することができます。 一方の「敬服」は、その人の立ち振舞いなどに対して使用する言葉で、目上の人や、自分と同等以上の人に使用する言葉であるということを覚えて起きましょう。
例文
「尊敬」は、「その人の人格を尊いものと認めてうやまうこと」をいいます。 他人の人格や行為を認め、ついつい頭を下げたいようなうやまう気持ちになることを「尊敬」と言います。 「敬服」も相手に対して、尊敬の気持ちを抱くという意味なので、「敬服」と「尊敬」は同義語であると言えます。 一般的には「尊敬」という言葉を使用することがほとんどで、「敬服」は目上の人に対してや、かしこまった場面で使用されることが多いです。
例文
「感心」には3つの意味があります。 1. 感動する。深く心に感じること。優れた技量に心を動かされること 2.「感心な」で、行動や態度などが褒められるべきであるさま。 3. ひどさにあきれること。びっくりすること となります。 ある事に触れて、心を深く揺り動かされることを「感心する」と言います。 感情や知性から物事に触れて優れていると判断し、心が動かされることを表します。 何か素晴らしいものを見て、『すごいな〜』『偉いな〜』と思うことを「感心する」と表します。 「敬服」は、相手に対して尊敬を意味する言葉なので、目上の人に使用することができますが、「感心」は「尊敬」とは違います。 「感心」は「すごいですね」といった意味なので、目上の人に対して使ってしまうとちょっと上から目線になってしまいます。
例文
「脱帽」は「ただ帽子を脱ぐ」という意味もありますが、「この人にはかなわない」と、「参った」「恐れ入りました」という気持ちが強く含まれます。 実際に帽子を脱ぐ場合と、自分よりも上であると思った相手に対して敬意を示したい場合に「脱帽」を使います。 「脱帽」は、「尊敬」というよりは「自分より上だと認めた相手に対して敬意を示す」というイメージです。 例えば、戦ったあとに負けた相手が勝者に対して「ははーっ」と頭を下げるシーンや、負けた途端勝者に対して頭が下がりっぱなして逆らえなくなるといったシーンってよくありますよね。 これは、負けたことで「この人にはかなわない」と脱帽していると言えます。 「敬服」は、その人の言動や考えに対して「尊敬の気持ちを抱く」という意味なので、「かなわない」「恐れ入った」という意味のある「脱帽」とは微妙なニュアンスがあると言えるでしょう。
例文
「心服」は、「しんぷく」と読みます。 「心服」の意味は「心から尊敬して従うこと」です。 相手の人格や、言動などを心の底から尊敬し、従うことを「心服」と言います。 「服従する」というニュアンスが強いという点が「敬服」とは違う点です。 「敬服」は、「相手に対して尊敬の気持ちを抱く」という意味の言葉なので、「尊敬しているから従う」というニュアンスはありません。
例文
「推服」は「すいふく」と読みます。 「推服」の意味は、「人を敬って心から従うこと」です。 その人対して、尊敬の気持ちをもって、言われたことなどに従うということを「推服」と言います。 「推服」と「敬服」は「相手に対して尊敬の気持ちをもっている」という点では同じ意味がありますが、「推服」に「従う」という意味があるということに大きな違いがあります。
例文
「恭順」は、「きょうじゅん」と読みます。 「恭順」の意味は、「つつしみの態度で従うこと」です。 「恭」には「かしこまる・つつしむ」という意味があり、「順」には「したがう」という意味があります。 つまり、「恭順」という言葉は、命令されたことに対して、つつしんで従う態度をとるということです。 相手に対して、礼儀正しく敬意をもって控えた態度をとるということですから、尊敬をする気持ちも含まれていますが、「恭順」は、相手に対する「態度」を言い表しています。 一方の「敬服」は、「相手を尊敬している」という「気持ち」を言い表している言葉です。
例文
「鑽仰」は、「さんぎょう」と読みます。 「鑽仰」の意味は、「聖人・偉人の学徳を尊ぶこと」です。 聖人とは、中国の思想家で儒教を創設した人です。 そういった思想家や偉人の学問や行いを尊敬することを「鑽仰」と言います。 つまり、「鑽仰」は「尊敬する」という意味は「敬服」と同じですが、対象が「聖人や偉人」と限られている点で、「敬服」との違いがあります。
例文
「私淑」は「ししゅく」と読みます。 「私淑」の意味は「直接教えは受けないが、ひそかにその人を師として尊敬し、手本として学ぶこと」です。 例えば、女性が憧れの芸能人のブログやスタイルブックを見て色々なことを真似したりするように、直接会ったり話したるすることはできないけれど、師として仰ぐことを「私淑」と言います。 本来は、亡くなってしまった故人を尊敬しているパターンに使用する表現です。 「敬服」は、上司など、どちらかというと身近な存在の人の発言を直接耳にしたり、行動を見たりした場合に使用する表現です。 したがって「私淑」と「敬服」は「尊敬をする」という点では同じ意味ですが「私淑」が「直接会ったり話したりできない人に対して抱く尊敬の気持ち」という点で違いがあると言えます。
例文
「軽蔑」は、「けいべつ」と読みます。 「軽蔑」の意味は、「ばかにすること・さげすさむこと」です。 「軽蔑」は、いやしいものや、劣ったものなどをみて馬鹿にすることなので、「尊敬の意」を意味する「敬服」とは反対の言葉になります。
例文
「軽侮」は、「けいぶ」と読みます。 「軽侮」の意味は、「相手を見下してあなどること・見下すこと」です。
例文
「侮蔑」は、「ぶべつ」と読みます。 「侮蔑」の意味は「人をあなどり無視した扱いをすること」です。 「侮蔑」は、「軽蔑」は「軽侮」よりも、さげすさむ度合いが強いという特徴があります。
例文
「蔑視」は、「べっし」と読みます。 「蔑視」の意味は「みさげること・さげすさむこと・ばかにすること」です。 「軽蔑」や「侮蔑」は、相手の能力などを価値がないものとしてバカにするような場合に使用しますが、「蔑視」は、対象のものの価値そのものを判断しているのではなく、なんとなく低く見るような場合にも使用することが可能です。
例文
「慢侮」は「まんぶ」と読みます。 「慢侮」の意味は、「侮り軽んじること」です。 相手を見下して、軽視することを「慢侮」という言葉を使用して表現することができます。
例文
「反発」は、基本的に「強く跳ね返す」という意味で使用される言葉ですが、「他人の言動などを受け入れないで、強く否定すること」という意味で使用されることもあります。 「敬服」は、相手の言動や行動に対して尊敬の意を抱くという意味のある言葉なので、相手の言動や気持ちを否定するような意味のある「反発」は対義語にあたります。
例文
「貶める」は、「おとしめる」と読みます。 「貶める」には、
といった意味があります。 「貶める」は相手や他人をばかにしたり見下したりするという意味で使う言葉なので、「敬服」とは反対の意味をもつ言葉であると言えます。
例文
「敬服する」の英語には「admire」があります。 「admire」は人の業績や行為、態度などに感嘆する、というニュアンスです。 物に対して使うこともできます。
I admire his courage.
彼の勇気を敬服します。
「敬服する」の英語は、
と表現することも可能です。
I have great respect for her opinions.
彼女の意見には敬服します。
「敬服」という言葉について理解していただけたでしょうか。 ✓「敬服」の読み方は「けいふく」 ✓「敬服」の意味は「その人の態度や日々の行いに尊敬の念を抱くこと」 ✓「敬服いたします」「敬服いたしました」といった言い回しで使用される ✓「敬服」の類語は、「感服」「脱帽」など