「杞憂」の意味を知っていますか?由来は中国の故事から来ています。よく使われる日本語ですので「杞憂」の正しい意味と使い方を覚えましょう。今回は英語表現と例文や類語も紹介します。
「杞憂」は「きゆう」と読みます。 「きう」と誤って読む人が多いので注意しましょう。 また、漢字を「紀憂」としないようにも注意です。
「杞憂」とは、無用の心配をあれこれとすることを指します。 特に、将来について漠然と、必要のない心配をすることを指します。 心配したが実際には何も起こらなかったときに、「杞憂に終わる」「杞憂に過ぎない」などといいます。
「杞憂」は故事『列子(天瑞)』に書かれている内容が由来です。 「杞」とは中国古代の国名で、「憂」は案ずる、心配することを意味します。 漢文を現代語訳すると「古代中国の杞の国の人が、天が落ちてきたり地が崩れるのではないかといつも本気で心配しそのために夜も眠れなかった」とあります。 杞の人が余計な心配をし、いつも天を心配していたということから、「杞人憂天」といった四字熟語が生まれました。 それを略して「杞憂」という言葉が生まれ、起こることのないことに対して余計な心配をする、といった意味で使うようになりました。 「杞人(きじん・きひと)の憂え」「杞人の憂い」「杞人天を憂う」などともいいます。
心配していたが結局は何も起こらなくて安心した時に「杞憂に終わる」「杞憂に過ぎなかった」などの形で使います。 「杞憂で終わる」という場合もありますが、「杞憂に終わる」が一般的です。 「杞憂だった」「杞憂でした」「杞憂でよかった」などとも使います。 逆に「杞憂ではない」とすると、「心配すべきだ」という危機感を表します。
「杞憂」の例文
「杞憂」は無用な心配であってほしい=心配事が実現しないでほしいと希望する場面でも使います。 自分に対しても使いますし、他人に対しても使います。 「杞憂であれば〜」の形で使われます。
「杞憂」の例文
「杞憂」は無用な心配をする人を励ましたり、心配するのをやめるように説得したりする時にも使われます。
「杞憂」の例文
「杞憂」は無用な心配であり、通常の心配ではありません。 悪いことが発生するのではないかと推測する、心配・懸念・恐れという意味で使うのは間違いです。 例えば、「私は娘の将来を杞憂している」などと使うのは誤りです。 無用だとわかっていたら心配はしないので、このような使い方は不自然です。 ただし、他人のことを「母はいつも私に杞憂を抱く」というのは間違っていません。 自分のことであっても、「杞憂だとわかっていても、心配せずにはいられなかった」という使い方なら問題ありません。
「杞憂」はビジネスシーンでも使われます。 定型句には「杞憂かもしれませんが」があり、意味は「余計なお世話で申し訳ありませんが」という意味です。 客や取引先、上司など目上の人に何か提案したり、意見したりするときに使います。 類語には「老婆心ながら」があります。
「杞憂かもしれませんが」の例文
「杞憂でしたら」の形でも使います。 「杞憂でしたらご放念ください」は「私が言ったことが無用の心配だったら、忘れてください」という意味です。
「杞憂でしたら」の例文
「取り越し苦労」は「とりこしぐろう」と読みます。 「取り越し苦労」の意味は「考えても分からないことに対してどうでもいい心配をすること」です。 将来のことをあれやこれやと考えて、つまらない心配をすることをいいます。 「取り越し苦労」と「杞憂」は、「する必要のない心配をする」意味で同義です。
「憂慮」は「ゆうりょ」と読みます。 「憂慮」の意味は「うれえ思うこと。心配して思案すること」です。 不安に思い、思いわずらうこと・心配して、思い悩むことを言い表します。 「憂慮」には心配に思う気持ちだけでなく、「危機感を感じる」という感情も含まれるという点で「必要のない心配をする」という意味の「杞憂」とは異なります。 「憂慮」は「大雨が降っている」など、現実にすでに悪い事態が生じてきて、対象が明らかになり、さらに重大な問題や事件が生じる危険性があるという場面で使用することができます。
「懸念」は「けねん」と読みます。 「懸念」の意味は「気にかかって不安に思うこと」です。 気になってしまい心から離れないこと・先行きが気にかかって不安に思うことを表します。 「懸念」は「〜の懸念がある」というように、気になる問題点や不安な点を指摘するときに使用されます。 ものすごく気にかかっている事について使いますが、対象は何であるかははっきりしない場合にも使用することができます。
「危惧」は「きぐ」と読みます。 「危惧」の意味は「不安心。気がかり」です。 物事がうまくいかないのではないかと危ぶみ恐れたり、悪いことが起きるのではないかとおそれることをいいます。 「危惧」は対象が具体的です。 「ものすごく危険である」「危険な状況が迫ってきている」といったことを強調したい場合に「〜を危惧する」などと表現します。 「危惧」は、悪い結果になることを恐れる気持ちで使用する言葉であるという点で「杞憂」とは異なります。
「悲観」は「ひかん」と読みます。 「悲観」の意味は「物事を悲しむべきものを考えること」です。 この世の苦を悪に満ちたものと考えて、希望をもたないことをいいます。 また、よくない結果ばかりを予想して失望している様子を「悲観する」などと言い表します。 「杞憂」とは異なり、「悲観」には「心配する」という意味はありません。
「強迫観念」は「きょうはくかんねん」と読みます。 「強迫観念」の意味は「心中につきまとう不安な気持ち」です。 意志とは関係なくある種の考えが浮かび、考えまいと思っても恐れを払いのけることが出来ない状態のことをいいます。 「意味のない心配をしてしまう」という意味では「杞憂」と共通していますが、「脅迫観念」は不安な気持ちが精神に大きな影響を及ぼし日常生活を妨げてしまい病的ともみられるという点で「杞憂」とは異なります。
「楽観」は「らっかん」と読みます。 「楽観」の意味は「物事の前途を良い方向に明るく考え、心配しないこと」です。 例えば、何かをしようとしたときに「上手くいくだろう」と単純に考えて「失敗するかもしれない」という心配を一切しないことを「楽観的」といいます。 「杞憂」は、無用の心配をしてしまうことなので「楽観」は対義語です。
「暢気」は「のんき」と読みます。 「暢気」の意味は「物事をあまり気にしないこと、心配や苦労がなく気楽でいること」です。 人生を楽観的に見て、たいていのことではあわてない性分をいいます。 何事も気楽に考えることを言い表す言葉なので、「杞憂」の対義語です。
「気楽」は「きらく」と読みます。 「気楽」の意味は、「心に苦労や心配がないこと」です。 心配や苦労がなくのびのびしているさま、気分が楽であることを言い表します。 「杞憂」は、「無駄な心配をしてしまうこと」を言い表す言葉なので、「気楽」は対義語です。
「杞憂」は英語で表現するとどうなるでしょうか? 「その心配は杞憂に終わるだろう」の英語表現は、
There is nothing to worry about that.
Don't worry too much about it.
Just chill out!
Take it easy.
などが当てはまります。 「杞憂」を直訳した英語表現は「needless anxiety」などになるのですが、ネイティブからするとかなり不自然な表現です。この表現を会話の中で使うことはまずないでしょう。 代わりに「心配することないよ」というニュアンスを伝えるのがよいでしょう。