「慚愧」という言葉をご存知ですか?漢字も難しくどういった時に使うの知らない方も多いのではないでしょうか?「慚愧に堪えない」などと使われています。そこで今回は「慚愧」について、読み方、意味、使い方など例文付きで詳しく解説していきます。類語や対義語、英語も紹介しますので、是非参考にしてみてください。
「慚愧」の読み方は「ざんき」となります。 古い読み方では「ざんぎ」です。 漢字が難しいので読み方に迷うことが多いですが、「ざんき」と覚えておきましょう。
「慚愧」は「慙愧」という漢字を使うこともあります。 特に区別はなく、どちらであっても「ざんき」と読み、意味も同じです。
「慚愧」の意味は「恥じ入ること」です。 自分の見苦しい行為に対して反省をして、心から恥ずかしく思うことを指します。 「ざん」という響きから「残念。がっかりする」と勘違いしてしまう人も多いのですが、そういった意味ではないので注意しましょう。
「慚愧」の漢字はどちらも仏教用語で、サンスクリット語の漢訳です。 「慚」は自分自身に対して恥じることで、「愧」は他人に対して自分自身の罪を恥じることです。 サンスクリット語が由来の日本語には他にも
などがあります。
「慚愧」には「悪口を言うこと」といった意味もあります。 「自分の過ちに対して心から恥じること」と「悪口を言うこと」の両方の意味を持つのは面白いですよね。
「慚愧」の主な言い回しは
となります。 「慚愧に堪えない」の「堪えない」は、「耐えない」「絶えない」などと表記しないように注意しましょう。 また、「慚愧に堪えない」は軽々しく使う言葉ではありません。 相当自分の言動に対して反省をして、心に深く恥じる場合に使います。 そのため、日常におけるちょっとした反省や恥ずかしさでは使うことは出来ません。 廊下を走ったらみんなの前ですっ転んだ、くらいでは「慚愧」だと大げさな表現となります。 目上の人に対して敬語として使う場合は「慚愧の念に堪えません」となります。
例文
「慚愧に堪えない」「慚愧の念に耐えない」よりも、さらに深く反省し恥じている場合は「慚愧の至り」と使います。 「至り」には「物事がこれ以上はない、最高の状態になること」といった意味があります。 要するに、「慚愧の至り」は「この上ないほど慚愧の気持ちがある」と強く慚愧の気持ちを抱いていることを表しています。 「慚愧の至り」を敬語で使う場合は「慚愧の至りでございます」となります。
「慚愧」は「慚愧する」「慚愧して」と使うことも出来ます。 この場合は「自分の行動を深く恥じる」「自分の行動に対して深く恥じて」といった意味になります。 また「慚愧」自体に「自分の行いに対して反省」といった意味が含まれるため自分自身の言動に対してのみ使います。 他人の言動に対して「慚愧」を使うのは不自然となります。 例えば「Aさんが不祥事を起こし、慚愧する」と使うのは過ちです。 万が一、このAさんが自分の部下だった場合は「部下であるAさんが不祥事を起こした。上司である自分の管理不足でもあり、慚愧した」などと使うことが出来ます。 Aさんの不祥事の話ではありますが、慚愧したのは自分自身の管理不足だからです。
例文
「慚愧の涙」は詩的な響きがあります。 普段の会話では使うことはないでしょう。 意味はそのまま「心から恥じることで涙が流れること」を表しているのでしょう。 涙を流した理由の表現のひとつです。 「悲しみの涙」「歓喜の涙」などと同じ表現です。
「慚愧懺悔」は「ざんきざんげ」と読みます。 意味は「懺悔」単体と同じで「自分自身の言動などを反省し、その罪を告白して改心すること」です。 「懺悔」は仏教用語では「さんげ」と言います。 仏教における「懺悔」は、「仏の前で自分の罪を悔いて許しを請うこと」です。 それによって心身の苦悩から開放されるとして、行われています。
「慚愧」という言葉はアニメなどでもよく使用されています。 自分自身を恥じるというニュアンスが武士的であること、また漢字が日常的には使用されず新鮮味があることなどが理由と考えられます。 ちなみに
です。
「後悔」の意味は「自分がすでにしてしまった事について、後になって失敗だったと悔やむこと」です。 漢字の通り、後になってから「あの時ああしておけば良かった」「あの時あれをしなければ良かった」などと思うことです。 「後悔」は日常会話でもよく使われる言葉です。 また慣用句では「後悔先に立たず」が座右の銘や人生の教訓として使われています。
例文
「忸怩」の意味は、「自分の行いや言ったことについて自分で恥ずかしく思うこと、深く恥じ入る」です。あくまで、自分自身の言動に対して「恥じ入る」ことです。「悔しい」「腹立だしい」「憤り(いきどおり)」「悩ましい」といった意味は含まれません。 「慚愧」ととても似た意味を持ちます。 主に「忸怩たる思い」と使われています。
例文
「自責」には、「自分で自分の過ちを責める」という意味があります。 主に「自責の念に駆られる」などと使われています。 「駆られる」は、「高まった感情に動かされる」という意味があります。 つまり、「自責の念に駆られる」は、自分を責める感情が高まって動かされている様子を表した言葉です。
例文
「反省」の意味は「自分の行いをかえりみること。自分の過去の行為について考察し、批判的な評価を加えること」です。 自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えることを表します。 ちなみに、反省の度合いをより強くした言葉に「猛省」があります。 「猛省」は「強く反省すること。きびしく反省すること」です。
例文
「悔恨」の意味は「過去の自分のあやまちを悔やみ、残念に思うこと」です。 主に「悔恨の情」や「悔恨の念」といった言い回しで使います。 「悔恨の情」は「今その時の感情」であり、「悔恨の念」は、「ずっとそう思っている」という意味合いになり、「悔恨の念」は「過ちを後悔して殘念に思っている気持ち」を表します。
例文
「無慚」は「慚愧」の対義語となります。 「慚」が「無い」と書き、意味は「自分の罪を恥じらいのないこと」です。 これは仏教が教える煩悩のひとつです。 またよく使われる「無残/無惨」も同じ意味です。 こちらの漢字でよく使われるもうひとつの意味は「残酷なこと、乱暴なこと」です。
例文
「無愧」も「慚愧」の対義語となります。 「愧」が「無い」と書き、意味は「自分の罪を他人に対して恥じない心のこと」です。 また世間を顧みず暴悪を働こうとする心も表します。 無慚と合わせて「無慚無愧(むざんむき)」といった四字熟語も使われます。
例文
「厚顔無恥」の意味は「厚かましくて、恥を恥とも思わないこと」です。 「厚顔」とは「面の皮の厚いこと」で「恥知らずで図々しいこと、そのさま」という意味合いを持ちます。 「無恥」とは、「恥を恥と思わないこと、そのさま」です。 恥知らずな人のことを「無恥な人」などと言います。
例文
「寡廉鮮恥」の意味は「心に悪意があって恥知らずなさま、節操がなく恥を知らないさま」です。 「寡」と「鮮」はどちらも「少ない」という意味を持つ漢字で、「廉」は「心が清く正しいこと」という意味をもつ漢字です。すなわち、「 清く正しい心も、恥だと思う心も少ない」という意味の言葉です。
例文
「慚愧」つまり「恥」を意味すう英単語は「shame」です。 「shame」の形容詞は、
の2つあります。 「ashamed」は「罪悪感のある恥」です。 ただの「恥ずかしい」という感情は「embarassed」になります。
I'm so ashamed of my behavior.
自分の行動に慚愧の念が堪えません。
「慚愧」を意味する英語には「disgrace」もあります。 「disgrace」は「不名誉」という意味です。
「慙悸」の意味は「恥じて、恐れおののくこと」です。 自分の行ったことへの恥ずかしさや罪深さに対して、恐ろしがることです。
「讒毀」の意味は「他人に悪口を言って傷付けること」です。 他人を非難すること、告げ口をすること、といった意味もあります。 「讒」は「そしる」と読み「事実にないことを言って他人を陥れる、悪口を言う、陰口」といった意味です。 「毀」は「こわす、こぼつ」と読み「壊す、傷つける、人を悪く言う」といった意味です。 恐ろしい言葉ですね。
「残毀」の意味は「物事を壊すこと、壊れること」です。 「残壊(ざんかい)」と同じ意味になります。 上述していますが、「毀」には「壊す」という意味があります。
「残基」は科学用語なので、少し難しいです。 合成物質の化学構造において、生成する化学結合の構造以外の部分構造を指し示す言葉だそうです。 筆者には全く理解できません…。 「アミノ酸残基」などと使われ、これはタンパク質の分子上でそのたんぱく質を構成しているアミノ酸の1単位に当たる部分だそうです!
「残機」は戦闘機やロボットなどを操作するゲームにおいて、プレイヤーが操作する自分の機体を「自機(じき)」と呼び、それ以外の残りの機体を「残機」と呼んでいるようです。 操作している間、ストックされている機体のことです。
いかがだったでしょうか? 「慚愧」について紹介してきました。 ✔読み方は「ざんき」 ✔意味は「恥じ入ること」 ✔主に「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」と使う ✔類語は「後悔」「忸怩」など かしこまった場面などで使うとより深く恥じて反省していることが伝わるため、しっかりと覚えておきましょう。