「無償の愛」とは、「見返りを求めることなく相手を愛すること」です。自分の身を犠牲にしてでも相手が自分を守ってくれた時など「無償の愛」を感じる瞬間ってありますよね。今回は、「無償の愛」について解説していきます!無償の愛をくれる人の特徴や、無償の愛をもらえる人になる方法なども紹介しますので是非参考にしてください。
「無償の愛」は、「見返りを求めることなく相手を愛すること」です。 「無償」の意味は、「報酬のないこと」「対価を払わないで済むこと」という意味があります。 例えば「誰かに無料で物をあげる」というように、受け取り手のみにメリットがあることです。 つまり、自分の損得関係なしにとにかく相手に愛情を注げることを「無償の愛」と言います。
恋愛をしていると自分の精神面が不安定なときに、ふと「恋人に会いたいな」と思ってしまう瞬間があることでしょう。 我儘だとわかりながらもついつい「会いに来て欲しい」なんて我儘を言ってしまうときってありますよね。 そんなときに、急なのにも関わらず嫌な顔ひとつせず会いに来てくれた恋人に対して無償の愛を感じたことがある人は多いのではないでしょうか。 お休みの日ならまだしも、仕事で忙しかったりする時に時間や労力を割いて会いに来てくれるのは無償の愛だと思えますよね。
例えば、帰りが遅くなってしまったときに「心配だから迎えに行くよ」と迎えに来てくれるのは、相手を大切に思っているからこそですよね。 相手に何かあったらいけないと心配してくれているからこそ、「迎えに行くよ」と言ってくれているのです。また、仕事終わりなど疲れているであろう恋人に大しての気遣いだったりもします。 自分も疲れていてゆっくりしていたいはずなのに、迎えに来てくれる優しさに無償の愛を感じます。
例えば一緒にテレビを見ていた時に「これ欲しいな」とポツリと呟いたとします。 「じゃあ、今度買ってあげるね」とさりげなく言ったとして、こういう何気ない会話の中の言葉って忘れてしまうことが多いんですよね。 自分でも忘れているようなことを、きちんと覚えていて「これ欲しいって言っていたよね」プレゼントしてくれたりすると無償の愛を感じるのではないでしょうか。 何気ない自分の一言や、約束したことをきちんと覚えていてくれるのって誠実に向き合ってくれているからなのです。愛されているなと感じますよね。
恋人と言えど二人の関係は「他人」です。 それぞれの価値観があって、それぞれに色々なことがあるでしょう。 それなのにも関わらず、自分に嬉しいことがあったときに相手も同じように喜んでくれたり、悲しいときに一緒に悲しんでくれている姿を見ると無償の愛を感じますよね。 それだけ、自分のことを大切にしてくれているんだなと実感することができます。
自分が悲しいときに、ずっと側にいてくれるなど心の支えになろうとしてくれる瞬間って、無償の愛を感じますよね。 自分が辛い時にずっと側にいて寄り添ってくれるのは、それだけ大切な存在だからです。 どうでも良い相手だったら、落ち込んでいる姿を見て優しく声をかけたとしても実際に相談しようとすると華麗に避けるし、「まあ元気だしなよ」とか言って適当な対応されて終わりです。 何をするでもなくても、自分が元気になるまで側にいてくれる恋人には無償の愛を感じます。
例えば、女性だったら付き合い始めはすっぴんを見せるのが嫌だったりしますよね。 本当の自分の顔を見せたら引かれてしまうのではないかと心配になる人は多いでしょう。 しかし、一緒にいる時間が長ければ長いほど本当の自分を見せていくことになります。 だんだんボロが出て、ダメな部分を見せてしまうような場面が出てきますよね。 本当の自分を見せているのに「すっぴんもかわいいよ」「そんなところも嫌いじゃないよ」と自分の全てを受け止めて愛してくれていると思えると、無償の愛を感じるものです。
恋人にはついつい甘えて、我儘を言ってしまう人も多いでしょう。 絶対に困らせているはずなのに「しょうがないな〜」と言いながらも、言うことを聞いてもらえる瞬間って無償の愛を感じますよね。 特に自分にメリットもないのに、相手の我儘を聞くなんて愛情がなければできません。 気分で振り回してしまうことがあっても、受け止めてくれる優しさを感じると大事にされているなと実感するものです。
例えば良くないと思いつつも、恋人の他に好きな人ができてしまった場合。 相手からしたら「ふざけるな!」と思って当然ですし、納得できることではありません。 それでも、最終的にきちんと話を聞いた上で「じゃあ、身と引くよ」と言って別れを決断してくれるのって無償の愛だなと思いますよね。 自分の幸せを失っても、相手の幸せを願って身を引くなんて中々できることではありません。 絶対にこちらが悪いのに責め立てることもなく「幸せになってね」なんて言われてしまったら、その無償の愛に胸が苦しくなってしまうことでしょう。
結婚をするということは、結婚相手の家族とも家族になるということですよね。 自分の家族を大切にすることはもちろんのこと、血の繋がっていない自分の家族も同じように大切にしてくれていることを実感する時って、無償の愛を感じるものです。 例えば、自分の家族が病気になったり怪我をしてしまったときに介護に協力してくれたり、一緒に看病してくれる...というのは、愛情がなければできないことでしょう。 また、自分の友人の結婚を一緒に喜んでくれたり「◯◯さんが困っているから助けたい」と相談をしたときに一緒に協力してくれたという場面で無償の愛を感じたという人も多いです。
生活をしていく上でお金はとっても大切なものです。 十分な収入がないと、家族はその分苦しい思いをしてしまうことも多いです。 例えば、突然収入がなくなってしまうようなことがあったとします。 これからの生活を不安に思って「離婚」という決断を下す人も多いでしょう。 そんな中で「一緒に頑張っていこう」と背中を押してもらえると、その「一緒に乗り越えようとする気持ち」に無償の愛を感じますよね。 「お金がなくても、一緒にいれるだけで幸せだ」と思う気持ちは、まさに無償の愛と言えるでしょう。
夫や妻が体調を崩してしまうと、「めんどくさい」と思ってしまう人もいるのではないでしょうか。 仕事もあるのに家事や育児を全て負担しなければならない上に、看病もしなければいけない、、、 露骨に嫌な顔をする人も多いです。 そんな場面で「大丈夫?」と心配して仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれたり、ゆっくり休めるように色々と手配してくれると無償の愛を感じるでしょう。 旦那さんが体調を崩して欠勤してしまうと、その分お給料が減る場合もあり「無理してでもいきなさいよね!?」なんていう鬼嫁もいますからね...。 何年暮らしていても、本気で心配してくれるのは無償の愛です。
家計を支えるために嫌な顔ひとつせず毎日働いてくれるのって、それだけで無償の愛を感じますよね。 働いても働いても自分の為に使えるお金なんてごく一部なのに、家族の幸せのために働いているのです。 「辞めたいな、働きたくないな」と思うこともあるでしょうに、一生懸命働いてくれる姿を見ていると愛情を感じます。 愛があるからこそ、家族の生活を守るために一生懸命働くことができるのです。
仕事が忙しすぎて家族との時間がなかなかとれない職業の人もいますよね。 自分が一生懸命働いて地位を築いてきた仕事でも、「家族との時間は何ものにも変えられない」という気持ちをもって、時間にある程度融通の効く仕事に転職してくれるのも無償の愛を感じます。 お仕事をしてお金を稼ぐのも、もちろん大切なことなのですがお金だけで家族の気持ちが満たされるわけではありませんからね。 仕事もきちんとしつつ、家族とのかけがえのない時間を優先してくれるのは無償の愛であると言えるでしょう。
朝何時に家を出ようが、どんなに遅く帰ってこようが毎日笑顔でお見送りをし、笑顔で「おかえり」と出迎えてくれる家族に無償の愛を感じた人も多いのではないでしょうか。 相手の都合に合わせて朝起きて準備をするのって、なかなか大変なことです...。 夜遅くても帰りを待つというのも大変なこと。 愛情がなければ中々できることではありません。
結婚をして何年もすると、これと言って愛情表現をすることも少なくなってきてしまうものです。 それでも誕生日や記念日といった特別の日は、きちんと心からお祝いをしてくれる姿に無償の愛を感じるという人は多いのではないでしょうか。 長年一緒にいる中できちんと覚えているのも愛ですし「お祝いをしよう」とわざわざ考えてくれるのも愛情ですよね。 月日が経つと、こういった記念日すらどうでも良くなってしまう人って沢山います。
夫婦生活が長いと、なんでも「当たり前」になってしまいます。 例えば、奥さんがご飯を作ってくれるのも当たり前だし、掃除や洗濯をしてくれるのも当たり前、反対に旦那さんが働いてくれたりすることも全て「当たり前」になってしまいます。 そのような状況で「ありがとう」ときちんと感謝の気持ちを持っていることを知ったときって、無償の愛を感じますよね。 「やってあげてる」なんて思っていなくても、感謝をされるとやっぱり嬉しいものです。
親は、自分の命に変えてでも子供を守ろうとするものです。 例えば、自分が怪我をしてしまいそうになったときに自分の身を犠牲にしてでも守ってくれた...そんな時無償の愛を感じますよね。 子供が怪我をして痛い思いをするぐらいなら、自分が痛い思いをしたほうが良いと思うのが親心というやつです。 愛情がなければ絶対にできることではありません。 親は、子供のためなら自己犠牲になっても構わないという強い愛情をもっています。
「これがやりたい」「これが欲しい」という子供の願いを一生懸命叶えてくれようとしてくれる親の姿を見て無償の愛情を感じる人は多いのではないでしょうか。 子供の頃は、親が自分のためにしてくれていることに中々気がつけなかったりします。 しかし、自分が親元を離れたり子供ができたときに、自分のためにどれだけ時間やお金を割いてくれていてくれていたかを実感することが多いです。 例えば、「大学に行きたい」と言っても進学には沢山のお金がかかります。 それを「子供が行きたいと言うのであれば」と一生懸命働いてお金を用意してくれたり、子供の将来を考えてお金を貯めていてくれたりするのです。まさに無償の愛ですよね。
入学や、卒業、成人式など成長の節目に心から喜んでくれる親の姿を見ていると無償の愛を感じますよね。 愛情を込めて育ててきたからこそ、成長に涙を流してくれるのです。 これも、自分が子供の頃には中々気が付けない感情でしょう。 親になると涙もろくなるとよく言いますよね。 これは本当です!些細なことでも「こんなに大きくなったのか〜(泣)」と泣けてきてしまいます。 自分が愛情を込めて大事に育てているからこそ、感動してしまうんですよね。 自分が親になってみると、どれだけ自分が無償の愛を注いでくれていたか痛いほど実感しますよ。
親にとって、子供が病気で苦しい思いをしてるのは耐えられないほど苦しいものです。 なんとか良くしてあげれないかと一生懸命看病します。 睡眠時間が削られても、子供のために...看病してくれる両親を見ていると無償の愛を感じます。 子供の苦しみは親の苦しみなのです。 また、反対に両親が病気になってしまったときも「自分がなんとかしてあげたい」と強く思いますよね。 家族の為に献身的に尽くせるのは、まさに無償の愛です。
どんなに周りの人に信用してもらえなくても両親だけはきちんと耳を傾けてくれて味方になってくれる、そんな場面で無償の愛を感じたことがある人もいるのではないでしょうか。 もちろん、良くない所をきちんと叱るのも愛です。 反対に、味方をしてくれるのも愛情です。 たとえ敵を作ってしまおうとも、自分の子供のことは信じるものです。 自分だけは味方になって守りたい、居場所になってあげたいと思うのが親というものです。
例えば、結婚報告をしたときに反対をされた...まだ早い!と怒られた...など、その時は「どうして怒られないといけないの?」と思ってしまうでしょう。 しかし、本当に自分を大切に思ってくれているからこそ心配して怒ってくれていたのだと気がついたときに無償の愛を感じたという経験がある人も多いのではないでしょうか。 まさに親子の愛を感じますよね。 親は子供の幸せを心から願っていますから、間違った道に進むのを何とかして防ぎたいと思うものです。
無償の愛をくれる人は、どんなことにも見返りを求めません。 何かお返しをして欲しいから、人に親切しているわけではないからです。 例えば、時間も労力もかなり使うのにお金にならないボランティアをするぐらいなら、賃金が支払われる労働をしたいと考える人も多いのではないでしょうか。 無償の愛をくれる人は、「誰かの為になることをしたい」という純粋な気持ちしかないのでボランティアも積極的に参加できるような人ばかりです。 「人の為になっている」と実感することが、対価をもらうのと同じように価値のあることなのでしょう。
無償の愛をくれる人は、困っている人を放っておくことができません。 どんなに急いでいるときでも、道端に困っている人がいたら必ず助けるでしょう。 こういった場合、瞬時に「急いでいる」という自分の事情を優先させる人のほうが圧倒的に多いです。 まさか死にそうになっている人を見殺しにするようなことはしないと思いますが、道に迷っている人を見かけたぐらいだったら声をかけられても「すみません、急いでいるので」と断る判断をするのではないでしょうか。 無償の愛をくれる人は、自分がその後どうなろうが困っている人を助けるでしょう。 自分の立場が悪くなったのに相手に何かお礼をしてもらえるわけでもない、自分にとっては「時間のロス」というデメリットしかなくても、助けることができるのです。
無償の愛をくれる人は、包容力があります。 どんな人のことも温かい目で見ていて、サポートしてあげようという気持ちが強いです。 例え自分が困難な状況にあっても、その姿勢は決して変わりません。 無償の愛を自分に注いでくれる人が側にいると、安心感がありますよね。 見返りを求めない器の大きさや、包容力が安心感を与えるのでしょう。
誰に対しても差別することなく親切に接することができるのが無償の愛をくれる人です。 しかし、どんな時でも優しくするだけが「優しさ」なのではありません。 無償の愛をくれる人は、相手にダメな部分があれば相手の為を思えばこそ真剣に注意をすることができます。社会にでると、正しいことを言っていても厳しく注意すると悪者になってしまうことがあります。 そういった自分の立場が悪くなるかもしれないというリスクを背負っても、「相手のためだ」と思えばしっかり注意して間違った道に進んでしまうことがないようにしてくれるのが、無償の愛をくれる人です。
無償の愛をくれる人は、普段から誰に対しても必ず約束は守ってくれます。 相手が子供だろうが、誰だろうが約束は約束です。 きちんと約束を覚えていて忠実に守ろうとする誠実さがある人は、無償の愛をくれる人です。 日頃から「えっ、◯◯してくれるって言ったよね?」と確認しなければ約束したことを忘れて、すっとぼけたりするような人は結局自分のことしか考えることができていない人が多いと言えるでしょう。
無償の愛をくれる人は、どんなこともすぐに行動する行動力があると言えます。 例えば、電車に乗って座っているときに目の前にお年寄りが立ったとします。 頭では「席を譲ったほうがいい」と思っていても、「断られたら恥ずかしいな」とか色々考えてしまって「どうぞ、座ってください」の一言が言えなかったりするんですよね。 無償の愛をくれる人は、考える前に先に「どうぞ」と言葉に出していることでしょう。 「こうしたほうがいい」と思ったことに関しては、すっと行動に移すことができるのです。 結果的に断られたり、失敗してしまったとしても「悪いことしたわけじゃないのだから」と前向きに考えることができる精神力の強さもあります。
自己犠牲を払うのって、簡単にできることではありませんよね。 「助けてあげたい!」という気持ちはあっても、自分が不利になったり被害を受ける可能性があったら誰もが躊躇してしまいます。 無償の愛をくれる人は、自分を自己犠牲にする心の強さがあります。 例えば、自分が悪者になる可能性があったとしても誰かのために動いたり、時には自分の命をも引き換えにするような行動をとれるのは、無償の愛をくれる人であると言えるでしょう。
無償の愛をもらえる人になるには、自分が無償の愛を与える人になることが大切です。 「自分は無償の愛をもらいたいけれど、自分は無償の愛を人に与えることはしません」ではさすがに身勝手すぎます。 人は、自分に心から愛情を注いでくれる人に対して「自分も愛情で返したい」と思うようになるものでしょう。 「自分が愛せば相手も愛情で返してくれる」なんて結局見返りを求めているから無償の愛ではないように思ってしまいますよね。 最初こそ確かに「無償の愛」とは言えないかもしれません。 しかし、愛情をもって誰にでも接するようになれば、自然とそれが当たり前になって「自分は愛されたいから人を愛している」という考えが消えていくはずです。
素直に自分の感情を伝えたり、素直に相手を受け入れることができるような人は愛されます! 「どうせ」と思ってひねくれてしまってしまってはいけません。 ひねくれてしまうと、無償の愛をもらっても突っぱねてしまいがち。 それでは無償の愛を捧げようとしている人の心も折れてしまいます。 素直に嬉しいときは喜び、その気持をきちんと伝えましょう。 感情をストレートに伝えることができる人は、何より信用ができるし良い人間関係を築いていくことができるので無償の愛をもらいやすいです。
どんな時でも人を思いやる気持ちを忘れてはいけません。 やはり、自分勝手な人に対して愛情をもって接しようとは中々思えません...。 誰に対しても、きちんと思いやりを持って接しましょう。 いつまでも「自分!自分!自分!」でいては誰からも愛されません。 相手を思いやるということは、それだけ相手のことを大切に思って発言・行動をするということです。 思いやりをもって人と接することができる人は、愛されます!
「愛情とは、信頼関係の上に成り立つ」とよく言いますよね。 自分が心から信用できると思える人じゃないと、どこかで疑いの気持ちをもってしまうので心から愛情をもって接することができないのです。 無償の愛を与え、さらに相手からも無償の愛をもらうには、コツコツと信頼関係を築いていくことが大切であると言えるでしょう。
など、当たり前のことですが信用を失ってしまうような言動は控えましょう。 大切なことは、まず自分が相手を心から信用することです。
無償の愛とは、見返りを求めないということです。 しかし、だからと言って、してもらった側が「お礼をしなくても良い」「感謝の気持ちを持たなくても良い」というのは話が違いますよね。 無償の愛をもらいたいのであれば、相手に何かしてもらったときはきちんと感謝の気持ちをもってお礼をしましょう。 言葉で「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えるだけでも十分です。 何かプレゼントなどでお返しをするのも良いでしょう。 相手は無償の愛をくれていたとしても、きちんと返すのです。 無償の愛をもらうには、そういった人として当たり前の気持ちをもつことが大切です。
無償の愛は、人生を豊かにします。 人に親切にすることができたとき、とっても良い気分になりませんか? それだけで十分なのに見返りを求めている自分に気がついてしまうと、せっかく良いことをしたのにモヤモヤしたり、嫌な気持ちが残ってしまいます。 また、自分自身を「見返りを求めるなんて、自分は嫌なやつだ」と責めてしまうことも...。 それってとっても勿体ないですよね。 自然に無償の愛を与えられるようになることで、自分自身の心を満たすことができます。 また、自分の無償の愛をもらえるようになるでしょう。 それだけで、人生はうんと豊かになるはずです。
相手に見返りを求めない無償の愛を与えられるようになると、自分で自分の心を満たすことができるようになります。 見返りを求めるということは、「相手からのお返し」で心を満たそうとしているということです。 そうすると、幸福度が下がってしまいますよね。 自分の幸せは、自分の心が決めることです。 自分の心が満たされていると、幸福度があがるので毎日を幸せに暮らすことができます。
「何のために自分は生きているんだろう?」と思ってしまう時ってありませんか? 自分自身の価値を見いだせない時って、辛いですよね。 そんな時、無償の愛を注ぎたいと思う存在があることでそれが「生きる意味」になります。 例えば、子供でも恋人でもペットでも自分が無償の愛を注ぎたいと感じる物なら何でも良いです。 「自分以外の誰が無償の愛を捧げるんだ」とうと思うと、みすみす死ねないなと思えます。 「愛に生きる」のは、決して悪いことではありません。 誰かに無償の愛を与えることは、立派な「生きる意味」になるのです。
「何かしてあげる」と自分勝手な愛情を押し付けるのは自分がかわいいだけ。本当の愛は見返りを求めない無償の愛。 これは、美輪明宏さんの名言です。 よく「自分はこんなに愛しているのに!」と相手に不満を漏らす人ってしますよね。 これは、「自分がこんなに愛しているのだから自分も愛されて当然」という見返りを求めている思考であって、押し付けなんですよね。 勝手に一方的な思いをぶつけておいて悲劇のヒロインぶってるだけ! このことに気がつくだけで、自分が抱いている感情が本当に「愛」なのか考え直すことができます。
この言葉は、無償の愛で貧しい人達のために生涯を捧げたマザーテレサの言葉です。 マザーテレサは、「本当の貧困は家がないことや空腹などではなく、誰からも必要とされないことや愛されないこと、気遣われないことだ」と考えていました。 そういった考えがあったからこそ、貧しい人達を無償の愛で救い続けたのでしょう。 マザーテレサは、愛について様々な名言を残していますので、色々見ていると愛についての考え方がガラリと変わると思いますよ。
これは日本の作家、太宰治の残した言葉です。 「恋」と「愛」の違いってなんだろうと考えたことがありますか? 「恋」は、「自分本位で一方的なもの」であり、「愛」は「無償で与えるもの」と考えられています。 例えば、よく好きな人に対してストーカー行為をしてしまう人がいますよね。 これは、自分の欲を満たしたいだけの行為であり非常に一方的な物です。 とても「愛」とは言えるものではないでしょう。 しかし、こういった一方的な思いを「愛だ」と勘違いしてしまう人は非常に多いです。 自分が満足するためだけの行動をとってしまうことが「愛ではない」ということに気がつくべきですよね。
「美女と野獣」と言えば、名作ですね。 野獣は、なぜ王子様から野獣に変えられてしまったのかご存知でしょうか。 王子様はある日、困っていた老婆の助けを「醜い見かけ」を理由に断ってしまいます。 この人に親切にしたところで自分に得がないと判断したのでしょう。 すると、老婆は美しい魔女に変わります。 そして、魔法で王子様を野獣に変え「真実の愛を知ることができなければ、この魔法は解けない」と言ったのです。 そして野獣が「ベル」という少女に出逢うことで、無償の愛を与えそして無償の愛を与えられることをはじめて知っていくというストーリーになっています。 無償の愛を感じられること間違いなし!
「チョコレートドーナツ」は、1970年代にあった実話を元にした作品です。 ゲイの二人が隣の部屋に住む育児放棄されていたダウン症の男の子「マルコ」を引き取り、二人は愛されることを知らなかったマルコに無償の愛を捧げます。 幸せに暮らしていた3人でしたが、保護者である二人が「ゲイ」ということで好奇の目にさらされるようになってしまいマルコは施設に保護されることになってしまいます...。 可愛らしいタイトルとは裏腹に、切ないストーリーですが3人の絆や無償の愛に涙なしでは見られない作品です。
「アルマゲドン」も不朽の名作ですよね。 小惑星が地球に衝突してしまうことを避けるために、宇宙に飛び立った人々のストーリーが描かれている作品です。 自分の命を犠牲に、自分の愛する人を守るために戦う姿には無償の愛を感じざるをえません!
日本の映画にも無償の愛を感じられる作品は沢山あります! 「8年越しの花嫁」も、その1つです。 結婚を目前にしていたカップル尚志と麻衣でしたが、結婚式の直前に麻衣が原因不明の病で昏睡状態になってしまいます。 尚志は麻衣の病室にとにかく通い続け、看病し続けました。 しかし、数年たってやっと目を冷ました麻衣には記憶障害があり、麻衣は尚志に関する記憶を全て無くしていたのです。 どう考えても心が折れる絶望展開ですが、尚志はそれでも麻衣に無償の愛を注ぎ続けました。 そして二人は再び結ばれ、8年経ってやっと結婚することができるのです。 「8年越しの花嫁」も実話なので、本当にこの世の中に実際にある無償の愛を感じることができる作品であると言えるでしょう。
愛は技術であり、学ぶことができる―― 私たち現代人は、愛に渇えつつも、現実にはエネルギーの大半を、 成功、威信、金、権力といった目標のために費やし、 愛する技術を学ぼうとはしない。
本書でわたしは、「愛」の本質を明らかにした。性愛、恋愛、友愛、親の子に対する愛……。愛にはさまざまな形があるが、これらはいずれも、本来まったく異なったイメージを与えるものである。
なぜ、あなたの愛は幸福をもたらさないのか……。どれほど幸せな恋であろうとも、嫉妬や依存、失恋など、様々な要因により一転して苦しいものになってしまう。思うようにならない他者と生きるなか、幸福な愛とは、どうすれば実現が可能なのだろうか。
いかがでしたか? 「無償の愛」を与えられる人間になりたいなと思いますよね。 しかし、「見返りを求めない」ってなかなか難しいことです。 ただ、本当に愛する人であれば無意識のうちに無償の愛を注いでしまうものです。 自分の相手に対する気持ちが無償の愛なのであれば、その相手をきちんと大切にしてあげてください。 もし、自分の満足のために愛情をぶつけてしまっていたり、与えられることばかりを望んで自分は全く与える気になれないというのであれば、自分の気持ちと今一度きちんと向き合ってみましょう。